坂口安吾『続堕落論』解説|無頼とは、自己の荒野を生きること。

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作品の背景

安吾は、随筆『堕落論』と小説『白痴』で、戦後の代表的作家となる。『続堕落論』は、敗戦直後の日本の世相を深く洞察し批判する。そのなかで日本人の精神の構造を怜悧に暴いていく。

江戸幕府が倒れ明治日本が建国され、天皇は君主として位置づけられた。安吾は、歴史を遡りながら天皇についても言及する。それは時の勢力に担がれた存在だとする。

新たな未来へ向かうために、新たな日本人の歴史を作らねばならないという、同時に天皇についても真実の天皇の歴史の始まりを予感する。

戦中と戦後は、これまでの正しいものが邪悪に変わり、人々は新たな自由や民主主義や平和憲法を米から押しつけられ、戦争時の体制批判を皆が発し、変節の逃げ道とする。

安吾は自ら渦中に入り堕落を率先した作家でもあり、無頼派とも呼ばれ、まさに実存を生きた。人間だから堕ちるが、人間はまたいつまでも堕ち続けることはできないとする。だからこそ、その真理を探す道程のなかでしか再興はないという。

坂口安吾『堕落論』解説|生きよ堕ちよ、正しくまっしぐらに!
坂口安吾のエッセイ『堕落論』。歴史のなかに日本人の本質を紐解き、披瀝しながら、ひとりひとり自らが真理を追究する態度を求める。戦争に負けたから堕ちるのではない。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。正しく堕ちることでのみ、人間は救い得るとする。

そして文学とは反逆であり、反逆自体が協力であり愛情であり、文学の宿命だとする。そして文学と政治を絶対不変の関係としている。ここに文学を生業とする安吾の姿勢がある。

戦後75年を超えた日本、平和ボケのなか私利を貪る一部の売国政治家や拝金主義の経済人、持てる者と持たざる者に二極化し分断される社会が加速している。安吾は逝った。生きていれば今の日本に何を思うだろうか。

もっと堕落して、もっと絶望しろ、と言うのだろうか。そして人間の本質に辿り着き、そこから這い上がることを祈るだろう。安吾は、絶対の孤独と絶望のなかで、人間を愛し、人間を信じているのだ。嘘いつわりの無い自己の精神に照らした自己の内省を求めているのだ。

我々は正しく堕落していくことで、偽善の政治に反逆し、制度に復讐することで、より良きことに協力することが必要だ。

沈黙ではなく未来への希望と自らの信じる正義や信仰を求め、荒野を彷徨いつづけなければならない。

発表時期

1946(昭和21)年12月1日、雑誌『文学季刊 第2号(冬季号)』に掲載される。坂口安吾は当時40歳。終戦翌年の4月に発表された『堕落論』の続編として刊行。

太宰治、織田作之助、石川淳、壇一雄、田中英光らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれた、1955(昭和30)年2月17日49歳にて没。