江戸川乱歩『押し絵と旅する男』あらすじ|絵の中の恋は、時空を越えた。

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男が恋焦がれた女性は、額のなかの押絵細工だった。男は求めて額のなかに入り自らも押し絵となる。仲睦ましい押し絵の二人と旅をする男。その男の話を聞きながら遠眼鏡で覗く額のなかの世界は、蜃気楼のように漂う私の幻想だったのか。

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登場人物

押し絵と旅する男
汽車のなかで「私」が出会った四〇歳にも六〇歳にも見える男性で、絵の額を持つ。


語り手で、汽車のなかで「押し絵と旅する男」の不思議な物語に聞き入っている。


押し絵と旅する男の兄で、浅草の凌雲閣十二階から眺めた美しい女性に恋をする。

あらすじ

この話は、私の夢か狂気の幻でなければ、押し絵と旅をしていた男こそ狂人に違いない。だがこれは、私が不思議なレンズ仕掛けを通してこの世の視野の外にある別の世界の一隅を、ふと隙見したものかもしれない。

蜃気楼を見た帰りの汽車で、私は絵の額を車窓に向ける男に会った。

その時、私は能登半島に近い魚津へ蜃気楼を見にでかけた帰り道であった。

私がこの話をすると、友達に、お前は魚津なんか行ったことないじゃないかと突っ込まれる。そう言われると私は、それは夢だったのかと思うが、夢ならば色彩を伴わぬものなのに、あの汽車のなかの景色は濃厚な色彩を持ち、とくに押し絵の画面が中心で生々しく私の記憶に焼きついている。

私はその時、生まれて初めて蜃気楼というものを見たのだ。

遥かな能登半島の森林が 喰違くいちがった大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかも馬鹿々々しく拡大されて、見る者の頭上に覆いかぶさって来るのだった。

蜃気楼の魔力が人間を気違いにするものなら、恐らく私は帰りみちの汽車のなか、その魔力に逃れることが出来なかったのだ。

夕方の六時頃、魚津の駅から上野の駅への汽車に乗った。私の外にはたった一人の先客が向こうの隅の席にいた。

男は古風で黒の背広服を着て、背が高く足が長くて意気でスマートな感じだった。一見、四十前後だが、よく見ると顔におびただしいしわがあり六十位にも見えた。

彼は大きな風呂敷をひろげ絵のがく表側おもてがわを窓ガラスに向け、まるで外の風景を見せるように立てかけ、その後、しまっているようであった。そのとき、表面に描かれた極彩色の絵が妙に生々しかった。

荷物を包み終わると、ひょいと私に顔を向け二人の視線がぶつかった。彼は何か恥ずかしそうにかすかに笑い、私も挨拶した。

額には老人と若い女性の押絵細工があり、生きているようだった。

私はその西洋の魔術師のような風采の男が怖かったが、遂に、たまらなくなって立ち上がり男の方へ歩いて行った。男は目で私を迎える様にしてあごで傍らの荷物を指示して、

「これでございますか」と、当たり前のような口調で云った。

「これがご覧になりたいのでございましょう」もう一度同じことを繰り返した。

「見せて下さいますか」私は相手の調子に引き込まれて、つい変なことを云ってしまった。

がくには歌舞伎御殿の背景のように青畳の格子天井が向こうまで続き、左手前方には書院風の窓が描かれ、傍には角度を無視して文机ふみづくえがあった。背景は絵馬札の画風に似ていた。

そこに一尺の二人の人物が浮き出していた。それは押絵細工で出来ていた。黒天鵞絨くろビロードの古風な洋服を着た白髪の老人がいた。不思議なことにその容貌は髪の色を除くと、絵の持ち主の老人そのままだった。

隣には 緋鹿ひかの振袖に黒繻子くろじゅずの帯で、一七.八の結綿ゆいわたの美少女が恥じらいながら、老人の洋服の膝にしなだれかかっている。いわゆる芝居の濡れ場の場面であった。

この押絵の細工の精巧さは驚くばかりで、顔の部分は細いしわまで現わしてあり、娘の髪は本当の毛髪を植えつけてってあり、白髪も植えつけたものであった。洋服も正しい縫い目や、粟粒のぼたんまである。娘の胸のふくらみ、ももの艶めかしい曲線、肌の色、指のさきの貝殻のような爪、虫眼鏡で覗いたら、毛穴や産毛まであるのではないかと思われた。

しかし何よりも私が奇妙に思えたのは、押絵の人物が生きている瞬間をそのまま板に貼り付けたように永遠に生きながらえているように見えたことである。

老人はいとも楽しげな口調で、ほとんど叫ぶように、

「アア、あなたは分かって下さるかも知れません」と云いながら双眼鏡を出した。

押絵の娘は双眼鏡の中で、私の目の前に姿を表し実物大の一人の生きた娘としてうごめき始めた。

十九世紀の古風なプリズム双眼鏡の玉の向こう側には、思いも及ばぬ別世界があって、そこに結綿ゆいわたの色娘と古風な洋服の白髪男が奇怪な生活を営んでいる。

娘は若い女の生気が蒸発して居るように思われた。白髪男の方は幸せそうだが、同時に、しわの多い顔には悲痛と恐怖の混ざり合った一種異様な表情であった。

老人はがくを窓のところへ立てかけ「あれらは、生きて居りましたろう」と云った。

女に恋焦がれる兄は額の中に入り、自らも押し絵となってしまった。

そして老人は世にも不思議な物語を始めたのである。

明治二十八年の四月、兄が(と云って老人は押絵の老人を指して)あんなになりましたのが、二十七日の夕方でした。当時の兄が二十五歳の時の話だと云う。

その頃の浅草公園といえば、蜘蛛男の見世物、娘剣舞、玉乗り、駒廻し、覗きからくりなどであったが、当時、凌雲閣という十二階の展望建築ができ、高さ四十六間、八角型の頂上があり兄はそこに登って楽しんでいた。

そのうち兄の変なそぶりが心配になる、飯もろくに食べず、家内のものとも口をきかず閉じこもり、身体はせ顔は肺病みたいに土気色で青ざめて沈んでいる。

そのくせ毎日、昼から日暮れまで出かけている。男は心配した母のいいつけで兄の跡をつけると、行き先は浅草の観音様で、仲店なかみせからお堂の前を素通りし見物小屋の間を通り凌雲閣の十二階に行っているのでした。

頂上は八角形の欄干で東京中の屋根が見えます。兄はそこからしきりと浅草の境内を眺めまわしていました。何をしているのかと私が兄に訊ねますと、兄の煩悶はんもんの原因はこの十二階から境内を見たときに、この世のものとも思えない美しい人に、すっかり心を乱されたというのです。

それ以来、毎日毎日、十二階に登ってはその美しい女を探すために双眼鏡を覗いていたのでした。恋というものは不思議なものでございますね。

ところが突然、兄は「さあ行こう。早く行かぬと間に合わぬ」と云い、あの娘を見つけたというのです。しかし、そこへ行っても娘は見つかりませんでした。

ふと見ると、一軒の覗きからくり屋で兄が一所懸命に覗いているじゃありませんか。

「私が探していた娘さんはこの中にいるよ」と兄は申すのです。私は覗きの眼鏡を見ますと、それは「八百屋お七」の覗きからくりでした。

覗き絵の人物は押絵になっていて、お七の顔は生々しく奇麗で本当に生きているようでした。

兄が申すには「たとえこの娘さんが、こしらえの押絵だと分かってもあきらめきれない。私も吉三の様な、押絵の中の男になってこの娘さんと話がしてみたい」と云うのです。

考えてみますと、その覗きからくりの絵が光線をとるために上の方が開けてあり、それが斜めに十二階の頂上からプリズムのように見えたのに違いありません。

そして兄は私に「この望遠鏡をさかさにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれ」と云いだし、仕方なく言われた通りにして覗いたのです。

闇の中に浮き出て見える兄は、後ずさりに歩きとうとう一尺位の人形みたいになり宙に浮いたかと思うと、闇の中に溶け込んだのでございます。こうして私の兄はこの世から姿を消してしまったのです。

男は額の中の男と同じ人物なのか、それとも私が幻想をみているのか。

長い間、兄を探しましたが私はハタと気づきました。兄は魔性の遠眼鏡とおめがねで自分の身体を押絵の娘と同じ大きさに縮めたのではと見ますと、兄は押絵になって吉三の代わりにうれしそうな顔をしてお七を抱きしめているではありませんか。

私は悲しいとは思わず、本望を達した兄の幸せに涙が出るほどうれしかったのです。

私は母に金をねだりその絵を買って、それを持って、箱根から鎌倉の方へ旅をしました。兄に新婚旅行をさせてやりたかったのです。

二人は本当の新婚者のように、恥ずかしそうに顔を赤らめながらお互いの肌と肌とを触れ合って、尽きぬ睦言を語り合ったのです。

娘の方は人のこしらえたものですから年をとることはありませんが、兄の方は年をとります。二十五歳の美少年だった兄は、白髪になって醜い皺が寄ってしまいました。

相手の娘がいつまでも若く、自分ばかりが汚く老いていく。兄は数年前から悲しげな苦しそうな顔をしております。私は気の毒でしょうがありません。

「アア、飛んだ長話を致しました。あなたは分かって下さいましたでしょうね。どれ兄さんたちもくたびれたでしょうし、さぞかし恥ずかしがっておいででしょう」と云いながら風呂敷に包むのでした。

一瞬、押絵の人形の顔が少しくずれ、恥ずかしそうに私に挨拶の微笑みを送った様に見えたのです。

ではお先へ、と老人は立ち上がり外へ出て行ったが、細長い老人の後姿(それが何と押絵の老人そのままの姿であった)は闇のなかへ溶け込むように消えて行ったのです。

Bitly