坂口安吾『白痴』解説|肉体と本能のなかに、失った魂を呼び戻す

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舞台は、戦争末期の日本。敗色濃厚のなか、次々に都市は廃墟と化していく。会社にも希望はなく、生きる糧を得るために働く卑小な暮らしの中、白痴の女と暮らし始める伊沢。それは女の肉体に魂を呼び戻したいとする孤独な姿だった。戦争の狂気と破壊に晒され、死に向かう絶望する日々。ついに運命の日、大空襲が眼前に訪れる。逃げまどう人々のなかで伊沢が見た白痴の女の人間性に、二人の意志が通う瞬間。堕ちてこそ、魂の回復があると唱えた「堕落論」の小説版。

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登場人物

伊沢
二十七歳で独身、文化映画会社の見習い演出家で商店街裏の仕立て屋の離れに住む。

白痴 (サヨ)
二十五歳位で気違いの女房、四国から来て家柄が良さそうで美しく静かで大人しい女。

仕立て屋夫婦 (主人夫婦)
伊沢に離れの部屋を、天井裏に母娘を間借りさせる家主。お針の先生もやっている。

気違い
三十歳前後の美男子で白痴の夫、伊沢の隣人で資産家で読書に疲れたような風貌。

気違いの母親
唯一の正気、普段は品のよい婆さんだが怒ると気違い以上のヒステリーを見せる。

勤め先の上司や同僚
部長も社長も時世で芸術は無力だと考え、社員は芸術家気取りのつまらぬ人間たち。

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解説

東京大空襲と呼ばれる、無差別攻撃が続きます。なかでも1945年(昭和20年)3月10日は死者10万人、罹災者100万人という大規模なものでした。続いて4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日と5回にわたって続きました。この物語は、無辜の民を襲った戦争という巨大な運命のなかで、魂を失ったひとりの芸術家が、理性を持たない白痴の女によって魂を呼び戻される姿を描きます。

そこは人間と家畜が同じように暮らす、場末の荒んだカオス

その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない

伊沢が暮らす場末の商店街の生態は、人間と家畜が同じだった。

建物の階下には主人夫婦、仕立屋で、町会の役員もやっている。天井裏は母と娘が間借りして、娘は相手が知れぬ子供を孕んでいる。伊沢の借りる一室は、以前は肺病の息子が寝ていた。

露地の出口には煙草屋があって、五十五の婆さんが七人目だか八人目だかの情夫を追い出し、代わりは坊主がいいかと煩悶中で、小金を持った未亡人の家では、兄と妹の実の兄妹が夫婦の関係を結んでいる。

一帯に安アパートが林立し、妾と淫売が住み、半数以上は軍需工場の寮で挺身隊の集団が愛人となっている。さらには人殺しが商売の支那浪人や豪奢な生活をする海軍少尉が住む。又、道筋の百貨店は戦争で商品がなく休業中で、二階では連日賭場が開かれている。

伊沢は大学を卒業し新聞記者となり、その後、文化映画の見習い演出家となった。二十七歳のわりに世間の裏側に幾分精通していたが、“これほどまで” とは想像しなかった。

最大の人物は伊沢の隣人で気違いだった。三十前後で、資産家。母親と二十五、六歳の女房があった。母親は相当のヒステリー、女房は白痴でオサヨといった。

気違いは風采堂々たる好男子で、女房も家柄が良く上品で、美男美女。

この気違いは、奇行が多いが、露地の女どもの下品な声や、姉妹の淫売に比べると、本質的に慎み深く静かで思索的に思われ、伊沢は一目おいていた。

白痴の女房は特別静かでおとなしかった。言葉は意味がはっきりせず、米を炊くこともできず、そこが不服なヒステリーな母親にいつも怯え、おどおどしていた。

この伊沢の生活圏の描写では、道徳や貞操の観念も規範もない住人たちを家畜と同等としている。しかし隣人の気ちがいには敬意を表しており、その女房のオサヨ、知的障害のある白痴の女に関しては、理性的な思考は遅れているが、その本能的な意味において純粋だと考えている。

国威発揚のプロパガンダ映画に、芸術の情熱は消えていく

伊沢は芸術を志している。しかし時代が悪かった。敗色が濃厚な中で、国威発揚のためのプロパガンダの道具として利用され、国家にその魂を売り飛ばしている。

今や、新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業だった。

彼らの会話には、自我だ、個性だ、独創だとの言葉が氾濫するが、言葉だけだった。

「ああ日の丸の感激」だの、「兵隊さんよ有難う」、「ズドズドズドは爆撃の音」など、精神の高さも一行の実感もなく、架空の文章に憂身をやつしている。

彼らには空虚な自我しかない。希薄な意志と衆愚の盲動によって、一国の運命が動いている嘆かわしさ。

部長は、「怒涛の時代に美が何だ!芸術は無力だ!ニュースだけが真実なんだ!」と怒鳴る。社員たちも馴れ合い、内にあっては才能の貧困の救済組織、外にあってはアルコールの獲得組織で、酔っ払って芸術を論じ見かけは芸術家気取りだが、魂や根性などはない。

会社は、保身的な寄合集団で、酒場では空虚な芸術論をぶっている。もともと芸術など何も無い人間たちなのである。このような世相のなかで、伊沢だけが魂や理想を追い求めている。

伊沢は芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦めることができないので、義理人情の制度の中で安息することができないばかりか、その凡庸さと低俗卑劣な魂を憎まずにいられなかった。

社長に談判するも「お前はなぜ会社をやめないのか、徴用が怖いからか、世間並みにすることで給料が貰えているのに余計なことを考えるな、生意気すぎる」という顔つきになる。

伊沢は、

ひと思いに兵隊にとられ、考える苦しさから救われるなら、弾丸も飢餓もむしろ太平楽のようにすら思われる時があるほどだった。

「ラバウルを陥すな」と企画を立てるうちに敵はラバウルを通り越してサイパンに上陸。「サイパン決戦!」と企画会議が終わらぬうちにサイパン玉砕。「神風特攻隊」「本土決戦」「ああ桜は散りぬ」と情熱は白熱し狂操し興奮している。

安吾は作家ゆえに当然、誇張もあるだろうが、大枠、これが実態なら、いかに戦争下で新聞や映像などマスコミが国家に組み込まれ国民を騙していたかが分かる。生きるために逆らえないと正当化するのだろうが、戦後、この事実を知った人々は真実を知って愕然としただろう。

生の情熱を失っていくなか、白痴の女の心は素直だった

伊沢の情熱は死んでいた。ある晩、遅くなり家に帰ると押し入れの中に白痴の女が隠れていた。

伊沢の怒らぬことを知ると、安堵し親しさが溢れ、口の中でブツブツと呟いている。伊沢は「叱られて逃げ込んできたんだ」と思った。深夜に隣人を叩き起こして女を返すのもためらわれるし、さりとて一夜泊めれば誤解を生む。

ままよ、伊沢の心には奇妙な勇気が湧いてきた。その実体は生活上の感情喪失に対する好奇心と刺戟との魅力に惹かれただけのものであったが、どうにでもなるがいい、ともかくこの現実を一つの試錬と見ることが俺の生き方に必要なだけだ。

そう思った。

情熱も生きる覇気も無くしつつある伊沢は、とにかくこの女を泊めることにした。

二つ寝床を敷き女を寝せるが一、二分すると女は寝床を出て部屋の片隅にうずくまった。「どうしたの、ねむりなさい」と言うと、頷いて寝床にもぐりこんだが、又、同じように起きてしまう。

「心配することはない、私はあなたの身体に触れるようなことはしない」というと、女は何か言って今度は押し入れに這入り内側から戸を閉めた。

伊沢は腹を立てた。「あなたは何を勘違いしているのですか、人を侮辱するのも甚だしい」と言うと、女は「私は来なければよかった」という意味のことをブツブツ言っている。

伊沢は了解した。女は伊沢の愛情を目算にしていたのだった。電燈が消され一、二分たち体に触れないために嫌われていると考え、押し入れに閉じこもっていたのだ。

伊沢は

なまじいに人間らしい分別が、なぜ必要であろうか。白痴の心の素直さを彼自身も亦もつことが人間の恥辱であろうか。俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の思考の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。

伊沢は女を寝床へねせて、額の髪の毛をなでてやると、女はボンヤリ眼をあけて、幼い子供のようであった。

「人間の愛情の表現は決して肉体だけではない、人間の最後の住すみかはふるさとで、あなたはそのふるさとの住人のようなものだ」

と言いかけてみたが、そんなことが女に通じるわけがない。もとより、

いったい言葉が何物であろうか、何ほどの値打があるのだろうか、人間の愛情すらもそれだけが真実のものだという何のあかしもあり得ない、生の情熱を託するに足る真実なものが果してどこに有り得るのか、すべては虚妄の影だけだ。

魂を失いかけている伊沢は、魂のない女に愛情を語りかけている姿が、この戦争のもとでの自分の宿命のようで切ない気持ちになる。

伊沢の芸術への高い理想や使命感が、戦争という暴力で、すっかり打ち砕かれている。そして会社の部長や社長や同僚たちの態度にも腹立たしく感じる。

しかし、時勢のなかでは夢幻なのだ。きっと、理想など妄想なのだ。伊沢の周囲の人間たちも家畜と変わらぬ生活ではないか。

伊沢は、白痴の女の素直さに魅かれる、そしてこの女と理解しあうことが出来ないことが、かえって伊沢には都合がよいと考えた。

二百円という給料の呪縛を捨て、白痴の女との荒野の旅路を思う

この戦争はいったいどうなるのであろう。

日本は負け、敵は本土に上陸して日本人の大半は死滅してしまうかもしれない。

しかし伊沢にはもっと卑小な問題があった。それは二百円の給料をいつまで貰うことができるか、明日にもクビになり路頭に迷うのではという不安だった。

芸術を夢見ているくせに、たかが二百円の給料に、生存の根底をゆさぶられ苦悶している。生活の外形だけでなく、精神も魂も奪われ、その卑小さを情けなく思う。

芸術は無力だ!部長の大声が鋭い巨大な力で伊沢に食い込んでくる。

ああ日本は敗ける。泥人形のくずれるように同胞たちがバタバタ倒れ、無数の脚だの首だの腕だの舞い上がり何もない墓地になってしまう。

もし生き残ることが出来たら・・・、新世界の野原の上の生活・・・。伊沢は寧ろ好奇心がうずくのであった。

伊沢は女が欲しかった。その最大の希望すら二百円に限定され、やりきれない卑小な生活だった。

ああ戦争、この偉大なる破壊、奇妙|奇天烈な公平さでみんな裁かれ日本中が石屑だらけの野原になり泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無のなんという切ない巨大な愛情だろうか。

そう考えると白痴の女は、まるで俺のために作られた悲しい人形のようだと思った。

伊沢はこの女と抱き合い、暗い曠野を飄々と風に吹かれて歩いている、無限の旅路を目に描いた。

怖れているのは世間の見栄だけだ。その世間とは淫売婦だの妾だの妊娠した挺身隊だのオカミサン達の行列会議だけのことだ。

理性の無い、本能のままに肉欲を求める女のなかに、孤独な伊沢は自身の傷つき失われた魂の安らぎを求める。

肉体と本能が見せた忘れられない白痴のふたつの顔

その日から別な生活が始まった。伊沢は、白痴の女と人目を忍んで暮らしはじめる。しかし理性の無い状況では、家の中に女の肉体がひとつ増えただけだった。

毎朝出勤し、留守宅の押し入れに一人の白痴が残され彼の帰りを待っている。その事実は、昼間は忘れたが、唯一、警報が鳴ると女が飛び出し近隣に知れ渡る不安があった。

彼には忘れられない白痴の二つの顔があった。

ひとつは、はじめて肉体にふれた時の白痴の顔。在るものはただ魂の昏睡と、そして生きている<無自覚な肉体>のみだったそれは本能的な生の喜びだろう。

もうひとつは、引き裂く爆発音のときの恐怖の顔、いよいよ最後という<虚空をつかむその絶望の苦悶>である苦悶は動き、もがき、そして一滴の涙を落している。それは本能的な死への恐怖だった。

爆撃直後に散歩に出て、吹き飛ばされた女の脚も、腸の飛び出した女の腹も、ねじれた女の首も見た。

三月十日の大空襲では、人間が焼き鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。怖くもなければ、汚くもなかった。 白痴の女が焼け死んだら―土から作られた人形が土にかえるだけではないか。

俺は落着いている。そして、空襲を待っている。よかろう。彼はせせら笑うのだった。

それは四月一五日であった。

二度目の夜間大空襲があり、池袋だの巣鴨だの山手方面に被害があった。次の空襲がこのあたりということは、焼け残りの地域を考えれば想像できた。

空襲警報がなりだした。いよいよこの街の最後の日だ。

白痴を押入れの中に入れ、伊沢はタオルをぶらさげ歯ブラシをくわえ井戸端へ出かけた。仕立屋夫婦が防空壕へ荷物を投げ込み、屋根裏の娘は荷物をぶらさげうろうろしていた。

頭上に十何本の照空燈が入りみだれ敵機が浮いている。駅前の方角は火の海になっていた。

戦火の極限の中で、白痴の女の人間性を見た

愈々この街の最後の日が来た。

北方の一角を残して四周は火の海になり、その火が次第に近づいた。

仕立屋は一緒に逃げましょうという。伊沢は恐怖のために放心したが、こらえて「僕は仕事がある、芸人だから命のとことんの所で自分の姿を見つめることを要求されている、あなた方は早く逃げて下さい。一瞬間が全てを手遅れにしてしまう」と言った。

全てとは伊沢自身の命のことで、早く早くは彼自身が早く逃げたいためであった。

伊沢が逃げ出すためは、人が立ち去った後でなければならない。さもなければ白痴の姿を見られてしまう。

天地はただ無数の音響でいっぱいだった。米機の爆音、高射砲、落下音、爆発の音響、跫音、屋根を打つ弾片。鼓膜の中を掻き廻すような落下音が頭上へ落ち、気違いの家も左右の家もアパートも火を吹きだしている。

伊沢は家の中に飛び込み、白痴の女を抱くように蒲団をかぶって走り出した。

周りは火の海で、十字路へ来ると大変な混雑だった。全員が目指す方向は火の手は遠いが、その先は行き止まりで、死の運命があるのみだった。一方は、両側の家々は燃え狂っているがそこを越すと小川があり麦畑に出られる。

俺の運をためすのだ。運。まさに、もう残されたのは、一つの運、それを選ぶ決断があるだけだった。

伊沢は女と肩を組み、水をたっぷり含ませた蒲団をかぶり、群衆の流れに決別した。群衆の流れに引き戻される女に、

「死ぬときは、二人一緒だ。怖れるな。俺から離れるな。俺達二人の一生の道は、いつもこの道なのだよ。この道をまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。 分かったね。」

女はごくんと頷いた

伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。(中略)女が表した始めての意志であり、ただ一度の答えであった。そのいじらしさに伊沢は逆上しそうであった。今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りをもつのであった。

二人は猛火をくぐって走った。火の海を走った。二人はようやく小川のふちへでた。女は時々自発的に身体を水に浸している。

一人の新たな可愛い女が生れでた新鮮さに伊沢は目をみひらいて水を浴びる女の姿態をむさぼり見た。

伊沢は大きな疲れと涯知れぬ虚無のため放心した。川を上がると麦畑があった。二人は木立の下に布団を敷いて寝ころんだ。女は眠り、伊沢は煙草に火をつけた。女は鼾声をたてていた。豚の鳴き声に似ていた。この女自体が豚そのものだと伊沢は思った。

女の眠りこけているうちに女を置いて立去りたいとも思ったが、それすらも面倒くさくなっていた。

この女を捨てる張合いも潔癖も失われている。微塵の愛情もなかったし未練もなかったが、捨てるだけの張合いもなかった。

生きるための、明日の希望がないからだった。

戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。考えることもなくなっていた。

夜が白みかけてきたら、女を起こしてねぐらを探して歩きだそうと伊沢は考えていた。

今朝は果して空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうかと伊沢は考えていた。あまりに今朝が寒すぎるからであった。

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