小津安二郎『東京物語』解説|変わる家族の形と、恒常なる日本人の心。

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追い求める豊かさの正体、親世代が肌身で感じた東京の暮らしの現実。

周吉は服部を訪ねます。東京に長く暮らす服部は、郷土の尾道を懐かしがる。服部は、近所に住む同じ尾道出身の沼田も誘い、三人は酒を酌み交わし旧交を温める。

服部は息子を二人、周吉は息子を一人、戦争にとられている。戦争はこりごりだと三人は同調する。「子供いうもんはおらなおらなんだで淋しいが、おりゃおったでだんだん親を邪魔にしよる。ふたつええことは無いもんじゃ」と沼田がこぼす。

「東京は人が多すぎるんだ」という息子に対して、「敢闘精神というものが何にも無い」と沼田は酔いが回ってくる。

周吉は「わしも今度、東京に出てきてみて、もうちょっとよくできていると思った」しかし「これは世の中の親の欲じゃ、欲ばったらきりがない、こりゃ諦めんとならん」と言う。「幸一も、あんな奴じゃなかったんじゃが、しょうがないわい。東京は人が多すぎる」と我が身を納得させて言う。

周吉はじめ服部、沼田の親世代の子供たちに対する感想である。世の中は、思うようにいかない、子供たちの暮らしぶりも思いのほか大変そうだ。そこには戦争の惨禍、親の子への過剰な期待、競争社会の現実を肌で感じる。そして激高するでもなく淡々と現実を受け入れる姿が、苦難を生きた親たち世代の生きる作法になっている。

一方、再び紀子を訪れたとみ。紀子は、とみの肩を甲斐甲斐しく揉んで世話をし、ポチ袋にお金まで入れて渡す。とみは戦死した昌二の写真を飾ってくれる紀子に感謝しながら、再婚を薦める。とみは「紀子に苦労のさせどおしだ」と心を痛める。

「いつまでも独り身で居ると、将来、寂しい思いをする」と心配するとみに、「私、年取らないことに決めていますから」と紀子は微笑む。「ええ人じゃの、あんた」とすすり泣きながら、眠りにつく。

とみは紀子を「できた嫁」だと讃える。戦争に若い命を取られた気持ちは、母親のとみにも、妻であった紀子にも、等しく辛いものだろう。いや、紀子の方が数倍かもしれない。“自分はひとりが楽なのだ” と、紀子は “妻である続けること” を、とみに気遣っている。当時の社会通念としての戦争未亡人の立場であり、たとえそれが偽りであっても “そう振る舞うしかないこと” 耳障りの良い言葉で言えば「尊厳」である。

そこには「完璧な嫁」であり「りっぱな未亡人」であろうとする自己欺瞞の紀子がいる。自由な個人の将来を縛りかねない、家族制度の因習が無言の力をふるっている。と同時に、戦後十年の時間は日本の家族の形や嫁の因習を既に時代の残滓として消し去ろうとしている。

人生は人それぞれさまざまだ。子供達を育て上げた親の気持ち、戦争で愛する人を失くしたり、生き別れた人々も多い。当時は、大家族である。そして戦争の記憶が残る復興目覚ましい時代だった。

とみが静かに息を引き取る、家族は尾道に集い故郷の時間を共にする。

翌日、周吉ととみは尾道に帰る。東京駅には幸一、志げ、紀子が見送りに来る。

とみは「もう思い残すことは無い」といい、「もしもの時でも尾道にはもう来てもらわんでいい」と東京でのひとときの感謝を、周吉と共に子供たちに言う。

途中、気分が悪くなったとみは大阪で下車し、三男の敬三にお世話になる。

周吉は「子どもより孫の方が可愛いというが、子どもの方がいい」と言い、「志げも子供の時分はもっと優しい子じゃった。女の子は、嫁にやったらおしまいじゃ」と話すと、とみも「幸一も、もっと優しい子じゃったでした」と言う。

京子が生まれる前まで、周吉は酒で妻とみを困らせ、幸一と志げは当時を幼心おさなごころに知っている。憎まれ役の志げだが、周吉と長女の気安い関係は親子として自然だし、泰然自若を装う幸一も実は、自分にも他人にも距離を置いた無難な生き方を無意識に身につけている。そして父である周吉と長男の幸一の関係もまた自然である。

周吉は「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃ」と言いながらも、「欲を言えばきりがないが、わしら、これでもいいほうですわ」と言う。とみも「ええ、方ですとも、よっぽどええ方です。わしらぁ幸せでさ」と返す。

「そうじゃのう・・・。まぁ幸せな方じゃのう」「そうでさぁ。幸せな方でさぁ」と二人は同意し、夫婦の助け合いや絆をその半生のなかにしみじみと思う。

とみの危篤の報せを受けて、子供たちは尾道に帰ってくる。周吉は「治るよ、治る、治る、治るさぁ」と静かに呟く。医者である幸一は「明日の朝まで持てばいいほうだ」と告げる。志げは号泣する。周吉は動ぜず「そうか、いけんのかぁ。そうか、おしまいかのぉ」と呟く。

昏睡状態だったとみは、周吉と子供たち、紀子に看取られながら、明け方近くに息を引き取る。静かに時間が流れていく。東京で子供たちそれぞれに流れていた慌ただしい時間が、故郷の尾道の時間に還って行く。

それは死を囲む家族の時間の共有だった。仕事の都合で遅れてきた三男の敬三。周吉の姿が見えない。敬三の到着を知らせに、紀子が無言で立って探しに行く。

周吉はひとり、浄土寺にいた。石燈籠の傍で、尾道水道の先の向島に目を向け、ひとり言のように紀子に告げる

「あぁ、きれいな夜明けじゃったよ、今日も暑うなるぞ・・・」

人は一人で生まれ、一人で死んでいく。その間に夫婦や親子の関係ができる。静かな尾道、忙しい都会、戦争の惨禍、戦後の復興、変わりゆく家族。近代化は生産や消費の拠点を田舎から都市に移し、故郷の共同体はゆっくりと崩壊していく。

その中に在っても四季は訪れる。一日は始まり、同じように時間が流れ、変わらずに過ぎていく。そこに人間の営みが生かされていることを確認するように、「今日も暑うなるぞ・・・」としみじみと周吉は呟く。

幾星霜を経ても変わらぬ感情、周吉の言葉に喪失を超えた恒常性を感じる。

共同体は変貌しても、人間の心の奥底には、自然を思う恒常性があり、その恒常性こそが人間のせいを支えている。人間の死といつもと変わらぬ尾道の夜明け。朝に包まれる日本人の心。同じ初夏、同じ朝、同じ陽を昇らせる。季節の恒常性は、人間の心に普遍があることを教えてくれる。

周吉は心優しい紀子に感謝し、とみの形見を贈り再婚を薦める。

幸一や志げは、そそくさと先に帰ってしまう。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。やがて残っていた紀子もいよいよ帰ることになる。

周吉は「とみが、紀子の家に泊まったあの晩がいちばんうれしかった」と、そして「昌二のことは忘れてもらっていい」と言う。

紀子は「あたくしずるいんです。そういつもいつも昌二さんのことを考えてはいるわけじゃありません。(中略)このまま一人でいたら、いったいどうなるんだろうなんて、ふっと夜中に考えたりすることがあるんです」と言い、「どこか心の隅で何かを待っているんです」と告白し涙する。

周吉は「ええんじゃよそれで、やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で」と言う。

紀子は二十歳で平山家に嫁ぎ、すでに八年の間、未亡人のまま一人身でアパートに暮らし、部屋には、遺影が飾られている。紀子は、 昌二の妻として、義理の父母を持つ娘として、さらに兄弟姉妹にも尽くしてきた。終戦間近に昌二は戦死したので、結婚生活はほんの僅かしかない。紀子は未亡人である年月のほうが圧倒的に長くなっている。

とみの急死で、紀子の抑えてきた気持ちが溢れる。それは「自分のこれから先を案じる」生きる不安への思いである。とみが生きている間は言えなかった紀子の告白を、周吉は理解する。それは周吉が、上京して解った子供たちの忙しい日々や、級友たちと交わす愚痴のなかで感じた、時間というものの残酷な変化でもある。

周吉は、紀子の幸せを願い、時間を進めていくことが良いことだと考える。

周吉は「気兼ねなく先々、幸せになってくれることを祈っている。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらに良くしてくれた。ありがとう」と感謝する。

とみの形見の懐中時計を渡す。それは、とみの過ごした時間であり、紀子に受け継がれる時間である。義理の親子の関係という「時間」を、周吉は喪失させ終結させようとする。

家族という大きな時間に包まれていることは変わりないが、自分の時間が紀子にも流れようとしている。嫁ぎ先の平山家と疎遠になることを良しする証で、とみに先立たれ、ひとり残された周吉が、そうしむけている、周吉の言葉は紀子を安心させている。

紀子は、とみの形見の金時計を携えながら、東京へ帰る。

時間の流れの中で家族や夫婦の在り方が変わり、それは抗うことはできない。しかし心の中で永遠の記憶としてその絆が生き続けていくことを静かに託す。

最後にまた、冒頭と同じように垣根越しに中年女が「皆さんお帰りになって、お寂しうなりましたなぁ、ほんとに急なこってしたなぁ、全くなぁ、お寂しいこってすなぁ」と挨拶する。

すると周吉が「いやぁ・・・、気のきかん奴でしたが、こんなことなら、生きとるうちにもっと優しうしといてやりゃよかったと思いますよ・・・。一人になると急に日が長うなりますわい」と呟くように言葉を返す。

こうして心の中の重たい出来事を、ご近所同士の軽い挨拶言葉に包み込みながら物語が閉じられる。

それは<豊かさ>を目指し人々が集まる都市、変わりゆく家族のかたち、そして<核化>する生活の単位。確かに崩壊する家族制度が描かれたものであると同時に、そこに人間の恒常性と尊厳が連続することを願っている。

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