三島由紀夫『英霊の聲』あらすじ|などてすめろぎは人間となりたまいし。

主題を解説する!

天皇の「人間宣言」に呪詛する霊の声を描いた問題作。

『英霊の聲』は、二・二六事件で刑死した青年将校や神風を起こそうとした特別攻撃隊の英霊たちが、川崎という神主に憑依して降臨し、呪詛を述べ祖国の今を憂うという作品です。

三島が英霊の聲を通して、自らの戦後の虚無を延々と述べる場面があります。今の世の汚れをそしるその声は、人々の耳にもはや届かぬことを知っている。この神々の言葉は、三島の思いそのままです。

主題は天皇の問題です。このようなかたちで批判をした作家は三島しかいないのではないか。三島は初等から高等まで学習院で学びます。学校では「皇室の藩屏」であり、皇室を守ることを叩きこまれます。「君の御馬前に死ぬ」という矜りと国体観は一体をなしています。

二・二六事件の青年将校への思いは叶わず、精神はやぶれ、政治理念が勝った。精神は青年将校側にあり、政治の悪によってその夢は消えた。純真至上の志を理解することなく、無情にもこの鎮圧を命じる。

この天皇への激しい諌言、怨み事、呪詛ともいえる言葉

「天皇陛下 何と云う御失政で御座りますか、何故、奸臣を遠ざけて忠烈無双の士を御召し下さりませぬか・・・・」

天皇は二度だけ重大な過ちを犯した、とはっきり断じている。一度は、二・二六事件で青年将校の志を無にし、これを処刑したこと、そしてもうひとつは、終戦の翌年に出された「人間宣言」であった。

「などてすめろぎは人間ひととなりたまいし」

天皇への抗議、それは戦後の時代風景に向けられる。人間天皇を抹殺することで、超越者としての天皇を逆説的に証明する。三島は英霊の言葉を借りて天皇のあり方を批判したのです。

「命よりも尊い価値がある」と叫び、その命を絶った三島由紀夫。

陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地の東部方面総監部の中央バルコニーで怒号とヘリの音でかき消されるなか、演説する三島の檄文の一部は、

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。」

とあり、自衛隊の決起を促します。1968年は、パリの五月危機など世界に学生を中心に左翼運動が広がり、日本でも東大安田講堂が学生たちに占拠されます。革命前夜の危機の一方で、人々は昭和元禄にひたり、偽物の平和、偽物の安息に酔いしれていました。

金銭だけの拝金主義、極端な利己主義、道徳などの社会の規範の崩壊、高度経済成長の影で、三島は戦後民主主義や平和主義の偽善を見抜いていました。「英霊の聲」の中に、戦後社会のニヒリズムを延々と書き綴る部分は、三島のニヒリズムそのものなのでしょう。

1970年7月7日の産経新聞に「果たし得ていない約束」を掲載し遺訓とします。

戦後民主主義の象徴としての「日本国憲法」と「日米安保条約」。ここを変えなければ、本当の独立回復はないと考え、そのために自衛隊をアメリカの軍の補完としてではなく天皇の軍に戻すことが三島の考えです。檄文は結びに向かいます。

生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

こうして「生命以上の価値」を問います。それは「自由でも民主主義でもない。日本だ」と。

そして「天皇陛下万歳!」を叫び、三島由紀夫は割腹自決します。三島を慕う「楯の会」隊員の森田必勝も介錯の後、自ら続きます。

1970年11月25日の三島由紀夫の割腹自殺事件の後、当時の首相、佐藤栄作は「三島は気が狂ったのか」と評し、防衛長官の中曽根康弘は「常軌を逸した行動というほかはなく、せっかくの日本国民が築きあげてきた民主的な秩序を崩すものだ」と述べ、「三島の死によって自衛隊に動揺は起こらない」とテレビで語ります。

文芸評論家の小林秀雄は「感想」という文章の中で「この事件の本質には何かたいへん孤独なものがある」「人間を知る難しさというものを、いまさらのように痛感した。人間の肝心なところは謎だとはっきり言い切っていいのだ」とします。小林の目には、人の悲劇と運命に対し、心からの共感の涙がありました。

さらに「文武両道と死の哲学」という三島と対談をした福田恆存は、1968年の戯曲『解ってたまるか!』で、「人間というものは孤独な存在だ、絶対に自分の気持ちというものは他人には理解できないものなのだ」とします。

三島の掲げたものは、文化概念としての天皇です。それは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ということです。

三島の後に、切腹で死んだ日本人はいないでしょう。切腹が象徴するもの、それは日本の武士道の終焉かもしれません。文人として世に出て、武人として最期を遂げる、知行同一、三島は自身の物語としても文武両道を実践してみせたのでしょう。

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作品の背景

三島の満年齢は、昭和の年号と同じである。巻末に添えられた短いエッセイ『二・二六事件と私』に、「昭和の歴史は敗戦によって完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなけれならないという欲求が生まれてきた」としています。

そして統帥大権の問題として、これを干犯する者を討つことが大御心に叶うと考えた二・二六事件の将校たちの霊を慰め、その汚辱をそそぎ、復権を試みようとしたとあります。そしてその糸を手繰っていくと天皇の「人間宣言」に引っかからざるをえなかったとしています。

それは「象徴」として天皇を規定した新憲法よりも、天皇御自身の「人間宣言」であり、この疑問から「英霊の聲」を書かずにはいられなかったとする。自らの「美学」を追求すると天皇制の岩盤があったとしている。

「英霊の聲」は能の修羅場の様式を借り、二場六段の構成となっている。

第一場―序の段(ワキ登場)

    破の段(シテ登場・問答)

    急の段(上歌あげうたなどでシテ中入なかいり

第二場―序の段(ワキ待謡まちうたい

    破の段(のちシテ登場・クセ・カケリ)

    急の段(修羅の苦患くげんを訴えて、きり

小説では、木村先生がワキの僧、川崎君がワキヅレ、二・二六事件青年将校が前シテ、特攻隊員が後ジテで、この特攻隊の攻撃がカケリを見せ、そのあときりまでが苦患を訴える急に該当するが、地謡が合唱を受け持つ心持ちになっており、いわば典型的なカケリ物である。

発表時期

1966年(昭和41年)6月、『文藝』に掲載され、6月に河井書房新社より作品集『英霊の聲』として単行本刊行。2005年河出書房新社より文庫化。『十日の菊』『憂国』を合わせた2・26事件3部作とエッセイ『二・二六事件と私』を完全復活させる。当時、41歳。昭和36年の「憂国」と昭和41年「英霊の聲」、戯曲「十日の菊」と共に二・二六事件三部作として纏められた。昭和43年に楯の会を結成、「文化防衛論」で天皇中心の国体を唱え、「豊饒の海」の最後の原稿の日付は昭和45年11月25日。その日の午後1時に自決する。戦争、敗戦、戦後民主主義。三島は45歳の市ヶ谷駐屯地総監室での割腹自決まで激動の昭和と共に生きてきた。