世にも醜い椅子職人の男。内気で才能も金も無いが、甘美な夢だけは持っている。そんな男が考え出したある方法。そこだけが自分を現実とは違う世界に連れていってくれる。触覚、聴覚、嗅覚で、女性を堪能する。その方法とは何か?甘美で幻想的な怪奇物語。
登場人物
佳子
外交官を夫に持つ美しい女性作家で大きな邸に住む。ファンの手紙が来るほど有名。
私
容貌が醜く、そのせいで内気だが腕利きの椅子職人。佳子への罪悪を手紙で告白する。
あらすじ
夫を外務省書記官にもつ妻の佳子は、いまでは有名な閨秀作家。今日も彼女のもとにファンレターがいくつか届いています。
見知らぬファンからの手紙とも原稿ともつかない分厚い郵便に目を通すと、そこには表題は無く、文章の始めは “奥様”との書きだしで、不躾な手紙を出すことを最初に詫び、奥様に対して行った世にも不思議な罪悪を告白し始めます。
私は醜い容貌の持ち主なのに、不相応な夢に憧れる。
自分は生まれつき世にも醜いお化けのような容貌だが、そのくせ胸中には美しく激しい情熱があり、甘美で不相応な「夢」に憧れています。
実際には金もなく芸術的才能も無い男です。そんな人間であることを、まずは覚えておいてください。
仕事は椅子職人。腕の良さを買われ、上物の注文が多く、そのことは自分でも誇りに思っています。
ひじ掛け、クッションの具合など、細部にこだわった椅子を作り、どこに置かれるのかを想像しながら、自分がそこで貴公子になり美しい恋人と語らっている姿を妄想してしまいます。
しかし現実には、椅子はやがて自分の知る由もないところに納品されてしまうのです。
自分の腕をいかして、人間が入れる椅子を完成させた。
来る日も、来る日も、同じ椅子職人の世界から、何とかして外の世界へ出る方法は無いかと考えているうちに、悪魔の囁きが聞こえ、椅子の中に人間が入れるよう改良することを考え始めたのです。
人間が隠れるような大きな椅子で、腰かけ部分に膝を入れ、背もたれの部分に首と胴を入れます。
出来上がった椅子は、人間が入っても不自由の無いもので、底に仕掛けた出入口からすっぽりともぐりこめるようになっています。
椅子は外国のホテルに納品されラウンジ用に使用されることになりました。
こんな椅子をつくった動機はもちろんお金を盗むことなので、夜な夜な椅子から 出て部屋を荒らし、金を盗み、そして椅子の中に戻っていきました。
そして周囲が騒ぐのを椅子の中から面白く見ていました。
椅子の皮一枚を隔て、人の体を感じることを発見します。
ところが数十倍も楽しめる奇怪極まる快楽をあるとき発見します。それは人が椅子に座ると、椅子の皮一枚で、座った人の体を感じることが、私には出来るのが分かったのです。
最初は西洋人の大男で、その後も様々な人が入れ替わり腰を下ろしていきました。 彼らが柔らかいクッションだと信じているものは、実は私の血の通った太腿だったのです。私は座る人を肌触りによって識別することができるようになりました。
通常、人を見分ける手段として、外見的な容貌やたたずまいによりますが、この男は、椅子に座る人間の感触によって、同じように、違いを識別できることができるようになったというわけです。
自身の醜さへの嘆きが、ついに、椅子を通しての感触によって識別することができたのです。
そこには、裸の肉体の感触と声音と匂いがありました。
あるとき私の上に異国の乙女がやってきて、豊満な、しなやかな肉体を投げ出します。私は薄いなめし皮一枚で、乙女の肌のぬくもりを感じました。醜い気弱な私が、椅子の中だけで感じることのできる官能の世界でした。
それからやがてホテルは売却されることになり、私と椅子も転売されることになりました。
椅子の中の恋、その不思議で陶酔的な魅力は誰にも分らない。
私はがっかりしました。しかし同時にこれまで愛してきた女性は全て外国人で、好ましい肉体ですが精神的に物足りなさを感じていました。
私は新たな売却先に期待しました。するとやがて日本人の金持ちの官吏の家に買い手がつきました。
立派な邸で洋館の書斎に私は置かれました。嬉しいことにその書斎を使うのはご主人ではなく、若く美しい婦人のほうでした。以来、婦人のしなやかな身体は、いつも私の上にありました。
彼女は美しい身体の持ち主で、始めて本当の恋を感じました。
私は婦人にとって、座り心地の良い椅子になるよう優しく迎い入れました。そして私の欲望は分不相応に膨らんでまいりました。たった一度でよいから、その恋人の顔を見て言葉を交わしたい。
それができたならば、死んでもいいと思いました。その恋人とは、奥様、あなたなのです。
分厚い手紙を読み終わった奥様に、後日、新しい手紙が届きます。手紙には、先日お送りした長い手紙が私の拙い創作であり、 表題には「人間椅子」とつけたいと思っていることが記されていました。
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