ドッグズヘッド港の屋敷の人々と、舌を切って抗議する異様な女性団体。
ジェニーの母親が死ぬと、屋敷には崇拝者たちや女性運動の参加者たちが群がってきた。彼らは賛成や承認を求め、催し物や会合もあり、ジェニーは白衣のまま演台に立つこともあった。
そこには、強姦され舌を切られた十一歳のエレン・ジェイムスの事件の抗議団体、エレン・ジェイムス協会の人間もいて、彼女らは舌を切ることで抗議していた。
ガープはエレン・ジェイムス本人には思いやりを持つが、「ジェニーは協会の人々に利用されている」と忠告する。ジェニーは「強姦はすべての女性の問題」と言う。ガープには、民主主義を極端に推し進めるやり方にしか思えなかった。
ガープは処女長編『遅延』を書き新進作家としての地位を確立する。その作品は「歴史もの」とされた。
舞台は一九三八年から四五年の大戦、およびソ連軍占領期のウィーン。ドイツとの合併のあと、ナチスに正義の一撃を見舞うべく潜伏する若きアナキストと母の物語。動物園の飼育係をするこの若きアナリストは、動物たちも解放する。しかし飢えた動物は彼を食べてしまう。アナキストの母親は大戦もソ連占領の残虐な行為の時期も生き延びた。一九五六年に平穏が訪れた時に、この母は息子が果たせなかった夢を実現すべく、再度、動物を解放したが飽食の動物たちは動かず、唯一老いた熊だけだった。そして老婦人は逮捕され、癌に冒されて死ぬ。
ガープは、自分の経験にないファシズムの歴史に、比重を置き過ぎていると感じた。『遅延』の書評に泣きごとを並べ、売上を嘆き、母親をなじり、その「精神病」の仲間たちをこきおろした。
もう一人子供をつくろうとヘレンに頼んでみた。ヘレンは合意してくれた。
ガープは五年間になるヘレンとの結婚で、彼女を一度だけ裏切った。束の間の情事だった。相手はヘレンが教えている大学から来たベビーシッターだった。
二人目の子供は男の子だった。ダンカンの弟はウォルトと命名された。ガープは二作目の小説に、ヘレンも二度目の州立大学の英語の助教授の職に就いた。
ガープ夫妻とハリソン夫妻の夫婦交換、それは公平で人間的な四角関係。
ヘレンの大学の同僚にハリソン・フレッチャーがいた。妻の名はアリスで小説家だった。アリスはハリスの浮気をガープに相談する。ガープは自分のベビーシッターとの一件を話し、束の間の出来事だと落ち着かせようとしたが、彼女は納得いかないようだった。
ガープはハリスと話すと「浮気の相手は学生で、アリスに正直に話している」と真剣で、「アリスもガープと浮気をすればいい」と言う。
ガープがこのことをヘレンに相談すると「アリスに話す前にわたしに話してくれても良いでしょう」とヘレンに言われる。アリスがベビーシッターの件をヘレンに話したのだった。
こうしてガープがアリスと、ヘレンがハリスとが結ばれてしまった。ガープはアリスが特別のものとなり、ハリスはヘレンこそが人生で最大の特別なものとなった。
ハリスは、学生の浮気相手を忘れ、あとはヘレンのことを忘れさせるだけだった。アリスの方についても、ガープは別れの筋書きを考えた。
公平で人間的な四角関係は六ヵ月かかって終了した。ハリスの浮気相手の学生が誘惑されたと訴え、大学側が辞職を勧告し、ヘレンとの関係も表沙汰になり、そして引っ越していった。
ガープの二作目の短編『寝取られ男の巻返し』は、夫婦交換をおこなう二組の夫婦の物語。まわりくどい会話とセックスがいっぱい詰まった本となった。
セックスのために傷つき、罪悪感を覚え、さらにセックスを欲しがる。ある書評家は、「人間が真の自己を自分に対して露わにするのは性関係を通してのみであるが、しかし人間が自己の深みを失うのも性関係によってである」と評した。
四人の登場人物はそれぞれが肉体的な障害を持っている。男の一人は盲目で、もう一人はどもりが激しい。女の一人は右腕に筋肉痙攣がありいつも右手が暴れる。もう一人の女は抑えのきかない腸内異常発酵をかかえる。放屁女がどもり男と、盲目の男がおっかない右腕の女と結婚している。一方の夫婦に子供ができると父親はどちらかと考える。そして終わりはクリスマスシーズンのエスカレーターで、放屁女がするどいブーを放ち、痙攣女は老人をぶっとばし、お互いは身の宿命を静かに確認し、冷ややかな笑みをかわす。
ガープは「結婚生活に関する真面目な喜劇、しかして性的な茶番劇」を書いたつもりだと言った。
小説は成功作になることはなかった。読んだ誰もが困惑した。
性転換したフットボール選手と、ガープの作品世界に対する考え方。
ジェニーの一番新しい仲間は、イーグルスのフットボールの名選手だった長身のロバータ・マルドゥーンといういう性転換者だった。性転換手術の勇気を得たのもジェニーの『性の容疑者』からだった。ガープは彼女が好きだった。
ジェニーは、性転換者との理由でフットボールのTVアナウンサーを馘にされたロバータの支援をしていたが、ロバータに寄せられる憎しみの手紙の気ちがいじみた文面にガープは心配した。ジェニーへの愛憎はそれ以上だった。ガープは「母親が世間の他の犠牲者のため、世間のありとあらゆる憎悪、残酷さ、暴力の犠牲となることもありうる」と悟った。
ジェニーは寧ろ、ガープの内向性―想像力―の方が危険な生き方と考えていたようだ。
この『ガープの世界』は一九七八年の作品で、アメリカが自己目標を見失い政治運動、社会運動、人権運動が盛んな時期だった。。二〇二〇年代の現代では、ジョン・アーヴィングの使用する言葉の数々はポリティカル・コレクトネスの観点からは完全にNGだ。作品の中で広がっていく “おどろおどろしいまでの世界” 。ただし文学には、世間の偽善的な態度への懐疑や、想像の世界に浸ることにより、物事の本質を正確に捉えることの機会になることもある。
ガープは、どうして人は「こっけい」であっても、同時に「真面目」であることが理解できないのだろう。どうやら、真面目さを装えば、真面目ということになってしまうものらしい。ガープは、笑いとは同情に関係するものであり、人間に必要なものだと信じていた。
自分の考え方が他人をからかっていると解釈されることは、つらいことだった。
ここでは、愛も肉塊も要らないと考えたジェニーが、ガープを得た後、自身の半生を発表し、その後は他者のために生きるのに比べ、ガープのように自分のことだけを考えて生きる自信家の我儘な人間との比較になっている。
ダンカンは十一歳、ウォルトは五歳。ヘレンは大学で仕事をして、小説家のガープは、代りに伝統的な主婦仕事―料理、子供の世話、洗濯、掃除―をすべてやった。
ガ―プの振舞や習慣へのヘレンの嫌悪と、疚しさという心の変化。
深夜の電話は失恋話だった。ロバータは「自分が女になるまで、男がこんなに下劣だってこと、知らなかった」と嘆く。
度重なるロバータの深夜の電話のせいか、ヘレンは居間のソファで学生のレポートを読んでいたが、少女のような表情をガープはどことなく解しかねた。その表情は「疚しさ」だった。
学生の名前は、“マイケル・ミルトン” 比較文学専攻の大学院三年生、イェール大学のフランス語を専攻、その前はスティアリング学院を卒業。一年間、フランスで過ごしたという二十五歳だった。マイケルとガープは正反対だったが、けた外れの自信家という点では共通していた。良くも悪くも傲慢さが似ていた。
三十歳代のヘレンが魅力的だったのは単に美人というだけでなく、内面的な充足感のため完璧な外見だった、見事な女性だった。
ヘレンのゼミを選んだ理由を、マイケルは「貴女を最初に見たときから、貴女の愛人になりたいと思ったからです」と答案に書いた、ヘレンはその答えをガープに見せず、疚しさを感じた。
その頃、ガープの奇矯ぶりが、ヘレンは鼻につきはじめた。特にエンジンを止め、ライトを消して下り坂の私道を走るスリルを味わいたいだけの子供じみた危険な行為は目についた。
そんなガープの振舞や習慣が鼻につくころと、マイケルの質問書の答えが重なっていた。
ヘレンは、ボルボのギアチェンジレバーの不具合がきっかけでマイケルと近くなる。
「わたし、愛してもらいたいの」とヘレンはガープに言った。「まず読んでくれよ、ヘレン。そのあとで寝よう」。彼の優位がヘレンの癪にさわった。
ガープは新作の評価を求めてきたが、ヘレンは「問題は作品ではなく、わたしなのよ」と思った。そしてガープの求愛の方法が腹立たしくなってきた。
ヘレンから仕掛けた教え子との不倫が、家族を大きな不幸に見舞う。
少なくとも、始まりはヘレンが自分の意思で仕掛けた。そして「もしだれかにこのことを知られたら、それでもうこのことはおわり」という約束をした。
車が必要だった。マイケルは、一九五一年型ビュイック・ダイナフローを手に入れた。
ガープは自惚れが強かったから気づくことは無かった。ところがマイケルに振られたヘレンのゼミ生のマーギー・トールワースが感ずき、ガ―プにマーギーの手紙が渡る。
奥さんがマイケル・ミルトンと「関係」しています。
ガープは、マイケルをいまいましく思いながら、ダンカンを連れてウォルトを迎えに行き、家に帰って、ウォルトと風呂に入り、浴槽にもぐり込んだ。帰ってきたヘレンは、ガープに謝ったが、ガープはダンカンとウォルトを映画に連れて行く間に、マイケルに別れの電話をかけるようにヘレンに言う。
マイケルは制止を聞かず、ヘレンの家に向かった。「やめるなんてできないよ」と言う。ヘレンは「口の中にくわえさせて吐き出させてやろう、そうしたら帰ってくれるだろう」とぼんやり考えた。男というものは、いったん射精してしまったら、要求を撤回するだろう。
ガープは、結局のところ脛に傷もつ身―こっちの傷の方が深いーのははっきりしているし、善意のヘレンがこういう発覚の仕方をしたのは不公平とさえ思えてきた。ところが家に電話してもヘレンが出ないと分かったとき、この微妙な地点が、すっかり壊れ去り、怒りと裏切りしか感じなかった。
映画を切り上げて、車に乗り込むと氷に覆われたフロントグラスは白くなっていた。ガープは雹みたいに固くなってきた霙のなかに顔を突き出して、その恰好で運転を始めた。同じ瞬間、ヘレンはマイケルが発射しそうなのを感じていた。
ガープは時速四十マイルで走り一面に凍てついた下り坂の道路を、ギアをニュートラルに入れエンジンを停めて、ヘッドライトを消した。黒い雨の中を車は惰走する。子供たちは二人とも昂奮して歓声を上げた。