解説
随筆「歴史其儘と歴史離れ」で語る、昔話を題材にした小説について。
鴎外の『山椒大夫』は中世に起こった語り物という口承芸能が発達し、説教節の「五説教」と呼ばれる有名な演目の一つ「さんせう太夫」を原話として執筆されました。
この話は浄瑠璃になったり、子供向けの「安寿と厨子王」としても有名な話です。
民衆芸能の要素として仇討や因果応報などが原話には含まれています。原話では厨子王を逃がした安寿は、はげしい拷問にあい死んでしまいます。そして逃れた厨子王は運を開き出世して陸奥守兼丹後守となり、佐渡へ渡って母を連れ戻し、丹後に入って国分寺の僧侶に謝し、山椒大夫と三郎をのこぎりで挽き殺させ、山岡大夫も討ち取ります。そこで民衆は留飲を下げます。
これが鴎外の『山椒大夫』では、安寿は自分を犠牲にして厨子王を逃がした後、入水自殺をします。厨子王は陸奥守兼丹後守となり奴隷解放の令を出し、手広く事業を行う山椒大夫に対して、きちんと給与を払う制度を導入し民を安心させ、佐渡に母をたずね歩き老いた瞽女と会い守本尊の地蔵をかざすと奇跡的に眼が見えるという孝行物語で結んであります。
よってこのお話は、歴史其儘ではなく、歴史離れの作品となっています。
近代日本の新たな価値や、法治主義を取り入れた小説として読む。
現代であれば法治主義は当然ながら、江戸の時代、武士の世界では仇を討つことは異常なことではありません。また実際に人買いも横行していました。歴史の題材をとらえて、明治の近代日本に伝承させるものとして、いかに工夫するかという視点も必要になります。
大筋の物語と時代をそのままに、内容を変えるために新たな人選や役割を付与していき、原作とは異なる主題のものとして新たな価値をつけて完成させます。
これは芥川龍之介の「羅生門」や「芋粥」などの今昔物語や宇治拾遺物語、その後の童話の世界で「桃太郎」や「猿蟹合戦」などにも見られますが、口承芸能や童話には時代や地方ごとにさまざまな言い伝えや解釈があります。
やがて明治、大正、昭和となって学校の教材として使われる機会も多くあり、時代に合わせてその内容は変わっていきます。
その変遷を追いかけるのは、時代性を確認する意味でも貴重な視点かもしれません。
※森鴎外のおすすめ!
森鴎外『舞姫』あらすじ|エリスへの愛か自己の保身か、青年の葛藤。
森鴎外『高瀬舟』あらすじ|あなたは喜助を、殺人罪で裁きますか?
森鴎外『山椒大夫』あらすじ|安寿と厨子王の童話を、現代に再生する。
作品の背景
鴎外自身が、歴史上の人物を扱った作品について随筆「歴史其儘と歴史離れ」で述べています。「山椒大夫」については、その伝説の大筋を残しながら書いている。時代や年号はほぼそのままで、物語を変えるために歴史上の人物を内容にふさわしい人と置き換えで辻褄を合わせていく。
そうすることで年代や大筋は似ているが、届けたい内容やテーマが変わり全く別の創作物が誕生する。その意味で「山椒大夫」は、歴史其儘ではなく歴史離れの作品となっている。話の内容を現代に置き換えることで「山椒太夫」には “人買いから奴隷解放” に、「高瀬舟」では “殺人罪と安楽死” をテーマとして持たせている 。
発表時期
1915年(大正4年)1月、『中央公論』にて発表。『心の花』に「歴史其儘と歴史離れ」を出している。森鴎外は当時53歳。翌年「高瀬舟」を発表し、その解説として「高瀬舟縁起」を出している。晩年は歴史小説が多く歴史其儘は「阿部一族」、この「山椒大夫」や「高瀬舟」は歴史離れの作品となる。
歴史離れは、伝説の年代や筋書きを尊重しながら新たな脚色や物語の内容を新たに脚色していく。鴎外は、明治、大正期の小説家であり、同時に評論家、翻訳家、陸軍軍医、官僚でもある。ドイツから帰国後1890年「舞姫」の発表で日本における近代小説の先駆的な枠割を果たし、理想や理念など主観的なものを描く理想主義を掲げた。「山椒大夫」は鴎外の晩年の作品である。