メッセージと感想
質と量、どちらが大切か
あなた自身のなかに、二つの時間が、存在しています。
ひとつはモモのような時間です。
この時間は、生きています。過去の記憶を現在に蘇らせてくれます。長い年月を経てそこにあり、今、ここにもあります。私たちはすべての時間を記憶しているわけではありません。いや記憶している時間の方が圧倒的に少ないはずです。
しかし、鮮明に記憶している時間があります。だれかとの忘れえぬ思いだったり、行動を決断したときの気持ちだったり、印象的な経験をした感情だったり・・・。
その記憶が今も蘇る。するとその時間は、現在でも生きていることになります。
その大きな象徴として歴史と人々の記憶があるのです。
円形劇場は古代の人間の営みを劇として演じたトポスであり、繰り広げられる悲劇や喜劇を、人々は真実のように観劇する。そこには喜怒哀楽があり日常があったことでしょう。エンデは、時間を生命(いのち)として感じてほしいのです。
この場所に棲みついている浮浪児のモモは、決して近代人の象徴ではありません。
人間というよりも寧ろ、霊性と考えても良いし、詩と捉えても良いのかもしれません。モモは、星々の声を聞き、宇宙の音楽を聴いています。それは時間そのものであり、人間たちの物語そのものでもあります。
もうひとつは灰色の男たちのような時間です。
この時間は、死んでいます。フージーさんは生活の潤いとしての母親や恋人、友人や趣味、自分のことを考えるひととき、そんな時間を失くしてしまいました。
エンデはこれを時間泥棒に、人間の命の時間を奪われている状態だというのです。
そして驚くことに、そのきっかけが、もっと時間があれば良いのに…という願いにあったことです。そして灰色の男たちは、時間を効率的にという囁きで、時間を後送りしようとするものです。
節約した時間を貯蓄すれば、さらに利子までついて時間が大きくなるというのです。この作品の“時間”とは“お金”のメタファーです。そして利子とは株や投機によるマネーゲームです。
量としての時間、つまりお金に満ちた生活だけになるのです。そして、お金を多く所有する者が成功者であり、幸せなのだとします。しかし結果的には、友人を失くし、コミュニティを失くし、心が不安定になっていきます。
芸術や哲学の素晴らしさ
詩人に金を払う人たちは、無駄に金を捨ててるっていうのかい?詩人からちゃんとのぞみどおりのものをもらっているじゃないか!
ジジのセリフはエンデの考えでもあります。想像力で物語を創ることは、まさに芸術です。生きる活力として人の心を癒します。
話が遅いジッポは、なぜそんなに遅いのかと問われると、ウソを言いたくないからだと答えます。それは深く思索する行為です、哲学といえなくもありません。仕事も少しずつ、丁寧に確実に前へ進んでいくことを信条としています。
モモのおかげで芸術家のようなジジの創作はさらに素晴らしいものになり、哲学者のようなジッポは、話を気長に聞いてくれるモモを大切に思うことができます。
そして不思議な聞く力を持つモモと一緒にいると、皆は自分の時間を取り戻すことができるのです。
しかし時間泥棒によって、想像も思索も萎んでしまうのです。皆も自分を失っていきます。
つまり効率主義や生産性だけの基準でしか繫栄の尺度を持たない社会は、文学や哲学を失い、当然ながら宗教心や道徳や倫理感も失くして、死んだ砂漠のようになっていくのです。
判断はあなたのなかにある
作品発表から半世紀、エンデの予言はさらに加速していきます。
政治・経済そして変わりゆく社会、世の中は、「灰色の男たち=時間泥棒」たちのスローガンに溢れています。人生の目的は、金持ちになり豊かな暮らしを送ること。そこで「高効率、生産性向上、付加価値の最大化」―そんな社会に、私たちは深く組み込まれています。
じゃあ、その利益は誰のもとへ・・・、それは「灰色の男たち」です。
大企業の株主、投資家、一部の政治家たち・・・。その具体的な名前は控えましょう。
で、『モモ』の物語を読んだ大人たちはどうするのか。
これはあくまでファンタジーで、現実は、もう取り返しのつかない場所まで来たと考えるのでしょうか。確かに構造化された社会の壁は高く、大きく、頑丈です。 そうだとしても時間には量と質の双方があることは、理解できます。
「僅か一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあります。時間とは、生きることそのもの。人の命は心を住みかにしている」
とエンデは言います。この言葉には誰もが同意するでしょう。これはベルクソンの提唱した主観的、質的な時間の哲学のようでもあります。
計測される「量的な時間」だけでなく、もうひとつ「質的な時間」があるのです。
現実はどちらも大切なはずです。一方だけに偏ってしまうのは危険だと、多くの人が感じているのではないでしょうか。
時間の価値を一番知っているのは、灰色の男たちです。なぜなら彼らこそが、時間効率の先にある利益を吸い上げて生きているからです。あなたは彼らを崇めていますか。
<モモにとっての時間価値>と<灰色の男たちにとっての時間価値>
この二つは、あなたの心のなかにあり、トレードオフの関係にはできません
人間は自分の時間をどうするかは、自分自身で決めなくてはならないからだよ。 だから時間を盗まれないように守ることだって、自分自身でやらなくてはならない。
マイスター・ホラの言葉です。
判断は、あなたにあります。すなわち、あなたの主観的な自由意志なのです。
あなたのなかにある「モモの時間」と「灰色の男たちの時間」。
それはあなたの年齢や立場、あるいは人生の局面によって変わることでしょう。しかしそれはあなたの選択であり、決断であることは間違いありません。
エンデは「芸術は何よりも治癒の課題を負っている」と言います。私たちは『モモ』の物語世界に、静かに耳を澄ましながら、急ぎ足を止めて、星空の声を聞くことの素晴らしさをいつまでも大切にしたいものです。