解説
①現実を赤裸々に描き衝撃を与え、その後の日本の私小説の方向性となる。
特筆されるべきは、誰もが隠したい心に抱いた妄想を赤裸々に描いたことの衝撃です。
渠は性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力を有ってる。(中略)世間からは正しい人、信頼に足る人と信じられている。
引用:田山花袋 蒲団
「周囲からは正しい人で、信頼される常識人」と思われている時雄が、心の底では絶えず芳子を意識し懊悩しているという落差が、人間の心の内面性を覗けて楽しく読めます。
「信頼される常識人」の時雄が、このような妄想癖を持ち、恋し、策を練り、うまくことを運んでいることを知り、読者は人間の本音と建前を知る。しかし芳子と田中の関係がすでに霊肉の関係に及んでいたことを知り、時雄は愕然とする。
そして「性に惑溺することが出来ない」時雄が、最後には女の残した夜着に顔を埋めて泣くという告白までに至り、小説のキモすぎるほどの赤裸々な手法が当時の人々を驚かせたのです。
作品の中の竹中時雄は「美文的小説家」として登場し、季節の移り変わりに、心を重ね合わせた描写は流れるように美しく、それだけに失恋の描写との落差は大きくなっています。
作品を通してモデルとなった芳子と田中は実在の人物であり、その後の人生に世間の耳目を集めることになります。それでも小説家の創造上の話であり現実と虚構が相まっており、まさに内面描写は作家自身の心象です。この作品は日本の私小説に大きな影響を与えました。
②露悪なユーモアと共に、時代の空気感や男女の価値観が伝わってくる。
当時の時代背景や男女の価値観、世代の捉え方などが現代の読者に自然にも入ってきます。それまでの戯作的なものでもなく、かといって海の向こうの西洋の真似でもない。本作品は、花袋が「東京三十年」で回想したとおり、作家として自己を赤裸々に描くという挑戦でした。つまり意図してこの作品は書かれているのです。内面の描写が細やかだから読者によく伝わるのです。
硯友社の尾崎紅葉を師事した平易で美しい文章は、移り変わる自然、そして芳子の女心など西洋の作品を引用し巧みに表現されています。既に江戸は遠くなり旧来の因習と明治の開明的な考え方が、女性の人生にも芽生えるさまが伝わります。
時雄の考える「旧来と異なりこれからの女性は、自覚し依頼心を失くし、男に依存せずに、自ら考え自ら行う」という部分に対して、最後には芳子が「先生に教えていただいた新しい明治の女子としての務めを行っていず、旧派の女で新しい思想を行う勇気がないこと」という部分が時代や女性観の狭間を感じさせます。ここで旧派と新派の両世代を取り込んでいます。
何より面白いのは時雄の心象で、妄想、泥酔、妻への八つ当たり、自己欺瞞そして最後は自己憐憫と感情は移っていきます。しがない中年男の倦怠から芽生えた若い女弟子への思いを露悪的にユーモアたっぷりに描いています。
作品の背景
フランスのエミール・ゾラが提唱した自然主義文学の考え方が、日本にも入ってきます。当時は江戸から明治へ駆けて、戯作文学から西洋文学を取り入れた新たな日本の文学を模索した時期でした。日本では、内面を赤裸々に描くものと解釈され独特な私小説の世界を生み出します。田山花袋は日本の自然主義運動の主唱者であり推進者です。西洋の自然主義の概念とも全く異なる日本の自然主義文学が、その後の私小説に転じた大きな功績がこの「蒲団」です。この描写は中年男が女子学生を密かに想うものですが、その内面性を今の時代感覚でも楽しむことが出来ます。
発表時期
1907年(明治40年)、『新小説』9月号にて発表。田山花袋は当時36歳。自然主義文学は19世紀末にフランスで提唱されたエミール・ゾラにより定義された文学運動で、作品として「ナナ」や「居酒屋」などがあり、自然の事実を観察し真実を描くためにあらゆる美化を否定したものでした。日本ではありのままに描くこととなり、「蒲団」は日本の自然主義文学を代表する作品となると同時に、私小説の出発点に位置する作品となります。