戦時中、安全を求め転々と疎開する家族。落下する焼夷弾に怯えながらも、防空壕の中で子どもを抱きあやしながら絵本を読み聞かす太宰が考えた新説、お伽噺し。面白くて、可笑しくて、滑稽で、風刺的。「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」を1作ずつ紹介。読者を楽しませる想像力と空想力、物語作家としての創作力が素晴らしい。
登場人物
兎
十六歳の無垢で純真な美少女、少女特有の残酷さを持っている。
狸
三十七歳の醜悪大食な中年男、可愛い兎の少女に恋をしている。
父 読み手(太宰)
防空壕のなかで、子どもに絵本を読み聞かせながら新説のお伽噺を創作する。
あらすじ
話し伝えられる昔話には、いろいろなストーリーや類型があり、同じような話は日本だけでなく世界にあります。まず典型を確認して太宰流の新説を味わっていきます。
典型的な「カチカチ山」のお話。
悪知恵のはたらく狸は、翁の畑を荒らして食物を盗み食べる。翁は狸を捕まえ狸汁にするようにと媼に伝え畑に戻る。改心の情を装う狸は媼に縄を解かせて、逆に撲殺し婆汁をつくり狸は媼に化ける。
知らずに婆汁を食べた翁を冷やかし山に帰っていった。翁は仲良しの兎に仇討ちを相談する。兎はタヌキの成敗にでかける。
金儲けを口実に柴刈りに誘い背負った柴に火をつける。「カチカチ」という火打ち石の音が気になる狸に、ここはカチカチ山といってごまかしタヌキに火傷を負わせる。そして傷に効くとトウガラシ入りの味噌をすりこませ、さらに痛みは増す。
しまいには狸の食い意地に目を付けて漁に誘い出し、欲張りな狸は木の船よりも大きな泥の船に乗り漁に出る。泥の船は溶けて沈み始め、助けを求める狸に兎は櫂で溺れ死にさせる。
めでたくウサギは媼の仇を討つ。
新説、太宰のカチカチ山は十六歳の美少女と醜悪大食の中年男の話。
それでは太宰の新説、「カチカチ山」のお話の始まりです。
カチカチ山は “兎は少女で、狸は少女に恋する醜男” というのが疑いのない事実だ。
これは富士五湖の河口湖畔の出来事で甲州の人情は荒っぽいが、それにしても発端となる婆汁などは、あまりにひどすぎて児童読物としてはふさわしくない。
改訂版は狸が婆さんに怪我を負わして逃げたとされているが、そうだとすれば兎の狸に対する懲罰は執拗すぎる。生殺しにしてなぶって最後は泥船で沈めてしまう。
発売禁止を顧慮して婆さんには、狸汁ではなく軽い怪我をさせたと改訂されており、そのわりには狸への数々の恥辱と苦痛、そしてぶていさい極まる溺死とは、やや不当な感じがするではないか。
どうもこの仇討ちの仕方は男らしくない。子供でも大人でも正義に憧れている人間には、不快の情を覚える。私は考え、そして分かった。この兎は十六歳の処女なのだ。
人間のうちで最も残酷なタイプだ、ギリシア神話の月の女神アルテミスのような。
このような女に惚れたら男は大恥辱を受けるに決まっている。それでも愚鈍な男ほどこんな危険な女性に惚れ込みやすい。気の毒な狸とは、アルテミス型の少女に思慕の情を寄せていた中年男なのだ。
アルテミス型の少女から、愚鈍大食の男は悲惨な仕打ちを受ける。
狸は爺さんに捕らえられ狸汁にされるところを逃げ出す。それを得意満面に兎に話す。しかし兎は「あの爺さんと婆さんは仲良しで美味しいお豆をいただいたりする友達で、あなたこそが敵だ」と言う。
この時すでに兎には復讐心があり、処女の怒りは辛辣である、まして醜悪で魯鈍な者に対しては容赦がない。適当に謝りながらも、木の実を拾い食いする狸を兎は助平で食い意地が汚いと蔑み、トカゲやうんこを食べたことなどを指摘し身をひいてしまう。
それから兎は眼を輝かせながら「一度だけ許してあげるけど、それには条件がある」という。それは爺さんが落胆して山に柴刈りに行く気力が無いので、私たちが代わりに柴刈りに行って手伝ってあげようというもの。
当然、狸は柴を刈って爺さんの家に届けることで、兎の気をひこうと賛同する。
兎は狸を柴刈に誘い、カチカチ山と嘘をつき背中を燃やす。
夏の朝はすがすがしい。河口湖の湖面は朝露に覆われていた。
山頂では狸と兎がせっせと柴を刈る。狸は一心不乱どころか半狂乱に近いあさましい有様で鎌を振り回す。大労働を見せつけ、弁当に手を伸ばす。弁当の中身は相変わらずグロテスクだが、兎は無言で、技巧的な微笑みを浮かべ、狸の狂態を知らんふりして見逃している。
お昼近くになり、それぞれに刈った柴を背負って帰途につく。蛇が怖いといって狸を先頭に、兎が後方に歩き出す。何だかカチ、カチと背後で音がする。
狸が兎に聞くと「当り前じゃない、ここはカチカチ山だもの」と言う。狸はこの山に来て三十何年になるが、こんな音を聞いたことが無いという。
兎はそれを聞き、狸がまえに自分は十七歳と嘘をついたことを責める。「ああ、いやそれは兄の話」だと狸は胡麻化して話しているうちに、なんだかキナくさい。
そのうちに背中の柴がボウボウと燃えていることを知り「あちちちち」と狼狽える。
薬屋を装う兎は、狸の火傷の傷跡にトウガラシを擦りこむ。
翌日、狸は火傷の痛みで穴の中で唸る。そうして「おれは死ぬのではないか」と悲観し「これまで自分の男振りのせいで女が自分に近づけない、俺は高邁な理想主義者ではないのに女どもが遠慮する」などと自意識を過剰に口走る。
実はことし三十七歳になる狸だが、いままでカチカチ山やボウボウ山など体験したことが無く、不思議がっていることころに薬売りの行商がやってきた。
「やけど、切り傷、色黒に悩むかたに “仙金膏” 」と呼ぶ声がする。
薬売りは背中の火傷のひどさを心配する。薬売りは兎だが何でも男の薬売りの兎で、三十年間、この辺りを売り歩いているという。「カチカチのボウボウ山は気をつけな」という狸に、兎は思わず、くすくすっと笑う。
美しい高ぶった処女の残忍性は限りが無い。平然と立ち上がり狸の火傷に唐辛子を練ったものをこってりと塗る、狸は苦しみのあまり哀れなうわ言を口走り、ぐったりと失神してしまった。
狸は兎に作ってもらった泥舟に乗って、溺死してしまいます。
全快した狸が兎を訪ねてくる。またもや兎は悪魔的な一計を案出する。
河口湖においしい鮒がいることを話す。兎は「あなたが、鮒がすきなら一緒に獲りに行ってあげてもいい」という。網ですくえば簡単だからと言い、舟を漕げると法螺を吹く狸を信じたふりをして、兎は狸のために頑丈に泥をこねた舟を作ってあげるという。
ふたりは揃って湖畔に出る。ウサギは早速、泥をこねて粘土の舟をつくる。狸は兎のような器用な働き者を女房にしたら遊びながら贅沢ができるのではと色気に加え欲気まで出てきた。
夕景をうっとり望見し「おお、いい景色」と兎がいう。どんな極悪人でも残虐な犯罪を行う直前に山水の美に見とれる余裕などないはずだが、この十六歳の美しい処女は目を細めて鑑賞している。無邪気と悪魔は紙一重である。
「ひゃあ!水だ水だ」と悲鳴を上げる狸。「うるさいわね、泥の舟だからどうせ沈むわ」と言う兎。
必死にすがる狸は兎の櫂を掴もうとするが、兎は櫂で狸の頭を殴る。狸は兎の悪計を見抜くが既に遅かった。ぽかんぽかんと無慈悲の櫂が頭上に降る。
狸はぐっと沈んでしまった。
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