三島由紀夫『金閣寺』解説|認識か行為か、文武両道を生きた三島という虚像

スポンサーリンク
スポンサーリンク

作品の背景

三島は昭和24年、大蔵省入省後わずか9か月で退職、執筆活動に入り文学に専念します、そこで書き上げた「仮面の告白」に続く長編小説が「金閣寺」です。1950年(昭和25年)7月2日の未明、実際に「金閣寺放火事件」が起こります。国宝の舎利殿が全焼し、足利義満の木像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財も焼失しました。

当時21歳の金閣寺の見習い僧侶であり大谷大学の学僧が犯人とされます。左大文字山の山中で薬物のカルモチンを飲み切腹してうずくまっていました。動機は「社会への復讐」としており重度の吃音症であり、実家の母から過大な期待を寄せられていたことや厭世観によるものとされています。

現在の金閣寺は国や京都府、経済界の浄財で1955年に再建されたものです。三島はこの事件を題材に、戦後日本への疑問を投げかけます。

発表時期

1956年(昭和31年) 文芸雑誌『新潮』1月号から10月号に連載。三島由紀夫は当時31歳。三島の年齢は昭和の年数と同じです。近代日本文学を代表する傑作とみなされ海外でも評価が高い。

大きなテーマとなる「認識」と「行為」を具体化するように、三島の政治への発言や民兵組織「楯の会」を結成。1970年11月25日の自衛隊総監室のバルコニーからの決起を促す演説と割腹自殺という出来事は、社会に大きな衝撃として今現在もその思想や行動の真意について語り継がれ、作品について多くの研究がなされています。