作品の背景
『ペスト』はナチス・ドイツにおけるフランス占領下のレジスタンス小説でもある。出版当時は多くの人はそのようにこの作品を読んだ。極限状況に人間はどう向き合い、どう生きていくべきかを問うた作品である。
たったひとりの人間が感じていた悪が集団的なペストとなる。この集団的ペストとなった悪への不屈の反抗、そこには戦争の不条理とレジスタンスの連帯が描かれる。
2020年以降の世界もコロナ禍で一変した。戦争や疫病という物語を超えて広い意味での人間を襲う災禍として捉えることができる。当然の自由だと信じていたものが自由でなくなる。やがて過ぎ行くと思っていたものが次から次へと強い感染力で増幅する。
カミュの『ペスト』の世界では、主人公のリユーとの対話によってモラルとは何かを浮き上がらせる。
パヌルー神父との対話では「神は沈黙」をしている。ペストと闘う唯一の方法、それは医師リユーにとっては「誠実さ」である。誠実さとは「自分の務めを果たすこと」としている。ランベールとの対話で「個人の幸福」と「集団への責務」の葛藤の構図がある。
タルーは「神なき聖者」を模索するがペスト菌と闘うものは同時にペスト菌を撒き散らす患者でもあるとする。スペイン戦争やレジスタンス活動で正義を信じる者が、人を殺すという自己矛盾を経験する。ここにもカミュの体験がある。
そしてコタールは保険隊に加わることなく、むしろペストの「共犯者」となる。それはナチス占領下における対独協力者のモデルとして描かれる。さらに登場するそれぞれの女性たちは、カミュの母親や妻を投影させている。
ペストが終息を迎えたときに、その災禍と闘った多くの人々が亡くなっていった後に、リウーは「人間のなかには軽蔑すべきものより賛嘆すべきものが多くある」ということを示すために物語を綴ったとし、そこには「人間への愛」というモラルを確認する。
カミユは神による魂の救済もコミュニスムによる革命もファシズムも否定している。自由を求め反抗すること、人間の自由と尊厳を尊重することを目指す。これは『反抗的人間』として「われ反抗す、故にわれら在り」となる。
そして『異邦人』のムルソーの「孤独」な人間性を、『ペスト』では人々の「共感」と「連帯」という結びつきで昇華させ、人間中心主義を賛美している。
発表時期
1947(昭和22)年6月10日、『ガリマール社』より刊行されベストセラーとなる。代表的な不条理文学として知られる。カミュは当時33歳。『異邦人』に続くこの『ペスト』によって、戦後はサルトルと並ぶフランス文壇を代表する作家となった。
この前年にアメリカ・カナダに講演旅行を行い、若い世代から熱狂的な歓迎を受ける。その活動が評されてレジオン・ドヌール勲章を受章。
カミュの貧しい出自、若き日に患った結核の病、共産党運動などが『ペスト』登場人物それぞれの個性に散りばめられる。第2次世界大戦のレジスタンスの経験から生まれたこの小説は、ペストをナチに、保険隊をレジスタンスに投影させている。
反ナチ・レジスタンスの地下新聞『コンバ』を主宰するが47年6月に経営難に陥り手を引く。10月、『反抗的人間』執筆。やがてこの本がカミュ=サルトル論争に発展し、友情に終止符が打たれる。
<反抗>は<革命>とは異なる。<革命>は殺人的で過激な全体主義的な理念を持つのに対して、<反抗>は中庸と生命の名において神聖なものであるとの考えを示す。
1957年10月。44歳の若さでノーベル文学賞を受賞、フランスの受賞者中、最年少である。60年1月、交通事故により46歳で死亡。