宮沢賢治『銀河鉄道の夜』あらすじ|ほんとうの幸いのため、人は生きて死ぬ。

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九.ジョバンニの切符

アルビレオの観測所の近くで赤い帽子をかぶった車掌が「切符を拝見いたします」とまっすぐに立って言いました。カンパネルラは小さな鼠いろの切符を出しました。

ジョバンニはポケットを探すと、緑色の四つに折ったハガキくらいの紙がありそれを見せると、車掌は「これは三次空間の方からお持ちになったのですか」と訊ね、「よろしゅうございます、南十字へ着きますのは次の三時になります」と云います。

その緑の紙を見るといちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十字ばかりの文字を印刷していました。鳥捕りはその紙を見て「こいつは大したもんだ。ほんとうの天上へ行ける切符ですぜ、天上どころじゃない、どこへでも行ける通行券です」と云います。

「もうすぐわしの停車場だよ」とカンパネルラが云います。訳もわからず、なぜかジョバンニは鳥捕りのほんとうの幸せのためには自分を犠牲にしてもいいと考えました。すると鳥捕りはもういなくなっていました。

それからりんごの匂いがしてきて、そこらを見渡すと窓からも入ってきていました。

今は秋だからりんごの匂いはするはずがないと思っていると、そこにつやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が裸足で立っていました。隣には黒い洋服を着た背の高い青年が男の子の手を引いています。青年の後ろにはもうひとり十二ばかりの可愛らしい女の子が青年の腕にしがみついていました。

「もうなんにも悲しいことはないです。こんなにいいところを旅して、じき神様のところへ行きます。そこは明るくて匂いがよくて立派な人たちでいっぱいです。私たちの代わりにボートに乗れた人は、きっとみんな助けられて、めいめいの自分の家に行くのです。もうじきですから元気を出して歌っていきましょう」と青年は皆を慰めながら、自分も顔が輝いてきました。

灯台看守が「どうなすったのですか?」と訊ねると、「いえ、氷山にぶつかって船が沈みまして、子供たちを助けようとしたのですがボートの数は限られていて、他の小さな子供たちや親たちもいて、それでこのまま神の御前へみんなで行くほうが本当の幸せだと思いました」と青年が云います。

「どんなつらいことでもそれが正しい道を進む中での出来事なら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一足づつですから」と燈台守が慰めていました。

「いちばんの幸いに至るためのいろいろな悲しみも、みな思し召しです」と青年は云いました。

「いかがですか、こういうりんごははじめてでしょう」向こうの席の燈台看守が黄金と紅で彩られた大きなりんごを皆にひとつづつ渡します。

川の向こう岸には大きな林が見え、その枝には熟して真赤に光る円い実がいっぱい、林の真ん中には高い三角標が立ってきれいな音色が流れます。三角標が汽車の正面に来た時、汽車の後ろのほうから讃美歌が聞こえてきます。思わずカンパネルラもジョバンニも一緒に歌いだしました。

真っ暗な島のまん中に高いやぐらが一つ組まれ、その上に赤い帽子をかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもって空を見上げて信号をしています。

男の旗に合わせて鳥たちが飛んでいきます。「あの人、鳥を教えているんでしょうか」と女の子がカンパネルラに訊ねます。「わたり鳥へ信号してるんです」とカンパネルラが答えます。

ジョバンニはカンパネルラがかほる子と親しそうに話すのを見て「僕はどうしてこんなに悲しいんだろう、もっとこころもちをきれいに大きく持たなければならない。ああほんとうにどこまでも僕と一緒に行く人はいないのでろうか」と孤独な泪でいっぱいになります。

川の向こう岸がにわかに明るくなりました。

「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう」とジョバンニが云います。「さそりの火だな」とカンパネルラが答えます。「さそりの火って何だい」とジョバンニが聞きます。

女の子はさそりの火の話をします。

それは「さそりが焼けて死んだのよ。その日がいまでも燃えている」と云います。

「昔、パンドラの野原に一匹のさそりがいて小さな虫を食べて生きていて、そしたらある日、いたちに見つかって食べられそうになって、逃げて井戸に落ちて、井戸から上がれないさそりは溺れ始めて、さそりはこう言って祈ったの。ああ、わたしはいままでいくつもの命をとったかわからない、そしていたちから食べられそうになって逃げてこんなになった」と云います。

「どうして私のからだをだまっていたちにあげられなかったのだろう、そうすればいたちも一日、生き延びただろう、どうか神様、この次はみんなの幸せのために命をお使い下さい」と云って、「真っ赤な美しい火になって夜の闇を照らしている」と父親から聞いた話をします。

「もうじきサザンクロスです、下りる支度をしてください」と青年が云います

少年は「もう少し汽車に乗っていく」と云い、青年は「ここで下りなければいけない」と云います。女の子は立ってそわそわ支度をはじめています。ジョバンニはこらえかねて「僕たちと一緒に乗って行こう。どこまでだって行ける切符を持っているんだ」と云います。

女の子が「ここでおりて、天上に行かなければいけない」と云うと、ジョバンニは「天上よりももっといいところをつくらなければならない」と云います。女の子は「お母さんもいるし、それに神さまが仰っている」と云います。

「そんな神さまはうその神様だ」とジョバンニが云うと、「あなたの神さまはどんな神さまですか」と青年が聞きます。

ジョバンニは「よく知らないけれど、そんなのではなくて、ほんとうに一人の神さま」と云います。青年は「わたしは、あなた方がそのほんとうの神さまの前に、わたしたちとお会いになることを祈ります」そう言って慎ましく両手を組みました。

そのとき天の川のずっと川下にたくさんの光でちりばめられた十字架が、川の中から立って、その上に青白い雲がまるで輪になって後光のようにかかっていました。

汽車の中では、皆、立ってお祈りを始めました。「ハレルヤ、ハレルヤ」明るく楽しくみんなの声が響き、空の遠くからラッパの声を聞きました。青年と男の子、女の子は出口のほうへ歩き出しました、じゃあさようなら」

汽車の中は半分以上いなくなって、皆は列を組んで十字架の前の天の川の渚に膝まづいています。そして天の川の水を渡ってひとりの神々しい白い着物の人が手を伸ばしてこっちへくるのを二人は見ました。そして消えていきました。

「カンパネルラ、また僕たちふたりきりになったねぇ、どこまでも一緒に行こう。あのさそりのように、みんなの幸せのためならば僕のからだなんか百ぺんいてもかまわない」とジョバンニは云います。「うん、僕だってそうだ。」とカンパネルラも云います。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろうとジョバンニが云いました。「僕わからない」とカンパネルラがぼんやり云います。

天の川のひととこにある石炭袋を見ます、そこには大きな穴がどおんとあいています。ジョバンニが云います「あんな大きな闇の穴だってこわくない。僕たち一緒に進んで行こう」

カンパネルラは「あっ、あそこにいるのは僕のおかあさんだよ」と叫びます。

「カンパネルラ、ぼくたち一緒に行こうねえ」とジョバンニがこう云って振り返ってみたら、カンパネルラはもういませんでした。

ジョバンニは窓の外へ乗り出して叫びながら、いっぱいに泣きだしました。そこらへんがいっぺんに、真っ暗になったように思いました。

眼をひらくと丘の上にいました。天の川はぼんやり空にかかり、右にはさそり座が美しく煌めきます。ジョバンニはお母さんを思い出し、牧場の柵をこえ今日届いていなかった牛乳をもらいに行きました。橋のほうでは何かひそひそと談があり橋の上にも光がいっぱいでした。

「何かあったんですか」とジョバンニは叫ぶように聞きます。「子どもが川に落ちたんですよ」と一人が云います。ジョバンニは橋の下の河原におりました。

ジョバンニは鳥瓜からすうりで皆と一緒だったマルソに会いました。マルソは「ジョバンニ、カンパネルラが川へ入ったよ」と云います。聞けば、ザネリが誤って川へ落ちて、救おうとカンパネルラが川へ入ったのでした。ザネリは助かりうちへ連れられて行ったが、カンパネルラが見つかりません。

カンパネルラのお父さんが右手に持った時計をじっと見ています。みんな一言も、ものを云わずじっと河を見ています。下流の河は銀河が大きく写っています。ジョバンニはカンパネルラはもう銀河のはずれにしかいないという気がしてなりませんでした。

皆はまだカンパネルラが生きていると信じましたが、カンパネルラのお父さんは「もう駄目です、落ちて45分たちましたから」と云います。ジョバンニは思わずかけよってカンパネルラの行ったほうを知っています、一緒に歩いていたのですと云おうとしたけれど、何も云えませんでした。

すると博士は「あなたはジョバンニさんですね、こんばんは、ありがとう」と云いました。

博士は「お父さんはもう遠洋漁業から帰っていますか」と聞き、「いいえ」とジョバンニが答えると、「今日あたりもう着くころです、あした放課後、皆さんとうちに遊びに来てくださいね」と云って銀河のいっぱい映った川下を見ました。

ジョバンニは早くお母さんに牛乳を持って行って、お父さんの帰ることを知らせようと思い、一目散に走りだしました。

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