江戸川乱歩『押し絵と旅する男』あらすじ|絵の中の恋は、時空を越えた。

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解説

幻想の世界に誘うための素材の工夫とその合理的かつ感覚的な説明。

この「押し絵と旅する男」は奇妙なタイトルである。ここに乱歩の幻想世界をつくりだすための工夫がある。

人形が語りかける話は比較的、多くある。パペットをつかった劇などは誰にでも馴染みがある。しかしこれでは幻想とは言えない。例えば、幼い子供を失くし悲しみのあまり親が人形と共に旅をしたりする。これは幻想の世界に近いが、むしろ悲しみの果ての妄想のように思える。

幻想の世界はもっと広く一般の人々の精神の倒錯を引きずリこむような力が必要である。この押絵細工は細部が本物のようで生きているような描写である。あたかも表情や仕草をつくる人形浄瑠璃文楽を想起させる。名人の手で人形に一瞬、生命が宿るような日本の伝統芸能である。

発端は浅草である。浅草公園の蜘蛛男の見世物、娘剣舞、玉乗り、駒廻しなど。そして六区に新築された高さ40m位の眺望用の高層建築物。中では外国の品物を売る店が並んだり、戦争絵巻が飾られたりしている。ここでも大道芸や覗きからくりなど日本の俗的な見世物の煌びやかな色彩と新しい洋風建築の凌雲閣、煉瓦造りの蝸牛かたつむりのような螺旋階段を上り、この十二階から双眼鏡で境内を見ている場面の和洋の対比のしかけがある。

そして魚津で蜃気楼を見たという。大気により光の異常な屈折で、能登半島の森林が大空に映し出され覆いかぶさるようだったと話している。

浅草の和洋の絢爛けんらんな光景は万華鏡のような美しい世界で、夢か現実か、蜃気楼さながらの目のくらむような幻視の舞台になっている。

そして多くの人の中に見つけた美しい女性は、実はこの押し絵のなかの女性が、プリズムで反射して双眼鏡に映っているという設定になっている。

そしてこの遠眼鏡とおめがねは三十年来の舶来もので、時間の針を戻すことができるかのようなプリズム双眼鏡として描かれ、それを “さかさ” に覗くことで遠近作用で不思議なことが起こる。

読み手を参加させ一体化させる共有体験のつくり方の工夫。

素材の工夫は出来上がっても、読者にも倒錯や幻想などの心理作用を起こさせるには、何らかの共有体験を前提としておきたい。それが自然の不思議な現象の蜃気楼である。読者に誤認を誘導する。

この男はプリズムで反射して現れた押し絵の、この世のものとは思えない美しい女性に恋をする。その気持ちは恋のやまいさながらに思い焦がれて健康を壊すほどで、日々、凌雲閣りょううんかくへ向かい、十二階から双眼鏡を覗き女性を探す。

ついに女性を見つけると、心配し尾行してきた弟に、双眼鏡をさかさにして兄を見るようにといい、すると兄はみるみる小さくなって絵の中に入っていく。

双眼鏡の小さなレンズから覗けば対象は大きくなる。逆に大きなレンズから覗けば対象は小さくなる。その極限は覗く世界に入っていくという誤認をさせる。

そして兄は押し絵となり二人は仲睦まじくなるが、兄は生身の人間なので年をとっていく。弟は兄と女性のために押し絵を抱えていろいろな景色を見せるため旅をする。

ここでも冒頭に、「私がこの話をすると、友達に、お前は魚津なんか行ったことはないじゃないか」とのやりとりを提示している。

この心理がもたらす幻想は、これは「弟」の妄想なのか、それとも蜃気楼を見にやってきた「私」の中にある精神の倒錯現象なのか、もしかしたら押し絵の中に「弟の兄」は、ほんとうに生きているのか。

そして怪奇性よりもそれが「恋ごころ」という淡い甘さなので、「私」と弟である「押し絵と旅する男」と、兄である「押し絵の男」の三者の関係が不思議な幻想のなかにある。

娘はもともと造作物で年をとらないが、押し絵の中の男はもう三十五年も前の出来事であり、弟はこの三十五年間、押絵を抱いて生きており、たまにこうして旅をしている。その歳月をかけて年老いて行き、やがて白髪になり顔の皺はふえていく。年齢もよく判別できない。

物語の最後に、押し絵を抱えた老人の後ろ姿と、押し絵の老人が同じに見えたと描かれたことで、この幻想は「私」が見た幻想のようだが、読み手が抱く幻想は「押し絵と旅する男」と「私」の二人に対する幻想で、片方が蜃気楼のように宙に浮きあがった状況になっている。

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作品の背景

江戸川乱歩の作品は1920-1930年代に多く執筆される。乱歩の作品は大きく3つに区分される。ひとつは有名な明智小五郎もの短中長編の探偵推理小説、もうひとつは明智小五郎以外で初期の「二銭銅貨」「小さな切符」をはじめとする探偵推理小説、そして「人間椅子」などの幻想・怪奇小説である。

この「押し絵と旅する男」は幻想・怪奇小説に区分される。在りし日の兄は浅草の凌雲閣十二階の双眼鏡から見つけた美しい女を忘れられず額の中に入る。弟は兄を思い押し絵のなかで女性とともに生き長らえさせ、そして一緒に旅をする。ひとつひとつの材料を合理的に組み合わせて幻想的な世界を構築している。

それは「私」だけが見た幻想だったのかもしれないとして、読者をも蜃気楼のような幻想に取り込んでしまう乱歩の傑作である。

発表時期

1929年(昭和4年)、雑誌『新青年』6月号に掲載される。当時、34歳。1927年(昭和2年)3月に、休筆を決意して乱歩は放浪の旅に出る。この時、蜃気楼を見るために魚津を訪れたこと(実際には蜃気楼は見れなかったが)が、本作の題材になる。当時、雑誌『新青年』の編集長の横溝正史から原稿依頼を受けるが、約束の日に書けなかったと乱歩は返答。実際は出来が悪くて捨ててしまってた原稿が「押し絵と旅する男」の原型になったとされている。