小津安二郎『東京物語』解説|変わる家族の形と、恒常なる日本人の心。

スポンサーリンク

近代の特徴は都市化であり技術による効率化でもある。進化する社会は、変化の速度を加速し、生身の人間を否応なしにシステムに組み込んでいく。無常なる流れの中に恒常なるものは在るか。それは私たちが失うことを拒否する感情である。小津調と呼ばれる短いセリフ回しとカメラのローポジションで人間の姿を冷徹に描いた『東京物語』。映画の脚本を思いながら、野田高梧と小津安二郎監督の代表作品として、日本のみならず世界から高く評価されているその主題を解説してみたい。

スポンサーリンク

あらすじと解説

戦後の高度成長がもたらした、良き共同体の崩壊を静かに受け入れていく。

尾道に暮らす老夫婦が、旅支度をしています。周吉は七十歳、とみは六十七歳、子供たちは都会でそれぞれの生活を営む。「元気なうちに」二人は上京し子供たちの「暮らしぶり」を見ておきたい。

東京には長男の幸一、長女のげ、そして次男の昌二の嫁 紀子がいます。三男の敬三は大阪に、末女の京子は尾道にと、老夫婦は三男二女を育てた当時の典型的な家族です。

人生の幕を閉じようとする老夫婦が尾道から東京に子供たちに会いに行き、しみじみと半生を振り返る。そのなかで日本の家族制度の崩壊を描く。共生社会から競争社会への急激な移行である。

それは<家族の絆><親と子><老いと死><人間の一生>などの価値観を変える。良き進化ではないが豊かさを求める人間の欲望は、変化を止めることはできない。

ではその無常のなかに、人間のあるいは日本人ならではの恒常な心はないのか?これが近代社会における、普遍的なテーマではないか?

『東京物語』の始まりは、尾道の住吉神社の大石灯籠のアップで始まる。

垣根越しに声をかける中年女の隣人と周吉の会話。

周吉が「まぁ今のうちに子供たちにもうとこうと思いましてなぁ」と答えると、

中年女は「ええ、ええ、ごゆっくりと。立派な息子さんや娘さんがいなさって結構ですなぁ、ほんとうにお幸せでさ」と返し、物語の扉が開く。

軽いご近所の挨拶である。中年女の「ええ、ええ、ごゆっくりと」に、子供を育て上げた老夫婦への労いと留守の見守りの気分がうかがえる。昭和二十年代後半の終戦後の尾道である。人々に安心な日常が戻って来た頃だろうか。

一九四一(昭和十六)年に大東亜戦争が始まり、一九四五(昭和二十)年に終戦を迎える。それから僅か十年後、一九五六(昭和三十一)年の経済白書は「もはや戦後ではない」と高らかに謳い、その序文には “回復を通しての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる” とある。

復興経済から、これからは近代化で成長するという。人々は都市に向かう。この映画は一九五三年の製作で、近代化が良きものを崩壊させていく状況を見つめる映画でもある。

人間が時間に組み込まれ忙殺される、両親の世話ができない幸一と志げ。

老夫婦は東京に着く。経済発展を象徴するように煙を吐き出す背の高い四本の煙突。周吉ととみは、荒川土手の近くに内科病院を開業する長男の幸一を訪ねる。

幸一の家では、妻の文子と息子のみのるいさむが迎えます。長男の幸一は、長女の志げと駅で落ち合い、周吉ととみを連れてきます。遅れて紀子も訪れます。紀子は、周吉の次男、昌二の嫁ですが夫を戦争で失くして一人で生活しています。

久しぶりの家族の集いで、幸一と志げは、尾道の知人の消息を尋ね会話が弾みます。明日は、幸一が両親を連れて出かける予定で、志げも紀子もやがておいとまします。

翌日曜日、幸一の患者の様態がすぐれず、急遽、往診に出向くことになります。楽しみにしていたみのるは、約束を破られて機嫌が悪い。幸一の妻も、子供たちの世話や家のことがあり外出できない。とみは、いさむをつれて土手に遊びに出ます。

町医者の幸一は、急患があるので予定が立てづらく自由がありません。次は、志げを訪ねます。美容室を経営する志げは、淡白な性格で気ぜわしい。

夫の庫造が、老夫婦に美味しいお饅頭を買ってきますが、志げは「せんべいで充分、お金がもったいない」とそっけない。夫も集金で時間が空かず、志げのところも両親をどこにも連れていけません。

個人開業医の幸一は、地域の人々が患者でありお客様です。急患となれば優先しなければ評判にも影響します。美容師である志げは、まさにお客様あってのサービス業です。幸一も志げも悪気はありません。日々に忙殺され代替がきかず、両親を構っていられないのです。この対応は “親不孝” であり “エゴ” であることは事実ですが、二人が選んだ生活手段では仕方がありません。

志げは、商事会社で働く紀子のところへ電話します。

紀子は会社を休み、老夫婦をはとバス観光に連れていきます。広々とした皇居、華やかな銀座四丁目、松屋の屋上から望む東京の街、遠くに国会議事堂が見えます。老夫婦の初めての東京見物です。

帰りにアパートに寄ります、紀子は質素に暮らしています。共同炊事場で廊下には三輪車や物が放置されています。暮らしはけっして楽ではありません。自由がきくのは、紀子に与えられた仕事が事務程度のもので融通がきくためです。

両親をもてなす酒を隣家に借りに行く。貸し借りをしながら助け合う関係がまだ残っている時代です。出前をとって膳をつくる紀子は、実の子でもないのに、いちばん優しい。

昌二の遺影も部屋のなかに大切に飾られています。昌二の思い出を偲ぶ周吉ととみに、紀子も懐かしく、そして孤独をかみしめます。

忙しい幸一と志げは、両親を充分に相手にできないので、紀子が頼まれることになります。戦死した次男 昌二の嫁、紀子だけが義理の父母に優しい。ここに少なからず違和感を覚えます。紀子は実の血を分けた親子ではなく、死別して既に八年が経過しています。姑の目線では「できた嫁」でしょうが、明らかに自己犠牲的です。

都市への集中は近代化を進めるが、ほんとうに豊かになったのか。

両親の上京を持て余す幸一と志げは、一計を案じ熱海で過ごさせようと考えます。風光明媚で温泉や食事も楽しめて妙案だとうなずきます。

老夫婦は、熱海で温泉に入りゆっくりとくつろぐ。旅館の窓からは、静かな海、その先に初島が見える。ところが夜になると、会社員風の客でごった返し、遅くまで宴会や麻雀などの騒ぐ声で寝つけません。翌朝、防波堤に腰掛けて海を見る二人は、そろそろ尾道に帰ろうかと思案します。

「東京も見たし、熱海も見たし、もう帰るか」「帰りますか」と話し合います。とみは少し眩暈めまいがして、ゆっくり立ち上がり防波堤の上を歩きながら、老夫婦は志げのところへ帰っていきます。

志げは「何でもっとゆっくりしてこなかったの」と困惑し、美容院の寄り合いを理由に宿泊をやんわり断ります。

居場所を失い、周吉は旧友の服部のところへ、とみは紀子のところへ泊めてもらうことにします。「とうとう宿なしになってしもうた」と周吉は笑います。

上野の丘から東京を眺め「なぁおい、広いもんじゃなあ東京は」「そうですなぁ、うっかりこんな所ではぐれでもしたら一生涯、探しても会われしませんよ」と二人は広大な東京をしみじみと見渡します。

子供達を頼りに上京したけれど、思うように相手にされず、時間を持て余す老夫婦。

仕事を求めて東京や大阪へ巣立った子供たちだが、それぞれに分割された核家族を支えるために、近代化へ向けた経済成長の原動力となり気ぜわしく働いて忙しい。それが豊かさのためだと信じて懸命にがんばっている。日々の仕事と生活に忙殺され、両親をもてなす時間が取れません