アメリカ南部ミシシッピ州。南北戦争の壊滅的な敗北と奴隷制の崩壊がもたらしたもの。それは解決ではなくさらなる錯綜だった。架空の土地ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台に、過去と現在がぶつかりあう。やがて近代化の炎は、故郷の森林をすべて焼き尽くすように一変させる。なぜ、その題名は『八月の光』なのか、そしてフォークナーが、敗戦した日本人へ向けた言葉を考える。
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あらすじと解説
まずは簡単なあらすじから・・・
今にも産まれそうな大きなお腹を抱えて、自分を置きざりにした恋人を探すリーナ・グローヴ、白い肌のなかに黒人の血が流れていると噂され自己のアイデンティティに葛藤するジョー・クリスマス。最後まで交わることのないふたつの道に、様々な人生が絡み合う群像劇。
無垢なリーナ(20歳)は、ルーカス・バーチを追ってジェファソンの町にやってくる。名前が似た男を製板工場に訪ねたが、それはバイロン・バンチという男(35歳)で人違いだった。ここでバイロンはリーナに一目惚れしてしまう。
リーナが辿り着いたときに、街では事件が起こっていた。密造酒を売るジョー・クリスマスという男(33歳)が、町外れに住む女性を殺害し、屋敷に火を放ち逃げたらしい。リーナの恋人バーチはブラウンという偽名を名乗り、密売に加担していたが、殺人を知って告発し警察に協力をする。
クリスマスは捕まるが、脱走し、元牧師ハイタワーの家に逃げ込む。この老人は世間と関わることなく孤独に生きていたが、唯一バイロンとだけは親交があった。クリスマスを匿おうとするが、結局は銃で殴り倒される。クリスマスは、その後、見つかり殺される。
リーナは、クリスマスとブラウン(バーチ)が住んでいたジョアナの農園にある小屋で男の子を出産する。刑務所に入れられていたブラウン(バーチ)は、保安官に連れられてリーナに再会するが、赤ん坊を見て逃げてしまった。リーナは産れた赤ん坊と、バイロン(バンチ)とともに、新たな旅に出る。
それぞれの人生と血族の歴史が共振する物語
たくさんの登場人物が過去に苛まれながら現在を生きており、「内的独白」や「無意識の思考」が多く描かれ深層意識がうかがえます。さらに南部ゴシックという独特のグロテスクさ(人種的な偏見や独善的な態度)を味わされることにもなります。
オムニバス仕立てで、リーナ(陽=ポジティブ)とクリスマス(陰=ネガティブ)の明と暗の異なる人生に、他のキャラクターのそれぞれの人生が繋がっていきます。そこを先に紹介しますと、
リーナを孕ませて逃げた嘘つき男のルーカス・バーチ(ジョー・ブラウン)。
女たらしで軟弱な二枚目、6か月前に町にやってきたようです。軽薄でお調子者、無責任で自分都合な流れ者という設定でしょうか。この男がクリスマスと行動を伴にし悪事を働いています。偽名を使っており、
ジェファソンに来てからはブラウンと名乗っています。
この男に名前が似ているということで間違えられるバイロン・バンチ(35歳)。
バンチをバーチと音の響きで信じこんだようです。町の製板所で7年間、働いています。まだ女性を知らず、うだつは上がりませんが善良で心が優しい男です。バイロンはリーナに求婚し断られますが、いろいろと手助けをしてバーチを探して引き合わせます。
クリスマスの生い立ちから33歳までに大きく章がさかれています。ここで、関わった人々。そこには黒人差別と狂信的なキリスト主義があります。
父親のわからない私生児を産んだ母親ミリー、その黒い血を呪う祖父と不憫に思う祖母。その家系はハインズと呼ばれます。クリスマスの日に孤児院に捨てられ、その名で呼ばれ、原罪を背負った生き方として差別のテーマを貫いています。
辛い日々が始まる。何も知らない5歳のとき大人の情事を目撃し女性栄養士から虐められ施設を追いだされそうになる。その後、里親に引きとられる。養父は、宗教に凝り固まっており、悪の道に堕ちることのないよう厳しく育てる。養母は優しかったが、クリスマスはおせっかいにしか感じない。
年頃になり性に目覚め、18歳のとき町の怪しい居酒屋一味の30歳のウエィトレスと付き合う。その逢引きを養父に咎められ、育ての親を殴り殺して家を出る。こうしてジェファソンに辿り着く15年の間、様々な州を、町を、仕事を転々とし、破滅的な生き方のなかで自身のアイデンティティの不安定に苦しむそんなジョー・クリスマスと彼に関わった人々との物語が続く。
そして33歳のときに、ジェファソンにやってくる。
ここで黒人を支援するジョアナ・バーデン(44歳)と出会う。彼女は、南部の軍人に殺された祖父と兄の遺志を継いで黒人差別に反対する活動を行う。父親から、神が黒人に呪いをかけ、白人は黒人から呪いを受け、そして神は黒人を愛した、と教えられる。ある時、侵入してきたクリスマスを家に招き入れ肉体関係を持ち、倒錯した性に目覚める。やがてクリスマスに自身の後継者となるよう強要する。
断るクリスマスに対して神にひざまずくように命じ、拒絶するクリスマスに二人して死のうとして拳銃を向けるが、逆に首を切られ殺されてしまう。その愛憎は、アメリカ北部(ニューイングランド)に渡り、その後、南部に移住して、この地に生まれた名家の出自の老いゆく女性の愛を求める孤独であり、真面目な黒人になることなど眼中にないクリスマスの孤独とのぶつかりあいでした。愛のある人生を強要するジョアナは敗北します。
フランス人と混血だった父親がジョアナに語った人は自分の生まれた土地から教えられたように行動する以外にないという言葉が印象的です。
このジョアナの殺人の捜査で、1000ドルの賞金欲しさにクリスマスを裏切るブラウン、この男がリーナを捨てた(ルーカス・)バーチである。
元牧師の老いたゲイル・ハイタワー。彼は南北戦争で死んだ祖父を英雄(実際は異なる)として、説教に混ぜて話すので人々の不評を買い、さらに妻の不倫と自殺で教会を追われ、世捨て人として隠遁生活をする。そのなかで唯一、バイロンと親交があった。バイロンは、クリスマスの祖父母であるハインズ夫妻を引き合わせる。
クリスマスの呪われた生が明かされ赦しが求められる。ハイタワーは、クリスマスのアリバイの偽証を求められるが、これをことわる。
それでもバイロンに懇願されて、バーチが来るのを小屋で待つリーナのもとを訪れハイタワーは、ハインズ婦人と共にリーナの赤子を産婆として取り上げる。
このことでハイタワーはもう一度、人間たちの世界と関わろうと思う。
ハイタワーは思う
力強い種族が宿命に静かに身を委ねてこのよき地で殖えるんだ。それは生命の誕生がすべてを新たにしてくれるように。ハイタワーは、神を信じる人生を取り戻すのでした。
それぞれの人間が、ジェファソンという場所でめぐりあう。土地と血族。それぞれに逃れることのできない過去から追われる者たちである。
クリスマスという悲劇とリーナという希望
リーナとクリスマスのふたつの道は、女たちと男たちの人生の捉え方とも言えるかもしれない。女たちは強いが、男たちはどこか過去に呪われている。
その最大の理由は戦争の敗北である、次が、伝統や慣習の破壊となる。近代化や人種差別、キリスト教、自我の問題などが180度の価値転換で吹き上がる。
その核心部分であるジョー・クリスマスの悲劇を考えてみたい。
「白人の外見だが、黒人の血が流れている」という言葉が象徴的である。社会からの差別によって、クリスマスの心の奥底が強調されている。「クリスマスのアイデンティティの問題」ということになる。
自分は黒人であると思っているクリスマスは、外見が白人に見えることに対して、自ら自分は黒人だと、あえて迫害の対象になろうとする。このクリスマスの心情は、本人以外にはわからないだろう。
「自分が何者かわからない」クリスマスは、結局は、どこにも辿りつくことなく円の淵をぐるぐる回わりながら、ひとつの未来へ近づいている。悪循環のスパイラルである。行きつく先は「死」であり、まるで自ら死に急いでいるかのようだ。
北部の売春宿での印象深い場面。
自分が黒人だと打ち明けると、白人の売春婦はクリスマスをイタリア系かなんかだと思ったと言い、「それがどうしたのよ。あんた、まあまあ見られる男じゃない。あんたのすぐ前に来た黒んぼなんかすごかったわよ」と気遣った言葉を返す。
(この言葉は差別語ですが、作品の本文をそのまま引用しています)
するとクリスマスは、この売春婦(白人)を死ぬほど殴りつける。
南北戦争に敗北し、南部は「奴隷解放」がなされたとはいえ、相変わらず、学校であれ、乗り物であれ、トイレであれ、白人用と黒人用とが別れていた時代。
「黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限した法律」ジム・クロウ法があった。
「黒人の血が混合している者は全て黒人とみなす」というワンドロップ・ルール。
南部は敗北によって、結果的には、さらに白人至上主義と人種差別が過激化する。
北部は異なりました。では平等(人種を気にしない)で良いではないか。いったい、クリスマスの怒りはどこからきているのか。
この売春婦(白人)の言葉、「気にしない」というニュアンスのなかには、「平等」というよりも「無関心」に近いのでは、それは無視、つまり非存在と同じことです。
「アプリオリに実存の問題」なのです。クリスマスは、差別的な扱いに、耐えながら、やがて自身が何か大きな過ちを起こすと確信し続けてきました。
俺に何かが起きかけている。おれは何かをしようとしている。
それはクリスマスの身体を突き破り出て来る情念でしょう。実存の証かもしれません。クリスマスの孤独の根底には、「存在」と「喪失」があります。つまり「平等」という名のもとに、消せないもの、消されてはならないもの。
ジョアナの殺害を知り、クリスマスの祖父ドク・ハインズは人々にリンチ(私刑)をけしかけ扇動する。脱走してハイタワーの家に逃げ込んだクリスマスを、州の若い軍人グリムは射殺して、局部を切除する。クリスマスの血が天に吹き上がる。
ある意味ではクリスマスは、自分のなかに流れる白い血と黒い血の葛藤に殺されたのです
それはやっと鎮まることのできたクリスマスの荒ぶる魂の解放であり、白人の狂信的な排外主義の絶望の瞬間です。この死は、人々の記憶に強く刻印されることでしょう。
作品には、聖書を暗示する箇所が随所に見られます。物語のなかでリーナとクリスマスが遭遇する場面はありません。しかし、“クリスマスの死”に呼応するように“リーナの懐妊”となり、新しい生命が誕生する。それは死と復活のようでもあります。
唯一、前に歩き続けるのがリーナです。
物語は、『あたしはアラバマからやってきた。遠くまで来たものね。はるばるアラバマから歩いてきた。ほんとに遠くまで来たものね』という声ではじまり、身重な体で、恋人を探しにやってくる。
道ゆきには親切心があった。男たちは世話を焼き、女たちは同情する。人々に感謝しながらも、リーナは超然としている。
そして物語の終りには、『まあまあ。人間ってほんとうにあちこちに行けるものなのね。アラバマを出てまだふた月なのに、もうテネシーだなんて』と赤ん坊を産んで、未来に向かうシーンで閉じられる。
作品のなかで、彼女が語る場面は多くはありません。しかしこの最初と最後の言葉が、物語全体の救いとなっている。リーナの存在によって、新たな生命の誕生が希望となる。どんな困難にも屈しない強さを持って、道ある限り未来を目指しているようです。