美しく完璧な耳を持つ彼女と僕は、鼠の写真にうつる「星形の斑紋のある羊」を探しに北海道にやってくる。右翼の大物秘書、羊博士と緬羊牧場の歴史、謎の羊男。知らされた羊の正体。欲望の現象界に抗い、道徳に殉じ死を選び叡智界に漂う鼠の霊との対話。そして僕の旅は終わる。鼠三部作の完結編。
登場人物
僕
1948年12月24日生まれ、29歳。相棒と共同経営で広告・PRの仕事をする。
相棒
30歳、大学時代からの友人。卒業後「僕」と一緒に翻訳事務所を立ち上げる。
妻
25歳、会社の同僚だった。4年後の1978年6月に浮気が原因で「僕」と離婚する。
ガールフレンド
21歳、完璧な耳を持つ女の子。耳のモデル兼、アルバイト校正兼、高級コールガール。
先生
右翼の大物で、北海道十二滝町の生まれ。羊が入りこみ政界と広告業界を牛耳る。
先生の秘書
第一秘書でナンバー・ツー。12年前から組織で働くスタンフォード大卒の日系二世。
先生の運転手
「僕」の飼い猫を預かり “いわし” と名付ける。いつも神様に電話をかけている。
鼠
29歳、「僕」の親友。1973年に故郷を出て自分探しに向かい、多くの街を放浪している。
鼠の恋人
33歳、1973年に鼠と別れる。付き合ったのは二ヵ月で、鼠は彼女に黙って去っていった。
羊博士
73歳、東大から農水省。来満し緬羊視察後、羊が入りこむ。羊抜け後は、いるかホテルに住む。
いるかホテル支配人
羊博士の息子。頭が禿げかけた中年で、左手の小指と中指の第二関節から先がない。
羊男
羊の皮を頭から被っている。十二滝町生まれで、戦争に行くのが嫌で隠れて暮らす。
誰とでも寝る女の子
僕が17歳の時、彼女と出会い、25歳で死ぬといい僕と一年付き合い、26歳で死ぬ。
※文中のページ表記は、村上春樹 講談社文庫<羊をめぐる冒険>から
あらすじ
妻が出て行った。その後、僕は美しく完璧な耳を持った女の子と付き合う。やがて謎の右翼の大物の秘書が現れ、僕は背中に“星の斑紋のある”羊を探しに彼女と北海道の奥地に向かう。そこで出会った羊博士と緬羊牧場の歴史、不思議な羊男。やがて僕は鼠と再会する。しかしすでに鼠は死んでいた。羊とは何なのか? 鼠は、何故、死んでしまったのか?
一九六九年の秋、僕は “誰とでも寝る女の子” に会う。僕は二十歳で、彼女は一七歳。翌年の秋に初めて彼女と寝た。彼女は二十五歳まで生き「そして死ぬの」と言い、一九七八年七月に二十六歳で死んだ。
葬式の翌朝、「あなたのことは今でも好きよ」と言い残して妻が出て行った。彼女が僕の友人と浮気をしたのが原因だから、離婚は彼女自身の問題だと僕は思う。僕は生まれた時も一人で、ずっと一人ぼっちで、これから先も一人のような気がした。僕は誰とも結婚すべきではなかった。あるものは忘れられ、あるものは姿を消し、あるものは死ぬ。そこに悲劇的な要素などない。二十四日、午前八時二十五分、結婚生活は終わった。
妻と別れた八月の始めに、美しい耳を持つ二十一歳の彼女とめぐり逢った。九月の昼下がり、仕事を休んで彼女の髪をいじり鯨のペニスのことを考えてると、彼女は「あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」と言い、はっか煙草を吸いながら「羊のことよ」と言った。彼女には未来を予知する能力があるようだ。そして羊の冒険が始まった。
僕は右翼の大物の秘書と会い、広告に使った写真の羊を探してほしいと依頼を受ける。写真は鼠からの手紙に同封されていたもので、山を背景に白樺と羊の群れが写り、その中の一匹の『背中に星形の斑紋』のある羊を探さなければならなかった。「羊が探し出せれば、欲しいだけの報酬を出す。依頼を拒めば、全てを失う」と脅される。僕は彼女に諭されて一緒に北海道に向かう。
そこで羊博士と出会い緬羊牧場のことを知り、奥地の別荘に向かう。そこに謎の羊男が現れ、彼女は追い返される。ついに僕は鼠と再会するが、鼠は既に死んでいた。羊は、“根源的な悪そのもの” で、選ばれた人間に入り込み一体化する。僕らを引き寄せたものは何だったのか? 何故、鼠は死ななければならなかったのか? やがて全ての謎は解ける。僕は、山の別荘が爆発するのを見届けて、故郷に戻りジェイに報告をする。一九八二年秋、僕の青春の旅は終わった。
解説
村上春樹の鼠三部作の完結編が『羊をめぐる冒険』。初めての長編です。故郷を旅だった鼠のその後が描かれます。主要な登場人物は、「僕」「離婚した妻」「美しい耳を持つガールフレンド」「羊男」「鼠」。ここで村上春樹の以降の作品の中心テーマとなる現実の<こちら側>の世界と異界の<あちら側>の世界の構造が登場します。
僕は内省的な人間で、自己本位な生き方で自律している。
「新聞で偶然彼女の死を知った友人が、電話で僕にそれを教えてくれた」(上_9P)
誰かの運転するトラックが誰かを轢いた。轢かれたのは彼女である。-昔あるところに、“誰とでも寝る女の子” がいた、それが彼女の名前である。というところから物語は始まる。名前を伏せることで、アイデンティティを消し去っています。
「もちろん誰とだっていいってわけじゃないのよ。嫌だなって思う時もあるわ。でもね、結局のところ私はいろんな人を知りたいのかもしれない。あるいは、私にとっての世界の成り立ち方のようなものをね」(上_14P)
相手のアイデンティも伏せられている。新聞記事には名前が掲載されているのに、僕も彼女の名前を忘れてしまったことにしている。
そしてあの不器用な一九六〇年代もかたかたという軋んだ音を立てながらまさに幕を閉じようとしていた。(上_12P)
思想やイデオロギーが沸騰した時代だった。そんな政治の時代が終わろうとしている、学生をはじめ反対運動に加わった多くの個の集合である大衆は体制に向かい立ち上ったが、その本質を見失い、やがて馬鹿騒ぎを止めて何もなかったかのように日常に帰っていった。何を知り、如何なる成り立ちを学んだのだろうか。
そして一九七〇年の秋には、目に映る何もかもが物哀しく色褪せていくと記している。
一九七〇年十一月二十五日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきり覚えている。(上_12P)
大きな事件だった。この日、三島由紀夫が自決した。村上春樹と三島由紀夫は二十五歳ほど歳の差がある。この衝撃的な出来事は無視できないはずである。この「羊をめぐる冒険」のモチーフには、“憂国” の二・二六事件や “仮面の告白” の内面の生体解剖そして “豊饒の海” の輪廻転生の因果律などに対するカウンター的な要素が込められている。
「本当にしゃべりいたいことは、うまくしゃべれないものね。そう思わない?」「わからないな」と僕は言った。(中略)「何が起こったのか自分でもまだうまくつかめないだけなんだよ。僕はいろいろなことをできるだけ公平につかみたいと思っている。必要以上に誇張したり、必要以上に現実的になったりしたくない。でもそれには時間がかかるんだ」(上_20-21P)
ヒロイズムを否定しシニカルに表現されている。“三島事件”を通しての世の中との向き合い。それは、虚無ではなく、誠実であり謙虚である。国家ではなく個人。結果的に、村上は分岐点となる文学を牽引したことになる。喪失感の中のセンチメンタルジャーニー、新たな内なる意識と捉えることもできる。
一九七八年七月彼女は二十六で死んだ。(上_24P)
三島の大義に殉ずる死の儀式に対して、彼女の死はとても個人的であり、無名である。
六十九年の秋、彼女が十七歳の時に、二十歳の僕と初めて会った。一年後の七十年の秋、はじめて寝た。「二十五まで生きるの」と彼女は言っていた。そして死んだのは二十六だった。彼女は一年長く生きた。その理由は何か。それは彼女の時間の中で「僕」との時間が、彼女なりの「世界の成り立ち方を知る」ことができた時間だったのだ。
起こった現実を受け入れて、他者と距離を保つデタッチメント。
世界を悟っているように感じさせる主人公の「僕」。自己本位で現実的で、孤独を愛する性格が対人関係に距離を置く。“誰とでも寝る女の子” も「僕」との関係だけは違っていた。葬式を終えて帰った翌日、既に離婚手続きを済ませ部屋の整理に来ていた妻が言う。
「でもあなたとは別だったんでしょ?」(中略)「あなたには何か、そういったところがあるのよ。砂時計と同じね。砂がなくなってしまうと必ず誰かがやってきてひっくり返していくの」(上_36P)
自己本位の強すぎる性格で、距離を保ち他人に近寄らない。お互いの考え方の違いのまま、一定の時間や空間を共有する。望んでやっているのではなく、そういう性質なのだ。
だからその時間が終わると、また次の時間がやってくる。
「あなたのことは今でも好きよ。でも、きっとそういう問題でもないのね。それは自分でもよくわかっているのよ」(上_38P)
そう言って、彼女は出て行った。そして「僕」は思う。
まるで生まれた時も一人で、ずっと一人ぼっちで、これから先も一人というような気がした。(上_40P)
妻は僕の友人と浮気をして肉体関係を持った。それが離婚の原因。しかし「僕」は、そのことは結局、彼女の問題だと思う、彼女の問題として、別れたくなければ、別れなくていいと思っている。この考え方は、彼女個人ではなく夫婦の問題と捉えれば、心情として同意は難しいが、現実的な論理としては合理である。
既に起こってしまったことは起こってしまったことなのだ。我々がこの四年間どれだけうまくやってきたとしても、それはもうたいした問題ではなくなっていた。(上_42P)
そして他人と感情を共有しない強い個人主義からか、以下に続く。
その殆どは僕の責任だった。おそらく僕は誰とも結婚するべきではなかったのだ。少なくとも彼女は僕と結婚するべきではなかった。(上_42P)
問題は彼女にあるが、責任は自分にあるとする。自己本位だが、自律心が強く内省的だ。そういえば、故郷のバーで、ジェイがこんなことを言っていた。
「昔からそんな気がしたよ。優しい子なのにね、あんたにはなんていうか、どっかに悟り切ったような部分があるよ。・・・・・別に悪く言っているんじゃない。」(風の歌を聴け_112P)
素敵な耳を持った女の子は「羊のことよ」といった。
発端はP生命会社のPR雑誌の仕事で、巨大な耳の三枚の写真を使ったことだった。その耳は、夢のような耳の形をした100%の耳だった。興味を持った僕は、妻と別れた八月の始めに、耳専門のモデルをする彼女と会った。会って30分で付き合い始める。彼女は二十一歳で素敵な体と魔力的なほどに完璧な形をした一組の耳を持っていた。
彼女は十二の齢から一度も耳を出したことがないという。
「閉鎖された耳は死んだ耳なの。私が自分で耳を殺すのよ。つまり、意識的に通路を分断してしまうことなんだけど‥‥わかるかしら?」(上_65P)
モデルの仕事の時に出す耳は本当の耳ではなく、閉鎖された耳なのだという。
「あなたのために耳を出してもいいわ」(中略)「あなたの退屈さはあなたが考えているほど強固なものじゃないかもしれないということよ」(上_72P)
彼女が耳を開放した。非現実的なまでに美しかった。全てが宇宙のように膨張し、同時に全てが厚い氷河の中に凝縮されていた。全てが傲慢なまでに誇張され、そして全てが削ぎ落とされていた。彼女の耳の能力は特別なものがあるのだ。
「これが耳を開放した状態なの」(上_74P)
「君はすごいよ」と僕が言うと、「知っているわ」と彼女は言った。僕は、彼女が僕を特別扱いしている理由が分からない。他人に比べて僕に特に優れたり変わったりしている点があるとは思えない。そこで僕は彼女に確認をすると、
「それはあなたが自分自身の半分でしか生きてないからよ」と彼女はあっさりと言った。(上_77P)
九月の昼下がり、仕事を休んで彼女の髪をいじりながら鯨のペニスのことを考えていた。すると彼女が言う。
「ねえ、あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」(上_79P)
彼女は、耳を全開にすることで、未来を予知することができる。
「羊のことよ」と彼女は言った。「たくさんの羊と一頭の羊」「羊?」「そして冒険が始まるの」(上_80P)
右翼の大物と秘書、そして星の斑紋のある羊の写真。
男は九月の朝、十一時に事務所にやって来たという。年は三十代半ばから四十にかけてで、身長は百七十五センチあまり、余分な肉は一グラムもない。端正な顔だちで無表情で平板だった。僕は留守で、相棒が対応した。
男は名刺を出して、相棒が確認するとすぐに名刺を焼き捨てさせた。名刺の人物は、この世界では有名な右翼の大物だった。男は全権を委任されて来ているという。
相棒の話では男の希望は二つ、第一は “P生命のPR誌の発行を即刻中止する事” 、第二に “僕と話がしたい” ということだった。男が出した紙片は、確かに我々の事務所で製作した生命保険会社のグラビアページのコピーだった。北海道の平凡な風景写真―雲と山と羊と草原ー、そしてぱっとしない牧歌的な詩、それだけだ。
「もし希望を叶えていただけなければ」と男は言った。「あなた方はどのみちアウトです。これから先ずっと、この世界にあなた方の入る込む場所はありません」(上_102P)
つまりこの写真が問題なのだという。相棒が言うには、その右翼の先生というのは、
一九一三年に北海道で生まれ、小学校を出ると東京に出て転々と職を変え、右翼になった。一度、刑務所に入ったと思う。刑務所から出て満州に移り、関東軍の参謀クラスと仲良くなって、謀略機関の組織を作った(中略) 麻薬を扱っていたという噂だが、たぶんそのとおりだろう。そして中国大陸を荒し廻った後で、ソ連が参戦する二週間前に駆逐艦に乗って本土に引き上げてきた。抱えきれない貴金属と一緒にね」(中略)「とにかく彼はその金で政党と広告を押え、その構造は今でも続いている。彼が表面に出ないのは、出る必要がないからなんだ。広告業界と政権政党の中枢を握っていれば、できないことはまずないからね。」(上_106P)
でもそんな大物が、たかだかPR雑誌を何故、気にするのかが分からない。相棒の話では、先生が脳卒中で倒れ再起不能になっており、やって来た使者は先生の第一秘書で組織の現実的な運営を任されているナンバー・ツーということだった。
写真に仕掛けられた僕との再会と、ジェイや恋人への別れの言伝。
一九七七年十二月二十一日の消印で、鼠は僕に手紙を送る。
僕の欠陥は僕の欠陥が年を追うごとにどんどん大きくなっていくことにある(中略)欠陥をかかえこんだまま人間は生きて行けるのだろうか?もちろん生きていける。結局のところ、それが問題なんだね。(上_131P)
鼠は二十九歳になっている。長い放浪生活に必要なものは、宗教的な性向か、芸術的な性向か、精神的な性向かであると考えている。
そしていつものように、鼠からの手紙は十二月二十四日に着くように送られてきた。そして誕生日おめでとう、ホワイトクリスマスと書いてあった。
鼠からの次の手紙は、消印は一九七八年五月の消印。
鼠は北海道に来ている。それはひとつの終結点。来たるべくしてここに来たような気もするし、流れに逆らって来たという気もすると書いてある。そして、鼠は僕にふたつの頼みをする。
ひとつは、ジェイと、付き合っていた女の子に、さよならを言い忘れたので、伝えてほしいということ。もうひとつは、同封された一枚の羊の写真。これをどこでもいいから人目のつくところに持ち出してほしいという内容だった。
それは、別れの挨拶であり、鼠のけじめであると同時に、僕を鼠の最後に立ち会わせる大きな仕掛けとなっている。
僕は四年ぶりに故郷に帰り、ジェイと会う。ジェイの三代目の店は、ビルの三階。ジェイという名前はアメリカ兵がつけた名前。本名は長たらしくて発音しにくい中国名だった。一九五四年に基地の仕事をやめて近くに小さなバーを開き、五年後に伴侶が死んで、六十三年に僕の「街」にやってきた。そして二代目のジェイズ・バーを開いた。
僕は、変わりゆく景色に「昔なら海が見えたね」というと、ジェイが「そうだね」と言う。そして、
「気持ちはよく分かるよ。山を崩して家を建て、その土を海まで運んで埋めたて、そこにまた家を建てたんだ。そういうのを立派なことだと考えている連中がまだいるんだ」(上_153P)
川沿いから海に向かう場所は、『風の歌を聴け』で、僕と鼠が最初に出会った場所でもある。二人は半ダースのビールを飲み海を眺めた。
そして、ジェイに子供はつくらないのと問われ、僕は欲しくないと答える。
「生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからないってことさ。子供が成長し、世代が交代する。それでどうなる?もっと山が切り崩されてもっと海が埋めたてられる」(上_153P)
僕みたいな子供が産まれたら、きっとどうしていいかわからないだろう。
この部分は決して悲観や虚無ではなく、高度経済成長の結果として自然の破壊や環境の汚染などの現実と、故郷の原風景への懐古、そして変わりゆく時代を消極的に受容れる姿である。無常の悟りに近い。
そして僕は、鼠が別れを伝えなかった彼女に会いに行く。そこで、
「あの人がどこかに消えちゃったのが五年前、私はその時二十七だったわ」(中略)「五年たてばいろんなことはすっかり変わっちゃうのよ」(中略)「本当は何も変わっていないとしても、そういう風には思えないのよ。思いたくないのね。そう思っちゃうと、もうどこにも行けないのよ。だから自分ではすっかり変わっちゃたんだと思うようにしてるの」(上_165P)
と言われる。彼女は鼠と別れた後、3ヵ月集中して待ってその後、忘れたという。
「私の非現実性を打ち破るためには、あの人の非現実性が必要なんだって気がしたのよ」(上_176P)
人は、それぞれに誰かを利用し、誰かに利用され、それぞれに何かを発見して、何かを喪失していく。
こうして、ジェイと付き合っていた女の子。鼠のふたつの依頼を僕は果たした。
星形の斑紋の羊が入り込み、先生は右翼の大物となった。
僕は広い屋敷に連れていかれて、黒服の秘書と面談する。男は僕に正直に話すという。雑誌に載った羊の写真をみせて、
「我々が欲しいのは三つの情報なんだ。君がどこで、誰からこの写真を受取ったか、そしていったいなんのつもりでこんな下手な写真を雑誌に使ったのか、だ」(上_188P)
そして男から羊の写真をよく見るように言われて、一頭だけが違うことがわかる。
「星形の紋様だよ。これと比べてくれ」(上_194P)
と言い、男は羊の絵のコピーとデュポン・ライターの紋様と同じであることを示した。
そして男の話は始まった。
現在、この屋敷の中で一人の老人が死にかけている、原因は脳の中に巨大な血の瘤があり、それが爆発すると脳の機能が停止する。その血瘤が発見されたのは一九四六年の秋で、アメリカの軍医がA級戦犯の健康調査を行っていた時で、理論的には死んでいるはずの人間が生きている。
血瘤が発生したのは一九三六年。四十日間周期で三日間、頭痛がくる。それを麻薬で緩和するが、奇妙な幻覚をもたらせた。極秘調査が進められ米国調査部まで乗り出した。その調査の理由として、ひとつは調査の名前を借りた事情聴取で、諜報ルートと阿片ルートの掌握。第二に右翼トップとしてのエキセントリシティと血瘤の相関関係。第三の可能性は『洗脳』。しかし全ては歴史に葬り去られた。
血瘤に対して奇妙な事実があり、一九三六年の春を境に先生は別の人間に生まれ変わった。凡庸な右翼から、一九三六年の夏に刑務所を出ると同時に右翼トップに躍り出た。
人心を掌握するカリスマ性、綿密な論理性、熱狂的な反応を呼び起こす演説能力、政治的な予知能力、決断力、そして大衆の弱点をてこにして社会を動かす能力だ。(上_202P)
血瘤が生じた時期と彼が奇蹟的な自己変革を遂げた時期が実に一致しているということだ。