三島由紀夫『潮騒』あらすじ|男は気力や、歌島の男はそれでなかいかん。

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解説

伊勢湾に浮かぶ歌島は、神の支配と加護を受けている。

伊勢湾の入口の小島を舞台にした若い男女の恋愛物語、下敷きは古代ギリシャの恋愛小説『ダフニスとクロエ』であり、三島自身もその筋書きであると言う。

肉体への憧れである。新治は考えることが得意ではない、いや不要なのだ。若者たちもそうだ。歌島の若者で構成される青年会があり、ここで様々なことが協議される。そこではヴェルレーヌの詩さえ無垢な若いエネルギーに笑い飛ばされる。

千代子の嫉妬や安夫の見栄から嘘の噂が島に広がるが、中傷や白い目を向けられ障害や不運に見舞われながらも乗り越えていく。太平丸の親方の十吉や、漁仲間の龍二との信頼関係、真実を見抜く海女たちの目、燈台長夫婦の誠実さ、照吉の男としての競わせ方など島の流儀が展開する。

皆が繋がりあう共同体のなかの暮らし、自然は海神に支配され守られる。そして島に生きるものの直感で善悪は嗅ぎ分けられて浄化され、やがて千代子も安夫も救われる。

お互いを信じる新治と初江は結ばれて八代神社にお礼と祈りをとどける。初江は一途な思いを守り、新治は大人になっていく魂と肉体を誇る。二人は助け合い信じあう絆で結ばれる。

余分なものは感受性、欠けているものは肉体的な存在感。

三島は「私の遍歴時代」のなかで「私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった」と記し、冷たい知性を軽蔑し、一個の彫像のように肉体的存在感を持った知性しか認めず、そこには太陽の媒介が必要としている。

北米・ヨーロッパを経てのギリシャ旅行(一九五二年)を記録した「アポロの杯」。デッキで日光浴をして「生れてはじめて、太陽と握手をした」と綴る。そしてギリシャにある「肉体と知性の均衡」の「美」の価値の文化は、三島の目的に叶った。

美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることとの、同一の倫理基準の発見として、この伊勢湾に浮かぶ神島(三重県鳥羽市)を『潮騒』の舞台とした。古くは歌島かじまと呼ばれ神島の名が示すとおり神が支配する島と信じられた。

漁師や海女の営みの情景描写が細やかに描かれ、美しく、ときに激しい自然のなか、若者は海と語らいながら逞しい人間を造り上げる。まさに海と太陽を媒介とし神に支配された肉体の物語である。

ギリシャの太陽の憧れから肉体の憧れに目覚める。三島文学の中でも牧歌的な情景の明るく大らかな純情物語である。

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作品の背景

1951年(昭和26年)12月25日から翌1952年(昭和27年)5月8日まで約4ヵ月半にわたる世界一周の見聞旅行を行う。この旅は26歳から27歳の三島に深い印象を残し、小説『潮騒』は特に感銘を受けたギリシャの体験がもとになっている。

三島はギリシャの詩人ロンゴス作の『ダフネスとクロエ』(エーゲ海に浮かぶ島が舞台の若い男女の恋愛物語)という古典をなぞりながら小説を書くことを考え、場所を取材し伊勢湾入口にある神島(小説では歌島)に設定する。ここは映画館もパチンコ屋も喫茶店も、すべて「よごれた」ものは何もないところだと、師である川端康成宛ての書簡で綴っている。

200段を超える石段の上に鎮座する八代神社、祭神の名は綿津見命わたつみのみこと、海の神様。伊勢神宮の遙拝所もある。潮騒とは、潮が満ちてくるときに、波が大きな音をたてる響きのこと。初めての純愛を「新」と「初」として、主人公の二人の名前にこめる。海に生きる漁師の男と処女の海女の若い二人の恋が、自然と神に見守られて成就する物語です。

発表時期

1954年(昭和29年)6月、『新潮社』より刊行。三島由紀夫は当時29歳。ベストセラーとなり第1回 新潮社文学賞を受賞。文庫版は1955年(昭和30年) 12月、新潮文庫より刊行。アメリカでも『The Sound of Waves』と翻訳されベストセラーとなった。その後、5回も映画化される。