宮澤賢治は法華経に帰依し、自ら農業を営み指導もします。生涯を過ごした岩手をイーハトーブと名付け、賢治の心象の理想郷としその自然のなかで創作を続けました。この世界は弱肉強食の厳しい世界です。たかは食物連鎖の頂点にいて力が強く、それに比べて、よだかは不細工で醜くて弱い。だから、いじめられたり、しいたげられてばかり。そして気づけば、自分も加害者の一員だと知る。そんな現実をどう生きるかを素敵な童話にして贈ります。
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解説
「よだかの星」って、どこか悲しいお話だったよねぇ。結局、よだかは辛くて死んじゃったんでしょう?そうだよね・・・でもちょっと待って!最後の方で、「よだかはその大きなくちばしが横にまがっていたけれど、笑っていた」って、確か、そんな描写があったよね・・・。ということは幸せだったんじゃないの。どうだったっけ。この物語、あなたはどんな印象を持っていますか?現実社会は嫌なことばかり、どうにもたまらない気持ちのなかで、とっても悲しいけれど、どこか爽やかで優しい気持ちにもなれた。賢治が私たちに贈ってくれた、すてきな詩のような童話です。
ばかにされ、笑われ、存在も否定される
よだかは、実に醜い鳥です。
顔は、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。足はよぼよぼで、少ししか歩けません。
ひばりでさえ、よだかよりは、ずっと上だと思っていて、よだかに会うと、目をつぶりながら、首をそむけるのでした。
もっと小さなおしゃべりの鳥などは、目の前で悪口をいうのです。
「ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ」
「あの口の大きいこと、きっとカエルの親類か何かだよ」
よだかが、たかだったらこんなことはとても怖くて言えません。よだかは、鷹の兄弟でも親類でもありせん。実は、あの美しいかわせみや、宝石のような蜂すずめの兄さんにあたるのです。
蜂すずめは花の蜜を食べ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは虫を捕って食べるのでした。
よだかには、鋭い爪も口ばしもないので、どんなに弱い鳥でも、よだかなんて怖くないのです。
あるときなんて、赤ん坊のめじろが巣から落ちたのを助けてあげたのに、親めじろからまるで盗人(ぬすびと)のように見られたこともありました。
これって、醜くて弱いものが皆からばかにされ、笑われ、仲間外れにされている状況ですよね。それでも、どこかよだかは自分を諦めたりくじけたりしていません。
それなら、どうして、たかという名があるのかと不思議に思うでしょうが、これには理由があるのです。一つはよだかの羽がとても強くて、風を切って翔けるときなどは、まるで鷹のように見えること。
もう一つは鳴き声が鋭くて、どこか鷹に似ていたのです。しかし、鷹は、これが気に食わないのです。
そこで、よだかに改名を迫ります。
鷹は、自分が青い空をどこまでも飛べるのに、夜だかは曇って薄暗い日か夜しか飛べないことや、そもそも口ばしや爪など全く違うと言い、「夜だか」を「市蔵」に変えて、市蔵って名札をつけて皆に挨拶してまわれと強く迫ります。 明後日の朝までに名前を変えないと鋭い爪で掴み殺すというのです。
強者が弱者を力で制する、弱肉強食ですね。名前は自己を識別するもの、アイデンティティそのものですよね。つまり「よだか」という存在の否定と同じなのです。そんなことをする位なら、よだかは死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。と鷹に頼みます。
そしてよだかは、じっと目をつぶって考えました。
ぼくは何も悪いことをしたことなどないのに・・・。皆から嫌がられて、いいことをしても迷惑がられるし、しまいに名前まで変えろなんて、なんて辛いんだろう。
そしてよだかはこの世界に別れを告げることを決心します。
自分も加害者になっていることに気づく
夜だかは巣から出て、雲が低くたれこめた空を飛びまわります。口を大きくひらき、羽をまっすぐに張って、矢のように空を横切ります。
小さな虫が何匹も咽喉に入りました。一匹の甲虫が、夜だかの咽喉に入って、ひどくもがきました。よだかは呑みこみましたが、その時、ぞっとした気持ちになります。
雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤く映って、恐ろしいようです。よだかは胸がつかえた気持ちで、又、空へのぼりました。
また一匹の甲虫が、夜だかの咽喉に入りました。ひっかいてばたばたしているのを無理に呑み込んでしまいます。その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
ああ、かぶとむしや、たくさんの虫が、毎晩、僕に殺されるんだ。そして僕がこんどは鷹に殺される。ああ、辛い、辛い、なんて辛いんだろう。僕はもう虫を食べないで餓えて死のう。いやその前に鷹が僕を殺すだろう。だったら僕は遠くの空の向うに行ってしまおう。
これは食べる・食べられるという関係、食物連鎖です。生態系の構造のひとつで仕方ないことかもしれません。でも、よだかは鷹に殺されようとしているのに、たった今、自分はたくさんの虫たちの命を奪っていることを悲しみます。
山焼けの火は、どんどんひろがります。この赤い火は、生きる者の欲望や業の世界への恐れかもしれません。
自分の身体を燃やして、星になる
よだかは、弟の川せみに別れを告げにやってきます。引き留める川せみに、よだかは強い意志を示して、そして言います。
「お前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚をとったりしないようにしてくれ。ね、さよなら。」
そして、はちすずめにもよろしくと云って帰っていきます。
よだか、巣をきれいに片付けて、飛び立ちます。この世界に生きる辛さと、自分もまた加害者になっている贖罪意識からよだかは、きっといたたまれないのでしょう。
お日さまが東からのぼるころ、夜だかはぐらぐらするほどまぶしいのをこらえて、矢のように、そっちへ飛んで行きました。
「お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。私のような醜い身体でも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。」
よだかは、光を放つことで何か少しでも役に立ちたいのでしょう。
「お前はよだかだな。ずいぶんつらいだろう。でもお前はひるの鳥ではない。夜、空を飛んで、星にそうたのんでごらん。」
夜だかは太陽におじぎを一つしましたが、急にぐらぐらして
野原の草の上に落ちてしまいました。目を覚ますと夜になっていて、空には一面の星がまたたいていました。よだかは空へ飛びあがりました。今度は星座のひとつになろうとします。
西のそらの美しいオリオンの星に、叫びました。
「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。」
オリオンは勇ましい歌を歌いよだかなど相手にしませんでした。よだかは泣きそうになって、よろよろと落ちて、それからやっと踏みとどまって、もう一ぺん飛び巡りました。
それから、南の大犬座に、同じようにお願いしました。
すると大犬は云います。おまえなんかたかが鳥じゃないか。ここまで来るには、億年兆年億兆年だ。
それから、北の大熊星に、同じようにお願いしました。
大熊星は静かに云いました。氷山の海の中へ飛び込んで、頭をひやしなさいと。よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へん空を巡りました。
それから、東の鷲の星に、同じようにお願いしました。
鷲は見下して云いました。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。
ここまで言われてしまうと、もう絶望的ですよね!よだかはもうすっかり力を落して、はねを閉じて、地に落ちて行きました。
あと少しで地面に足がつくというとき、よだかは急に、のろしのように空へ飛びあがりました。
それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。
夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐ空高くのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻の大きさくらいにしか見えません。
そうです、よだかはもう誰にも頼ることをしません。自らの意志で力尽きるまでのぼっていったのです。それでも星の大きさは、さっきと少しも変りません。
息は苦しくなり、寒さがまるで剣(つるぎ)のようによだかを刺しました。羽はしびれてしまい、もう飛ぶことはできませんでした。よだかは涙ぐんだ目をあげてもう一ぺん夜空を見ました。
そうです。これがよだかの最後でした。
もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりません。ただこころもちは安らかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少し笑って居りました。 しばらくして眼をひらくと、自分の身体が青く美しい光に包まれて、静かに燃えているのを知りました。
よだかの身体は灼けて、星と一体となったのです。
隣はカシオピア座です。天の川の青白い光が、すぐ後ろにありました。こうしてよだかは星となったのです。よだかの星は美しく燃え続けました。
いつまでもいつまでも、そして今でもまだ燃えています。
本作品のメッセージと感想
誰もが、仲良く、分け隔てなく、楽しく幸せに生きていきたいと願っています。
いじめや暴力や極端な貧富の差なんて無くなれば良いと思っています。だけど、この世のなかは、理想通りにはいきません。
賢治の創作の中心となった1920年代、都市部では大正デモクラシーと呼ばれる自由で闊達な雰囲気のなか、大戦景気で成金が生まれたりしましたが、東北地方は、自然災害による凶作や貧困に農民たちは喘ぎ、その後の戦後恐慌ではさらに厳しい状況となりました。
賢治の考えたその思想は農民芸術概論綱要としてまとめられています。
そこには、
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化するこの方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことであるわれらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である<序論 抜粋>
そして結論部分に
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨(おお)きな力と熱である……
とあります。賢治の考えは宇宙をも含んでいます。
みんなの幸せが、自分の幸せ。そしてその幸せのためにいろんな悲しみを知ること。それが「ほんとうの幸い」を探し続けることだと考えるのです。
よだかは、たかとは似つかぬ姿で、力は弱いし、見た目も美しくないので皆から軽んじられ疎んじられます。ついには改名しないと殺すと鷹に脅されます。いいことをしても感謝されるどころか迷惑がられる。
よだかに生まれてきたばかりに、つらいことばかりです。
そんななかで、さらに怖い現実に、よだかの悲しみは深まります。知らず知らずのうちに、自分が生きるためにたくさんの命を奪っているのです。このことを知ったよだかは、いたたまれなくなり、現実の世界に別れを告げる。
よだかは星になることを決意します。光に放ち続ける存在になりたいと思うのです。
よだかは果敢に挑戦する、強い羽で力の限り飛ぶ、けれど星には辿りつけない。大きな声で叫び星々にお願いする。でも東西南北全ての星から拒否されます。
勇者のオリオンには相手にされず、大犬座には億兆年の距離に打ちのめされ、大熊星からは海に突っ込めと馬鹿にされて、鷲の星からは相応の身分と金を要求されます。
それでもよだかはあきらめない、自分が思っている美しいものになろうとする。
たくさんの悲しみを経験したことで、おかげで理想を追い続ける強い意志を持つことになるのです。そして飛び続け、ついに力尽きてしまいます。
生きているのか死んじゃったのかわからないけれど、よだかは夜空の星になったようです。自分の思いが実現して、よだかは満足して微笑みました。
そこは天の川の近く、隣はカシオペア座。そこに「よだかの星」が輝いています。その輝きって、よだかの魂なのかなぁ。
人間社会もまた、皆、自分の幸せばかり、どうしたら得をするかばかり考えている人もいる。でも自分には理想がある。この世はどんなに厳しくても、自分は皆を幸せにする芸術を残して死にたい。
自らの命をかけても夜の闇を照らす光となり燃え続けたい。
よだかが天にのぼるとき、それは賢治が作品を創ろうとする姿なのです。
この世なんて辛いのが当然!空しくて死ぬなんて考えるのは絶対に違う、自分を信じて、皆の心を信じて、ほんとうの幸せを探しにどこまでも行くのだ。それは自己犠牲の捉え方でもあります。
詩人であり童話作家である賢治が永遠に失うことのなかった心象の世界。自らをよだかに投影して、その理想を美しく表現しました。