マリオ・プーゾ『ゴッドファーザー』|原作の解説その2

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●目次

貧困、搾取、悪の横行。青年ヴィトーに訪れる理不尽な現実のなかで

シシリーに生まれたヴィトーが、ニューヨークに渡り、悪に手を染めるきっかけと、巨大なファミリーを築きあげるまでの経緯が、原作では映画(PARTⅡ)と少し異なるかたちで詳しく描かれます。

ヴィトー・アンドリーニはシシリーに生まれ、十二歳でいっぱしの男であったとされ、映画のようなひ弱な描写ではありません。幼年ながら、その環境から目端の利く逞しい男だったのです。

父親は殺害され、母親は幼い息子をアメリカの友人アッバンダンドのもとへ送り出します。この息子のジェンコ・アッバンダンドが後のドンの初代の顧問役コンシリエーレです。

ヴィトーは新しい土地ニューヨークで、故郷の村との絆を残すべく名前をコルレオーネと改めます。この部分も映画とは異なり、十二歳ながら将来を見据えた考え方ができる人間として描かれます。

二〇世紀の変わり目のシシリーは、マフィアは第二の政府であり、ローマにある実際の政府よりも大きな力を持っていた。ヴィトーの父は村人の一人と仲違いし、その男はマフィアに応援を頼みに行った。父親は屈服せず公衆の面前で喧嘩をしたあげく首領を殺してしまい、一週間後、報復を受けて死んだ。

このときヴィトーは短気であることが、人生を間違わせることを学ぶ。

映画では父親と兄、そしてヴィトーを逃がそうとする母親も含め家族を全てマフィアに殺され難民船に乗せられ、九歳でニューヨークに辿り着き、そこで名札に記された “コルレオーネ村より” から、ヴィトー・コルレオーネと呼ばれます。そして天然痘に罹患していたためエリス島の収容所に送られます。

海を渡りリバティ島の “自由の女神” が映され、イタリア系の移民たちが自由を求めてアメリカに辿り着いた感動的な場面でした。

ニューヨークのヘルズ・キッチンの九番街にあるアッバンダント食料品店で働く。そして十八歳のヴィトーは、シシリーから来たばかりのイタリア娘と結婚する。彼女はまだ十六歳だったが、料理の腕は良く、家庭の切り盛りも上手だった。そして二年後にソニー(サンティノ)が生まれる。

随分、先へ急いでしまいますが、物語の既知の読者は殺人を犯したマイケルがシシリーのコルレオーネ村で匿われて生活を送るなかで出逢い、稲妻に打たれるほど魅かれたアポロニアの姿を重ね合わせるのではないでしょうか。アポロニアもきっとヴィトーの妻と同じ十六歳位の設定です。ここに世代を超えた運命の残酷さとして、美しく哀しい思い出をさらに際立たせます。

当時のヘルズ・キッチン地獄の台所はその名の通り、貧しい移民たちが多く、チンピラやギャングたちが横行していた。隣人の中に、ファヌッチという男がいて、マフィアの一派 “黒手団ブラックハンド” の手先として、一般家庭や商店から暴力で金をゆすり取っていた。

横暴なふるまいは増長し、賭博場の共同経営やアッパンダント食料品の利権の一部を買い取り、甥を雇うことを命じる。断れない店主。代わりにヴィトーが首になり職を失う。

物静かで自制心が強いヴィトーだったが、すでにフレッドも生まれ四人の口を養う必要もあり、この時ばかりは、主人の仕打ちを激しく怒った。息子のジェンコは友人のヴィトーに必要な食料品を渡すつもりだったが、父親のものを息子が盗み出すという不埒な申し出をヴィトーは断った。

シシリーからニューヨークに流れ着き、母親の知人アッバンダンドを頼り、ささやかなりとも家庭を持った。しかし理不尽な仕打ちにあい、食を失い、明日も知れぬ身となる。息子ジェンコの友情に感謝するが、アッバンダンドの恩を踏みにじることはできない。

そんなある時に、隣人が、突然、窓越しにヴィトーに預け物をする。若い男はピーター・クレメンツァといい、開けてみると五挺の拳銃だった。預かってくれたお礼に絨毯をプレゼントするという。ヴィトーはクレメンツァが泥棒家業であることに気づく。

ヴィトーはそんな思いがけないことからクレメンツァと友達になる。生活は一向に良くならない、ついにヴィトーは仲間に加わった。そこにはテッシオもいた。貧しすぎる時代だった。そしてトラックの乗っ取り専門グループとなり、積み荷を略奪し売り捌く。

これがファヌッチに見つかり、法外な縄張り代、一人三〇〇ドルを要求される羽目になる。

青年期に確立した、人間にはそれぞれ定まった運命があるという信念

クレメンツァとテッシオは最初こそ威勢が良かったが、ファヌッチに三〇〇ドルずつ支払うことで妥協する。逆らえば、その上の組織のボスが動くし、ファヌッチは警察にも通じていると考えていた。

しかしヴィトーは深く思考を凝らして、ファヌッチにそんな後ろ盾は無い、一匹狼と確信する。ヴィトー・コルレオーネは、ファヌッチを殺すことを決めていた。

ヴィトーは、人間にはそれぞれ定まった運命があるのだという信念はこの時に生まれた。

ヴィトーは首領ドンになるように、運命づけられていたのであり、ファヌッチはそのお膳立てのために登場してきたのだった。

この部分は原作者のマリオ・プーゾは第三者の目線を投げかけヴィトーを評しています。つまりヴィトーが人の上に立つ人間であること。そこには孤高な「知性」と「勇気」が人並みでないこと、そして決断した行為が運命を決めるが、それを「定め」と覚悟できる人間であること。人はきっとそのような人間の未来を目撃してみたいと思うものです。

クレメンツァとテッシオから預かった二〇〇ドルと自分の三〇〇ドルで計七〇〇ドルが手元にある。ファヌッチが暴力によって金を奪い取ろうとする以上、こちらはファヌッチを殺してもいいと考えた。あんな男がいなくなれば、世の中はずっとすっきりする。

二〇〇ドルの不足を言い立てるファヌッチをうまくかわし、その度胸に免じてファヌッチは立ち去る。その後、ヴィトーは屋上に上がり屋根伝いに追いかけ、ファヌッチのアパートに辿り着き、明かりのなかに現れたファヌッチに向けて銃を発射した、二発目は白いシャツの胃の辺りに、三発目は頬に銃口を押しつけ脳味噌めがけて弾を撃ち込んだ。五秒と経たぬうちに息絶えていた。

ここでヴィトーは、殺人者となる。静かで口数少なく、優しくて理性的な男から、知性と勇気をもった冷徹な男に変貌した。前科の無いヴィトーは警察の疑いもかからなかった。

クレメンツァとテッシオは、ヴィトーがファヌッチを殺ったことを感ずいていたが、穏やかなヴィトーの態度に、誰にもしゃべることはなかった。映画(PARTⅡ)では若きヴィトーをロバート・デ・ニーロが演じ、ニヒルな笑いと冷静さに秘めた残酷さを漂わせ秀逸でした。

二.三週間のうちに、近所のすべての人々の噂となっていた。その後、ヴィトー・コルレオーネは “尊敬されるべき男” として遇されたが、彼は決してファヌッチのように金銭をたかって歩いたりはしなかった。

その後、ヴィトーは町の相談役のような立場となる。例えば、コロンボ未亡人が犬の飼育を咎められて、家主からアパートを追い出されそうになるのを、犬の飼育の許可を得て、住み続ける交渉を難なくまとめた。

“尊敬さるべき男” であるとヴィトー・コルレオーネの評判は確固たるものとなった。

賭けカードをやっている男は、ヴィトーに “友情” の印として毎週二〇ドルを支払う代わりにヴィトーの保護下にあることを示し、チンピラとの問題を抱える商店主には仲裁役を引き受けた。

こうして暮らしぶりが良くなり、同志でもあるクレメンツァやテッシオにも収入の一部を分け与えた。

オリーブ・オイル会社の設立と禁酒法下の手腕で組織の基盤が確立する

やがて友人のジェンコ・アッバンダントとオリーブ油の輸入業務を始める。

輸入イタリア・オイルの売上高第一位を記録するようになり会社は急速に発展した。競争会社を追い出し、あるいは合併吸収し独占体制の確立を目指した。

頑迷な対抗業者がブルックリンにいて忍耐強い説得にも応じず、ヴィトーはさじを投げた。そしてブルックリンに本部ヘッドクオーターを置きテッシオに問題解決を命じた。

テッシオは荒っぽい方法に出た。倉庫を焼き、オリーブ・オイルは道に撒かれた。警察を信じるせっかちなミラノ人が、十世紀前から続く沈黙の掟―オルメターを破り、仲間のイタリア人を裏切り警察に苦情を届けた。

その男は消え去り、あとに残った美しい妻と三人の子供たちは、ジェンコ・プラ・オリーブ・オイル会社と友好的な関係を持って折り合いがついた。

禁酒法の時代に、犯罪企業の世界へ一歩を踏みだしヴィトー・コルレオーネは “ゴッドファーザー” になっていった。イタリアの酒の密輸業者のグループの要請に応じて、ヴィトーのオイル会社の配達網であるトラックと運転手を稼働させ多大な利益を得た。

ヴィトーは自分の家をもぐり酒場にして貧しいイタリア人を応援し、コロンボ夫人の息子の堅信礼で “ゴッドファーザー” となり、トラックが時折、警察の取り締まりに引っかかるため、ジェンコ・アッバンダンドが警察庁や司法部にこね・・のある優秀な弁護士を雇い入れた。そして彼等に対する報酬制度を設けた。

コルレオーネ帝国はますます強大になり、テッシオやクレメンツァの直属の部下の数も大幅に拡大する。

そこでヴィトーは、クレメンツァとテッシオの二人にカポレジ幹部ームの名称を与え、彼等の部下を兵隊ソルジャーと呼ぶことにした。ジェンコ・アッバンダンドには顧問コンシリエーレの役が与えられた。

ヴィトーは、如何なる作戦行動についても、何層かの絶縁帯をもうけた。ヴィトーが命令を与えるときは、ジェンコか幹部であり、どんな命令でも証人を置かなかった。

さらにテッシオの部隊を切り離し、ブルックリンの一帯を管理させ、法律に対する防衛手段のためクレメンツァとテッシオの普段の付き合いすらやめさせた。それは二人の幹部が共謀して叛旗をひるがえす機会を与えないためでもあった。

こうして、現在のファミリーの原型となる組織体制ができたのだった。

大恐慌は、ヴィトー・コルレオーネの帝国をさらに強大なものにする。

ドン・コルレオーネの部下たちは、誇り高く、そして裕福だった。ヴィトーを頼り、彼のために汗して働き、自己の自由と生命を賭けて尽くす人々を、失望させなかった。運悪く警察に捕まり、刑務所送りの部下がいてもその家族には充分な生活費が支給された。

貧しい人々は助けを求めに来た、ヴィトーは助力を惜しまなかった。善意と励ましの言葉と共に支援した。州議会や市議会、国会などに代表を選ぶ際に、ゴッドファーザーに意見を求めるのは当然の成り行きだった。

その結果、ヴィトーの政界に対する発言力が増し、また現職の政党幹部から相談を受けるほどになった。貧しいイタリア人の家庭から、弁護士や地方検事補、裁判官などが輩出され、ヴィトーは結果的に自らの帝国の将来を設計していたのだ。

ヴィトー二十五歳。ファヌッチの暗殺から運命は大きな転回をみせる。人間関係を大切にしながら、その知性と勇気で道を切り拓いていき、事業を興し拡大し、禁酒法の時代も大きなチャンスに変えて成功し現在の組織の原型を作り上げている。