今から百年以上の時間を遡ると、正宗白鳥の『塵埃』という短編がある。この作品は、リアリズムの手法に倦怠や厭世、ニヒリズムが漂う。日本のあちらこちらで見られる会社人の仕事場や居酒屋での社交が “時代を生きる視点” で描かれ、明治と現代を比較して読むと興味深く楽しめる。
あらすじと解説
会社にしがみつく中年の悲哀と、大きな夢を抱きつつ老成する若者。
主人公の「予」は新聞社に勤め、校正係を仕事にする若者。物語は、新聞社の編集局で働く人々の談笑と、その内の一人 小野君との居酒屋での会話という、ごく狭い世界を描く。しかしこれが当時の世相と社会の縮図として現れる。
「予」に見える二つの風景があります。
ひとつは、一致団結した仲間意識を装う人々です。原稿を締め切り編集者がストーブの側に寄ります。そこには既に、椅子に腰かけるもの、外套のまま立っているものが寛いでいます。一同は議会の問題や情婦殺しの消息、雑報の注釈説明批評などの話題で喧しく賑やかです。二面の編集の岸上、三面の外勤の築島、硬派の大沢。情婦殺しの話題で、愛嬌笑い、作った表情、無駄話に講じています。その談笑は、まるで空虚な世相風景そのものです。
「予」は冷ややかにこれを見て思います。編集局の面々は、外交記者の壮語沢山の話に耳を傾け、内閣や議会に出入りし天下の名士と同席し酒を酌み交わし懇談する身なのに、立身栄達を目指さず、ストーブで炙った食パンを食らいながら生涯を終えるのだろう。精神が失せて「枯木的人間」となっていくだけだ。こんな塵埃を吸うくらいなら、「予」は舌を噛んで死んで見せる。
「予」は、南米へ行く計画が破れて、次の計画まで糊口のため、短期のつもりで校正係をしているのですが、こんな下らない仕事を男子が勤めているのは良くないと思いながら、撼天動地の夢を胸裏に潜めながらも、早や三ヵ月と流されていきます。
ひとつは、小野君の佇まいです。社内の騒ぎが耳に入らぬように、ぼんやり窓を眺めています。「予」と同じ校正係で三十幾年この社に勤務しており、社で育ち社で老いた創立以来の古株の一人。目立たず、物静かで、真面目で風采の上がらない男の印象です。
「予」は、今日は給料日なので小野君を誘う。銀座の通りに出ると、小野君は如何にも見すぼらしく、場違いの気味がする。「何処へ行こう」と聞くと、小野君がしきりに「安値の所」というので、電車に乗り馴染みの本郷の「蛇の目鮨」にする。
小野君と差し向かいで座るが、食パン生涯の結果か、顔には汁気がなく、目はどんよりとして、何処を見ているのか分からない。神経は無くなり、感覚は消滅したような感じだ。
「予」が、「貴下はよく長く社に辛抱していますね」と問うと、小野君は「へへへへ、まぁ仕方がありませんのさ」と応じる。
酒をすすめると小野君は人相が変わり、木彫りの像に魂が入ったようになる。飲み進むと「若い人が羨ましくなり、自分が哀れっぽくなり仕様がない」と言う。
碌々して老いる、小野君の話に「予」は自分の将来の行方を思う。
小野君は、原稿にある「碌々として老ゆる」という文句は自分たちの事だという。この言葉は、平凡で役に立たない、たいしたことができないという意味だが、「碌々」には、呑気にぼんやりして老いるんじゃなく、いろいろなつらい思いが含まれているのだと、しんみりする。
「予」が、「長く新聞の仕事をされ、精勤すれば有望なのですかね」と話を向けると、小野君は「そのことですよ。職務を忠実に尽くしてりゃ、自然に立身するなんてのはあるのですかね」と返してくる。
「予」が、「校正係は張合いのない仕事で、どうにかしないと」と本音を吐露すると、小野君は「私も昔は度々そう思いましたがね、思っている間に、ずんずん月日は立ってしまう、しかしまだどうかしようと思っている間は頼もしいが、私達はどうかなるだろうで日を送るんですよ」と答える。
自身の人生の立て直しを最初は目指しつつも、月日に流されて、ついには惰性となり、どうにかなるだろうと、終いには無気力になる。
それは生の意欲をすり減らしてしまった小野君の感慨深い認識でもある。
「予」が、「その方が気楽で良いかも」と気休めを言うと、小野君は、「どうせ頑張っても叶わないから勝手にしろと、流され放題に目を瞑るようになる。そうして碌々と老いてゆく」と話す。
つまり「碌々して老いる」という言葉には、世の中に抗いつつも、敗北して、諦観のうちに生きているということだ。
小野君は酔いが回り出して、窪んだ目縁が紅くなり、眠っていた目が煌き謡曲を謡いだす。黒人ぶった節回しで、鬱憤晴らしで苦労を忘れるため、四五年前まで会社の素人謡曲の組に入っていたという。
大っぴらに不平を言う元気はなし、外の人のいやなことは自分にもいやだし、どうにかして鬱憤を晴らして、苦労を忘れようとしているのだという。能も見たいのですが金の余裕は無く、せめてもと会社にある「能楽」という雑誌を読んで慰めていたのですが、その雑誌も没収され楽しみも奪われてしまったと、憂い顔になる。
物価は高くなる、子供は増えるで、ついに思い切って給料の増額を願い出たとたんに、「今ので不服ならお止めになっても差し支えない」と厳命が下るのです。
「私のような無能の者は、社でも必要なければ、世間にだって不要な者だ。生きていられるだけが有難いお慈悲だと思い返している」と言う。
小野君は、へへへへと凄く笑って帰って行った。翌日、出社すると小野君は元の石地蔵で、冷然としている。築島や大沢は相変わらず、パンを齧って気焔を吐いている。
「予」も又一日を校正に過ごさねばならぬ、己には将来があると、心で慰めながら。
明けて二十六歳になる「予」の熱烈たる夢想家ぶりと、「枯木的人間」である編集局の腰弁の老残と熱意の失せた小野君、彼らと「予」が対比されているが、しかし「予」にもじわり塵労の連続が圧しかかり、自らを慰藉する。
百年後の現代に、不思議なほどこの感覚が一致できる背景とは何か。
リアリズム。あるがまま、感じるままを偽りの気持ちなく描く。内なる自我が何処に向かおうとするのかが分からなくなる。分からないことを、分からないと、リアルに書くと、読者から見れば、それは虚無的に映ってしまう。しかし、実際に真理など簡単には到達しえないものではないか。言葉も認識も不確かなのである。
白鳥は生活のために文学をやっているということの主旨をエッセイ「思い浮かぶままに」の中で「私が作をするのは一に生活の為のみである」と述べている。生きるためだけに書いているというのだ。他の人の職業と何ら変わらないと言う。実存的な不安、生きている意味が掴めないことへの不安。そこからくる寂寞が、この塵埃のなかにある。人生自体が空虚なものなのだ。
自分を見出せず、「何処へ」行くのか分からないままに物語は閉じられてしまう。
自然主義が現実を飾らずに人間の欲望を有りのままに描くことだとすれば、白鳥は自然主義文学ということになるが、白鳥自身は自分の文学を自然主義の文学とは思っていなかった。しかしそのリアリズムは、“有るがまま” であり、白鳥の主観とそこからの創作の文学であり虚飾は無い。だから現代の視点でも百年前の心象をそのまま知ることができる。
白鳥は、小野君に言わせている。「ははは、雑誌や新聞に虚言がないもんならばねぇ、いや活字の誤植よりゃ、書く人が腹の中の誤植を正す方がいいんさ」と。
近代化され制度化され塵埃が舞う社会のなかで、組み込まれる人々。行方定まらぬ不安な自我との葛藤のなかで、そのニヒリズムは、文学を通して、明治の当時の世相と現代が同じという実感を得ることができる。