映画は、オードリー・ヘプバーンの輝きと共にハッピーエンドで終わるが、小説は、共産主義を意識した「いやな赤」や束縛からの絶対の自由をテーマに、資本主義の象徴としてティファニーが存在する。そして消費文明にも充足しきれないホリーは、隷属を嫌い野生の安住を求め彷徨し、アフリカに辿り着く。カポーティの原作は、ホリーという自由に囚われた、強がりで脆くも美しい女性の物語。
あらすじ
それは10年数前の回想である、1942-43年、第2次世界大戦下だった。
ニューヨークのアパートメンに念願の一人住まいを始め作家を目指す「僕」が、ふとしたことで階下のホリーという女性と知り合いになる。「僕」は、ホリーの自由奔放な生き方に興味を持ち、彼女と過ごした出来事を思い起こす。
「僕」は次第に恋心を抱いていくが、ホリーは「僕」を兄妹のように身近に思っているようだ。恋の相手ではない。女優の卵かモデルのようなホリーはニュヨ―クの社交界で有名な人気者。イノセントで美しく可愛いいお洒落な19歳の女性は、セレブな男たちの求愛をふわりとかわす。
彼女の催すカクテルパーティには多くのゲストー大金持ちや著名人、作家、芸術家、芸能関係―が招かれ幅広い交友関係で賑わう。
ホリーという女性は、客観的に見れば、金持ち男を漁る成り上がり志向の女、性に開放的な高級娼婦であり、またマフィアの連絡係を務める危険な女だ。
華やかな世界で自由気ままに生きるイノセントな女性。部屋はいつでも旅立てるように荷物がなく、飼っている猫の名前(それはただキャットと呼ばれる)すらない。その理由は、自分が自由を好む以上、猫にも自由を与える。お互い所有しあわない対等な関係だからだ。
ハリウッドの女優になる機会を自らあっさりと捨てる、その理由は女優の仕事は自我を放棄しなければならないと知っているからだ。
毎週木曜に刑務所シンシンに服役する麻薬密輸団の首領 “サリー・トマト” に会いに行く。慰問して、合言葉のような “天気予報” を自称 弁護士に連絡し100ドルを受け取る。これは檻に囚われ自由を失った老人への善行だと説明する。
ある日、ホリーの夫でドグ・ゴライトリーというテキサスで獣医と農場を営む男が現れる。あまりの年の差や不釣り合いに驚く「僕」に、ゴライトリーは経緯を語る。ホリーの本名はルラメー・バーンズで、フレッドと卵泥棒をしていたところを拾われる。当時の兄妹は親に捨てられた孤児だったのだ。
14歳で後妻としてドグと結婚するが、飛び出してしまう。野生の鳥は大空に帰っていったのだ。ドグは5年ほど行方を探していたが、軍隊にいるフレッドの手紙で居場所を知りホリーを連れ戻しにニューヨークに来たと言う。
しかしホリーは「私は過去のルラメーではなく、自分は自由の身で帰ることは無い」とゴライトリーを説得する。
上流階級の社交の夜を過ごすホリーはブラジルの裕福な金持ちホセと結婚話が持ち上がるが、そこに、フレッドの死を報せる手紙が届く。最愛の唯一の肉親のフレッドを失い、取り乱し混乱するホリー。
さらに、サリー・トマトとの関係が疑われ、警察に部屋に踏み込まれ逮捕される。そのニュースは大々的に新聞ネタとなる。自称 弁護士のサリーの右腕のオショーネシーも逮捕され、社交界は大騒ぎでホリーは時の人となる。
俳優エージェントのO・J・バーマンらの尽力で何とか釈放されるが、スキャンダルを嫌うホセは婚約を解消する。ホリーはホセとの間で身籠った子も流産した。もうニューヨークに自分の居場所がないことを知ったホリーは、新天地を求めてブラジルへと旅立つ。50人のブラジルきっての金満家のリストを携えて。
ホリーにとっては、自分が寛げる地が安息の地だった。そして10年ぶりに、ホリーとそっくりの木彫りの写真を見て、さらに彼女はアフリカへと彷徨の旅に出たことを「僕」は知る。