サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ/ライ麦畑でつかまえて』解説|大人のインチキと闘う、ホールデンという魂。

スポンサーリンク

「ライ麦畑でキャッチャーになりたい」と言うホールデン。

ホールデンは駅やホテルに着いて、気持ちが落ち込んだときに強く思うのは、幼い十歳の妹のフィービーのことだ。でも電話をかけると母親が出るのでかけられない。そして思い浮かべるのは死んでしまったアリーのことだ。

ホールデンは『リトル・シャリー・ビーンズ』のレコードをフィービーのために買う。それから公園を通って自然博物館に向かう。フィービーのことを考えながら博物館のなかのインディアンの暮らしやエスキモーが魚を釣る様子や、南に向かう鳥、水を飲んでいる鹿、胸をはだけ毛布を織るインディアンの女を見たことを思い出し、変わらないものと、変わっていくものを思い、

ある種のものごとって、ずっと同じままの形であるべきなんだよ。大きなガラスケースの中に入れて、そのまま手つかずに保っておけたらいちばんいいんだよ。(16章)

と考える。それが不可能なことを知りながら残念に思う。そして何故か、博物館の中に入らなかった。

きっと昔の思いとは、自分はもう変わってしまたとホールデンは考えたのだろう。

そしてこっそり家に帰ってフィービーに会って話す場面で、フィービーは割れてしまったレコードの破片をうれしそうに貰う。ホールデンは学校を追い出されたことをフィービーに感づかれてしまう。そこで学校や人々のつまらなさを懸命に説明するホールデンに向かって

「けっきょく、世の中のすべてが・・・・気に入らないのよ」(22章)

と見透かされる。「何でもかんでもが気にいらないのよ」とフィービーは言う。ホールデンは憂鬱になる。「それならひとつでも好きなものを言ってごらんなさい」とフィービーに言われ、ホールデンは考えて、あの麦藁の籠に金を集めていた二人の尼さん、エルクトン・ヒルズ校で知り合った正義感の強い窓から飛び降りて死んじゃったジェームズ・キャッスルを思う。

そして死んだ弟のアリーを好きだと言っ時に、フィービーがアリーはもう死んでるんだよって言うと、

「死んでるってことはわかっているよ!僕がそこのことを知らないとでも思っているのか?それでもまだ僕はあいつのことが好きなんだ。それがいけないかい?誰かが死んでしまったからって、それだけでそいつのことが好きであることをやめなくっちゃいけないのかい?とくに、その死んじゃった誰かが、今生きている・・・・・ほかの連中より千倍くらいいいやつだったというような場合にはさ」(22章)

と言い、フィービーと話しながらもいきり立つ。

この部分は、野崎訳では『兄さん』で、村上訳では『あなた』と訳されるが、まさにフィービーのこの言葉は、神経症で憂鬱で分裂症気味のホールデンに対して、社会的な分別を持ちはじめるフィービーの考え方が上位に感じる。

現実を生きるサリンジャーの思いには、戦争で死んだ幾多の戦友への深い鎮魂の思いが明らかに込められている。戦争という大きな矛盾の中で、死んでいった好きだった戦友たちとアリーを重ねている。

そして「じゃあ、将来何になりたいかを言って」とフィービーに訊ねられると、ホールデンは『ライ麦畑でつかまえて』の歌の話をする。フィービーにあれは『ライ麦畑で会うならば』というロバート・バーンズの詩だと言われ、ホールデンは『つかまえて』だと思っていたと言う。

もっとも有名な場面である22章の二人の翻訳です。野崎孝が、

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいないー誰もって大人おとなはだよー僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がりおちそうになったら、その子をつかまえることなんだーつまり、子供たちは走っているときにどこを通っているかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知っているよ。でも、ほんとうになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げていることは知っているけどさ」(22章)

そして、村上春樹が、

「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷち立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチする・・・・・・んだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね」(22章)

ふたつの翻訳の間には半世紀の時間が流れていますが、どちらも素晴らしいものです。

アントリーニ先生の話は、理解できるが納得はできない。

ホールデンは恩師のアントリーニ先生を訪ねます。冒頭に出る歴史のスペンシー先生とは対照的です。彼はあのジェームズ・キャッスルが寄宿舎から飛び降りて死んだ時に、服に血がつくのも構わず抱きかかえた先生で、ホールデンは心が通い合える人物だと思っています。

夫妻はしゃれた高層アパートメントに住み、先生は洗練された人でヘビードリンカーで機知に富んでいる。先生はホールデンの父親と話しており、ペンシー校の校長からホールデンの勤勉態度について長い手紙をもらったことを知っている。

先生はホールデンに、

私が見るに、君はある種の、きわめておぞましい落下傾向にはまりこんでいるみたいだ。(24章)

そして先生の目にはありありと見えると言って、

君が無価値な大義のために、なんらかのかたちで高貴なる死を迎えようとしているところがね(24章)

と言う。さらに先生は、ヴィルヘルム・シュテーケルという精神分析の学者の言葉を紙に書きつけ、

『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』(24章)

とある。先生はホールデンに行きたい道を見つけ、すぐにそこに向かい第一歩を踏み出さなければならない。そして行きたい道が見つかれば、まずやるべきことは学校に入るということだと言う。そして、

人間のなす様々な行為を目にして混乱し、怯え、あるいは吐き気をもよおしたのは、君一人ではないんだということをね。そういう思いを味わったのは、何も君だけじゃないんだ。(24章)

と言い、君は決して孤独ではないしそれを知ると鼓舞されるだろうと言う。同じような悩みを持つ人々が悩みの記録を残してくれていて、そこから学ぶことができるという。そして君の後の人たちが、君から今度は学ぶ。それが歴史であり詩だという。

先生の話は理解できるが眠たくなる。ホールデンは衰弱していた。眠りにつき、ふと目を覚ましアントリーニ先生がホールデンの髪を触っているのをゲイと勘違いして部屋を飛び出す。

崖に落ちないように、子供たちを守ってあげる。

原題は『The Catcher in the Rye』で、野崎孝の翻訳『ライ麦畑でつかまえて』(1964年)と村上春樹の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(2003年)が有名です。

長い間、野崎孝『ライ麦畑でつかまえて』の翻訳を慣れ親しんでおり、このキャッチャーはホールデンであり、ライ麦のなかから子供たちが迷って崖に落ちるのを捕手キャッチャーする役目です。ただ解釈を広げれば社会のシステムに迷う若い反逆者たちを、この文学が捉えていると理解することもできます。二重の意味で、この邦題は名訳です。

この作品は、若い反逆者を守るためではなく、ホールデンの声に耳を澄ませ聞くことで読者が共振するためです。

ホールデンは大人の欺瞞や社会の嘘に対して過剰に反応します。そして反撥し打ちのめされ、気が滅入る。行く宛てのない気持ちはささくれて暴発した感情のままにニューヨークを危険に彷徨う。

子どもたちという無力な者への眼差しや愛情であり、比喩的には、大人社会の欺瞞に満ちた世界(危険な崖っぷち)から子供たちを守りたい情動です。

そこには、最愛のフィービーや、死んでしまったアリーを慈しむ兄弟愛もある。サリーと喧嘩になり、雨に濡れ肺炎になりそうな状態で公園に行ったホールデンは、自分の精神と肉体が死んでしまいそうな気分になりながら同時に、死んでしまった弟のアリーを雨の中で墓参した昔のことを思いだす。

死んでろくでもない墓地に押し込められるのを想像する。日曜日に皆がやって来て、虚礼で花束なんかを置いていく。

まったくもう、死んでいる人間が花をありがたがるもんかい。冗談じゃないよな。(20章)

ホールデンが考えることは、子どもたちがライ麦畑で無邪気に遊ぶ中、崖に落ちないように捕手になること。その優しさは、セントラルパーク・サウス通りの冬期のアヒルを気にかける心情と同じです。

大人世界に反撥し反抗するが、その大人へと成長していく自分に対処方法はなく捌け口を求め焦燥感のなか危険になっていきます。そしてホールデンは死ぬ前にフィービーに会いたいと思う。その原風景が、幼いころの回転木馬に乗るフィービーの姿です。

物語の終盤で、フィービーが楽しく回転木馬に乗るシーンがあり、その時に金色の輪っかをつかもうとする。ホールデンは、馬から落ちてしまうのではと、はらはらする。でもホールデンは何も言わない。

もし子どもたちが金色の輪っかをつかみたいと思うのなら、好きにさせておかなくちゃいけないんだ。余計なことは言わずにね。落ちたら落ちたときのことじゃないか。あれこれそばから口を出しちゃいけない。(25章)

この言葉には子供たちの自由な発露を信じて、大人たちのインチキなルールにめるべきではないという強い反骨が込められています。

家出を考えていたホールデンが、家に帰ることをフィービーに約束する。突然、雨が強く降ってくる中で、フィービーに赤いハンチング帽を被らされたホールデンは濡れながら幸福な気持ちになる。

泣きだしたくなるくらいのハッピーな気分で、回り続けるフィービーの姿が心に浸みた。ホールデンはフィービーの愛情に救われる。

破壊願望のなかで、半分は老成してしまうホールデン。

無垢な子どもたちを大人の欺瞞から守りたいホールデンの思いは、実際に軍隊に行き過酷な戦争を体験した後、三十二歳の時にこの小説を書き上げたサリンジャーの心安らぐための理想の姿なのでしょう。

ホールデンはサリンジャーの眼を通した語り手ですが、同時に、兄とされるDBもまた、サリンジャー自身を投影しています。

兄のDBはなにしろ四年間も軍隊に入っていた。戦場にも行った。Dデイに敵前上陸もした。でも彼は戦争よりも軍隊のほうをより憎んでいたと僕は真剣に思うんだ。(18章)

DBに言わせたこの言葉は、まさにサリンジャーの体験です。戦争という巨大な暴力を、25歳で経験し熾烈な戦いの日々を送り除隊になるまでの数年間まさに地獄を見てきたサリンジャー。戦火のなかでも執筆をつづけ、ホールデンの物語を構想し続けます。鋭い感受性の中で戦争と自分を見つめます。

戦争の野蛮さ、愚かさ、残酷さ、悲惨さ、恐ろしさとは対照的に、社会に戻った時には甘ったるく下らない会話や歌や映画が溢れている。そこにある世界はインチキそのものでした。

このことを戦争を語ることなく広く伝えるために、万人に共通する思春期の破壊願望を持ち込む、ここにホールデン・コーンフィールドが誕生する。戦争体験を思春期の青春物語に投影したのです。

社会の欺瞞に満ちた人々はすべてインチキなのだ。ホールデンは人と関係を持たないどこか遠くの森のはずれにキャビンを建てて、自分は聾唖者だと偽ることで言葉を使わず、生きていければと思う。そして子供が生まれても学校にはやらずに自分たちで育てると言う。

サリンジャー自身も長いあいだ都市を離れてひっそりと暮らしています。

ホールデンのこの心身症は、ついに西部のサナトリウムで静養することになりますが、サリンジャー自身もドイツ降伏後に、ニュルンベルグの病院に入院します。

ホールデンは、虚言や暴力、酒や女に対して反社会的な過剰反応をする。ただ彼が反撥をするひとつひとつの言葉に耳を傾けると、社会の欺瞞や建前に対しての拒否であり、理解し賛同できることが多い。

そして何故か ホールデンの頭の右半分には、たくさんの白髪がある とされている。彼の人間としての生命の半分は若いのにすでに老成しているのです。

堅牢な社会システムに抗いながらも、半分は諦めることを悟ったのでしょうか。

目を閉じ、耳をふさぎ、口をつむぐことが大人の過ごし方で、「それが社会に適応すること」だとの説明では、社会は変わりません。汚れを知らないのは「子供だけのもの」で、道徳や倫理は「感じの良い修道女だけのもの」では、いつまでも社会全体に正義や道徳や倫理は反映されません。

かといって、我々全員が森のそばに小屋を建てて生活することは不可能です。

この生きにくい社会のなかで、ホールデンの精神を病んでしまうような破滅的な所業の中に、自らを生贄にして肉体と精神を晒けだし読者の代弁者として、辛さのなかにどこかユーモラスを感じさせるこの物語に、我々は同じ行為をすることはなくても、同じ気分になることは否めません。

そして態度表明として、根本となる魂を大切に保ち、社会システムを正義や良き秩序のもとで改善していく意思を失ってはいけない。難しいがそれを求め続けることが大切である。そのためにも、思春期には現実であれバーチャルであれ、精神の反抗は必要ではないか。

その熱量を届けるために、ホールデンの言葉は、永遠に私たちの傍で語り続けられるのだと思う。