作者自身が語っているように、この物語は最初、想定した一人称から三人称に転回されました。
ですから中核には「犯罪の心理報告書」的なものがあります。若き青年の妄想、善と悪についての考え方、殺人強奪計画の実行、その後の予審判事との攻防、法による裁きと判決、そしてシベリア流刑、となります。
これが一人称の告白体の視点で読むことができます。
その周縁には、舞台として狂気に満ちた帝都ペテルブルクがあり、社会は混沌に包まれています。主人公のまわりに集う人々の人生のドラマ。持てる者と虐げられた者たちの躍動感に満ちた群像劇が絡みあいます。
それは多声的(ポリフォニー)であり、祝祭性があり、その基底に流れているキリスト教の存在。そんな三人称の世界で完成しました。
あなたのイメージはドストエフスキーの「罪と罰」と聞けば、暗く重たい印象でしょうか。どこか陰鬱な思想に引き込まれそうな感覚にもなります。
主人公の頑な精神は、やがて鬱状態となり深く病んでいき、殺人にいたります。そして、さまざまな人々の精神とぶつかり、揺れ動き、悩み、怒り、立ち向かい、怯え、砕けていきます、その先に甦りはあるのかが大きなテーマです。
罪とはいったい何なのか、罰とはどのような裁きを受けることなのか。
人間のつくった罪刑法定主義としての「罪」と「罰」、それは、犯罪とされる行為の内容と、それに科される刑罰は、法で定められるべきとしたものです。物語のなかで、ラスコーリニコフは取り調べを受け、尋問され、家宅捜査も行われますが、容疑は立証されることはなく、本人の自白(自首)によって、すべては明らかになり罪の内容も罰の程度も決定されます。
『罪と罰』は、ロシア語の原題は、 Преступление инаказание (プレストゥプレーニエ・イ・ ナカザーニエ) です。これを英訳すれば、“Crime and Punishment” となり、ロシア語の「プレストゥプレーニエ」の本来の意味は「踏み越える」ということらしいのです。
物語のなかには、この「踏み越える」という言葉が随所に出てきます。
そこで、神の真理という視点での「罪」と「罰」を考えます。「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」は、神と人間との掟です。物語では、その一線を越えます。それを「罪」と捉えます。
現実社会における「罪」が、外的な作用としての犯罪ならば、神の掟を破り、一線を踏み越えてしまった「罪」は、内的なもの。つまり精神や魂という人間の心のなかにあることになります。
では神の「罰」とは、何か。
“復讐するは我にあり”とされる<ローマの信徒(しんと)への手紙12章18節~21節>の部分を抜粋してみます。
できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、
自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火(すみび)を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
とあります。
現実社会の「罪」と「罰」は、裁判の法廷で決しますが、神の名においての「罪」と「罰」は、人間の精神と肉体をどこに導いていくのか。
人間の善なる部分と悪なる部分、怖ろしい観念を行動に移してしまったラスコーリニコフ。この罪を、神が罰する物語として読むことができます。
ラスコーリニコフは、神の復讐をうけ、深い苦悩の底に落ちていきます。
そこには、心や体の呻きや叫び声があります。これが、まわりの人々の人生と共振していきます。そこにあるものは、人間が生きているという実存です。
「人間とは何か」という命題に対して、多面的に思索を深めることのできる作品です。
中心となる二人、ラスコーリニコフとソーニャ。
この物語は、人間の心なかに棲む悪魔と神の闘いかもしれませんし、あるいは近代の合理的(思想)なものと、祈りという原初的(信仰)なもの。ふたつのはざまで生きる人間の精神の話でもあります。
そして常にこの物語の中心にあるのは“お金”です。ー自由と欲望を叶えるもの―それが金であり、人々は皆、金の魔力から逃れることができません。
家賃の支払いが滞るなかで、社会に大きな矛盾を抱き、ひとり屋根裏部屋で肥大した観念を、現実に実行に移した主人公ラスコーリニコフ。
一方、極貧のなかで家族の暮らしを助けるために自己犠牲を顧みず、売春婦に身を堕としたソーニャ。
殺人を犯したことで、社会と完全に断絶し、精神が追い詰められていくラスコーリニコフと、神への祈りだけを支えに生きていくソーニャとの対話は、悪魔と神の対話のようにも感じます。
ラスコーリニコフとソーニャ、越えてはならない一線(殺人/姦淫)を踏み越えてしまった二人の生命(いのち)の復活は、果たして可能なのか。
それを一神教ではない私たち日本人がいかに感じるのかということでもあります。
今から一五〇年以上前の作品が、現代にいたるまで普遍性を失わず、いや、きっと金がすべてのような現代だからこそ、その意味は深みを増すのではと思います。
『罪と罰』は、六つの部と最期のエピソード(六部+エピソード)から構成されます。台詞(せりふ)が多い作品です。まるで芝居を観るようです。以下に、解説動画をご用意しました。
全体のテーマ:人間の心では、神と悪魔が闘っている
解説①-都市の狂気のなか、運命が動きだす
解説②-ナポレオン主義という観念の暴走
解説③-人間に優先するのは「金」か「魂」か
解説④-で、あなたは非凡な人間というわけですか
解説⑤-生きてゆけ、命つきるまで
解説⑥-虚無を突き抜けていった死
解説⑦-大地に口づけをすること、とは何か
解説⑧-復活そしてニヒリズムを越えて
と9回に分けてお届けします。
★以下の動画 解説(序)全体テーマ~解説⑧をぜひご覧ください↓