森鴎外『舞姫』解説|豊太郎の恋、林太郎の恋。

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自分らしく自由に生きていく。だれもが憧れる言葉です。しかし私たちは自分と、自分が包まれる世界のなかで生きています。文明開化と富国強兵を掲げ近代日本の建設を急ぐ明治という時代、国家と家名、個人の狭間で自我にめざめ、そして挫折する。将来を嘱望された若きエリート官僚が「恋愛」か「功名」かに苦悩する。その弱き心の葛藤と失敗を描く『舞姫』。貴方ならどうしますか?エリスの面影に生きた鴎外という明治人の生涯を訪ねます。

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登場人物

太田豊太郎
将来が期待されるエリート官僚。二十二歳で国費留学でドイツに赴き踊子と恋に落ちる。

エリス・ワインゲルト
下層階級に育ち、父を亡くしたヴィクトリア座の十七歳の踊子。青い瞳と金髪が美しい。

相沢謙吉
天方伯爵の秘書官としてドイツを訪れる。豊太郎の大学時代の同級生で将来を心配する。

天方伯爵(大臣)
ドイツからロシアを廻る外交を行い、通訳として豊太郎を同道させ能力を認める。

動画もあります!こちらからどうぞ↓

解説

母の教えを守り、国家の期待を背負う豊太郎

主人公の太田豊太郎は、東大法学部を19歳で卒業し、官僚となり明治政府の中枢に入る。やがて洋行の官命を受け法律を学ぶべくドイツに赴く。父を早くに亡くし、母の願いを一心に背負い、豊太郎もその優秀さで期待に応えた。

そこには、西洋と並ぶ近代国家建設を急ぐ日本があった。そのために、優秀な人材を欧米諸国に派遣し、技術や知識を得る必要があった。

豊太郎は、新しい日本を担う人間のひとりであり、また立身出世して自身の功名と家名を高め国家に貢献しようと意気盛んだ。

ドイツの帝都ベルリンの土を踏み、その中心地、賑やかなウンテル・デン・リンデンの華やかさに圧倒されるも、惑わされることなく、勉強心を一層、意を強くする。

西欧文明を学び、豊太郎は自我に目覚める

大学で政治学を学ぶが、3年も経つと西欧の自由を尊重する精神を知る。

人間性の無い,ただ受動的な機械にはなりたくない。政治家や法律家には、向かない。豊太郎はそこに自分の意志がないことに気づく。

母は私を生きたる辞書、官長は私を生きたる法律にしようとする。ここに従う自分に疑問を感じ始める。官長の求められるままの人間になることが嫌になった。

まことの我が、自分を責めるようになります、つまり自我が芽生えてきます。

こうして豊太郎は、歴史や文学に深く入っていきます。人間の精神性、人間はいかにあるべきかを追及していくのです。誰にも縛られることなく自分の人生は自分の思いのまま切り開いていくことが出来るということを知ります。

ここに自由があり、個人があると考えるようになる。

国家や家に尽くすという日本の滅私奉仕の精神から、ドイツで自由な精神を学ぶ。それはまさに西欧の近代的な自我の目覚めです『舞姫』のテーマは、西欧文明の価値と日本の前近代の価値の葛藤。つまりは個人主義VS封建主義の間で揺れる姿を捉えた物語です。

そして、本作品は自我の芽生えと挫折を描く日本の近代文学の始まりとなります。

自我の主張と官庁との衝突、そして関係の悪化

豊太郎は人間の精神性に興味を持ち、独立の思想や自尊心を持ち始める。

やがて豊太郎は官長の期待に背いていく。官長に大口をたたき、自身の評価をさげる。さらに留学生仲間と過ごすこともなく人付き合いも悪くなる。官長のみならず、官僚の組織、そして当時の日本も豊太郎の精神を受け入れることはできなかった。

あくまで明治政府で働く官僚は自由で独立した思想など持つことはできなかった。

こうして豊太郎は、官長だけでなく仲間との関係もうまくいかなくなっていく。豊太郎は決して強い人間ではなく、むしろ臆病さゆえに、敷かれたレールの上をわき目も振らずに一心に来たことを知っている。何にも惑わされないという意志などではなく、また遊ぶ勇気もなかったのだ。つまり真面目なだけの受動的な人間なのだ。

欧米では、それぞれ個人が自由意志を持ち、その上に国家がつくられていた。

近代的な自我、つまり個人の自由を尊重する生き方に目覚めた豊太郎だが、旧来の日本の封建的な価値観、つまりは国家のために、 家名のために生きるという考え方との狭間で苦しむことになる。

エリスとの出会いと仲間の死と、そして免官

ある日の夕方、豊太郎は古い教会がある通りを散歩をしていた。道端で泣くひとりの若く美しい女性に出会う。その黄金色の髪、白い肌、碧い瞳に心を奪われる。

門は閉じられている。そこには神の救いはない。なぜか憐憫の情が豊太郎の臆病な心に打ち勝ったのか・・・。

「どうしたのですか?」と豊太郎は訊ねる。

「あなたは善い人に見える」と言われ、「私を助けてください」と懇願される。

豊太郎は彼女を家まで送る。母親がばたんと扉を開ける、彼女は「エリス」という名だった。母親は豊太郎を見て怪訝な顔で戸を閉める、彼女の説明で再度、扉があく、中には死者が横たわっていた。

彼女は恥ずかしそうに「お金を貸してください」と言った。そして失礼を詫びながら話を続ける。

父が死に葬式を出さねばならないが、家には一銭の貯えもなく、明日の埋葬ができない。ヴィクトリア劇場の座頭が埋葬の金を出すかわりに愛人になれという。そして母も金がなければ座頭の情婦になるしかないと言うのです。

豊太郎はエリスに時計を渡し、金に換え葬式の費用にするようにとはからう。エリスは豊太郎に深く感謝する。それからエリスは豊太郎の下宿へお礼にやってくる。

本が好きなエリスへ豊太郎はいろいろなことを教え、頻繁に会うようになっていった。

仲間の留学生にも知るところとなり、豊太郎が舞姫を漁っているとあらぬ噂を立てられた。そして女優と交わっていると官長に告げ口をされ免官となる。つまり豊太郎は官僚の職を首になるのだった。

エリスへの愛、母の死と豊太郎の苦悶

今すぐ帰国を選べば旅費は払うが、でなければ後は知らないと言われ、判断に苦しむ豊太郎は官長に1週間の検討の猶予をもらう。

そこに豊太郎の母の死の訃報が届く。官報によって豊太郎の免官を知った母は死をもって家名を守ることを豊太郎に訴えたのであろう。豊太郎の苦悶はさらに深まる。

一方のエリスは貧しく、家族を養うために15歳で舞姫となった。

僅かばかりの給料で暮らしは厳しく踊子のなかには売春を行うものも少なからずいた。エリスは厳格な父の庇護でそのようなことはなかった。しかし父の死後、エリスを守るものはいなくなった。

周囲に偏見に満ちた目で見られたが、本が好きで、豊太郎にいろいろと学ぶエリス。二人は師弟のような関係だった。それは清白な交際だった。多分、エリスにとって豊太郎は尊敬できるりっぱな人間として映っていたのです。

免官され母が死に、帰国するかどうかの返答を迫られるなかで、二人は確かめ合うようにやがて恋人関係になってしまいます。

ある意味では、お互いの孤独で不安な状況が、離れることが出来ない関係になったと言えるかもしれません。

豊太郎はエリスの美しさと清純さに心を奪われてしまったのです。日本に帰るべきか、ベルリンに残るべきか。日本に帰っても汚名を負ったままである、しかしまたベルリンに残っても仕事も金ない。

相沢の救いと豊太郎の最後のチャンス   

ここに豊太郎の友人、相沢健吉が登場する。天方伯の秘書官である。この天方伯爵とは当時、内務大臣だった山縣有朋、そして相沢とは鴎外の年上の大学の同期、賀古鶴所かこつるどがモデルとされています。

豊太郎が前近代の日本から西洋近代の個人主義を実践しようとする人間として、相沢は忠孝を重んじる封建的な官僚の模範として描かれます。

相沢は、豊太郎の免官を官報で知り、新聞社の通信員としてベルリンに滞在できるように手配します。このことで豊太郎はドイツの情報を日本に知らせる仕事で生計をたてることができるようになりました。

豊太郎は、政治・文学・芸術などを整理し批評するこの仕事を楽しんだ。所謂、ジャーナリズム活動である。

豊太郎はエリス親子の家に一緒に住むこととなる。豊太郎とエリスの給金を足して同棲生活が始まる。ささやかだが幸せな日々が続いた。

豊太郎は新たな仕事に忙しく、自身の見識を総合的に確立していく。まさに西欧社会の自由な個人主義の価値観を肌で感じて身に着けていったのです。

明治21年、1888年の厳しい冬がやってきます。エリスが妊娠する。豊太郎は、これからどうなっていくのだろうかと将来を不安に思う。そんな中、相沢から手紙が来る、彼はベルリンに来ていた。

今、天方大臣と一緒なので急ぎこちらに来て、名誉を回復せよというのです。豊太郎にとっては、望外の出来事であり、挽回のチャンスです。喜ぶ豊太郎だが、エリスに気づかれぬように平静を装った。

エリスは豊太郎が離れていくのではと不安に思う。ただ相沢に会いに行くだけだと豊太郎はエリスを安心させる。豊太郎は約束のホテルへ着く。噂を知る相沢だったが、彼はこれまでと変わらず、豊太郎を迎えてくれた。

大臣に会ってみると、ドイツ語の翻訳を頼まれた。それから豊太郎は相沢と昼食をとり、いろいろな質問を受けた。相沢は豊太郎の話を聞き真相に理解を示しつつも、豊太郎の弱い心を諫めて、生活を改めるように諭した。

そのためには、まずは天方大臣に認められ信頼を勝ち得ること、そして将来のため、エリスと互いが思いあっていても、ここできちんと別れて、もう一度、やり直して日本のために貢献することを薦めた。

つまり相沢は、日本の価値観をもって豊太郎を救おうとしたのでした。

豊太郎もまた、親友のここまでの気遣いに対して、断ることができずに、エリスとの別れを相沢に約束してしまったのです。

豊太郎の翻訳の能力は高く評価され、天方伯の滞在するホテルへ行く機会も増えた。そして次第に信頼も勝ち得ていった。1か月後、大臣からロシアに同行できるかと問われ、慎重に考えもせず、頼られたことで、豊太郎はすぐに承諾をする。

エリスはすでに赤ん坊を宿しており、休みがちなエリスを座頭はクビにした。エリスをそれでも気丈に振舞う。豊太郎は翻訳のお金をエリスに残しロシアに立った。サンクトペテルブルグの宮廷で通訳の仕事を見事にこなした豊太郎は、天方伯の覚えめでたく、一緒に帰国をするように勧められる。

すでに天方大臣は相沢よりすべてを聞いており、その上で豊太郎を誘ったのだった。つまり豊太郎とエリスの問題は解決していると思っている。

一方、エリスの豊太郎に宛てた手紙には「私を決して捨てないで」と懇願するものだった。エリスは豊太郎を深く愛しており、もう離れて生きることは考えられず、もし帰国するのであれば、自分も豊太郎について日本に行くという。

エリスとの愛を捨て、功名の道を選ぶ豊太郎 

元日の朝、サンクトペテルブルグからベルリンに戻る。

エリスが出迎える。「あなたが帰らなければ私に死ぬところでした」この瞬間、豊太郎はエリスだけを見ていた、エリスは豊太郎に赤ちゃんを産む準備をみせ幸せそうだった。生まれ来る赤子の洗礼の日を心待ちにしている。

豊太郎はエリスと生きようと強く誓った。

数日後、天方大臣は豊太郎を慰労し、能力を褒めたたえ、その場で、共に帰国する気はないかと強く誘われた。

ここで豊太郎は、明治政府のなかで活躍するという立身出世の道を選ぶか、このまま異国の地であるベルリンでエリスとの愛に生きていくかの二者択一の選択を迫られる。

天方大臣が豊太郎を使い続けるということは、相沢が大臣に、豊太郎はエリスと別れており、決着がついているということ、すべてはエリスとの別離が前提である。

豊太郎は、エリスとの生活は自分の自由な意志で続いたものと考えていたが、結局はそうではなかったことを知る。今度は天方の言われるままになろうとしている自分を感じる。それはかつて官長の言われるままであった自分と同じことであった。

本当の自由などはもとからなかったと、豊太郎は知るのだった。

しかし大臣の誘いは、断ることのできないものだった。

拒否すれば相沢の友情を無にするし、天方伯の最後の救いの手も失い、異国の地で生きることになる。そして何も残すことなく一生を終えるだろう。何もかもが、豊太郎の性格である勇気や覚悟に乏しい弱さのなせることだった。

ああ、なんと信念のない心だろう。自分には大切にしているものなど何もないのだろうと豊太郎は考える。

そして大臣の提案を了承する、この瞬間、エリスを裏切る非道な人間に豊太郎はなってしまった。

帰路、錯乱した状態となる、自分は何という許されざる罪人だろうという気持ちが満ちた。道端で何度も倒れそうになり、やっと家に着くや否や、豊太郎は昏倒する。それから数週間、昏睡状態となる。

豊太郎の意識がない間に相沢が訪ねてきて、すべてをエリスに話した。

それは豊太郎が天方大臣の前で、エリスと別れ日本に帰ることを約束した話だった。そして相沢は、大臣にも豊太郎のためにうまく状況を伝えていた。

やがて豊太郎の意識が戻るが、エリスは変わり果てた姿となっていた。エリスは豊太郎が自分を捨てて、一人帰国することを相沢から聞いて、その場に倒れ、気が変になってしまっていた。

医者は、極度の心労でパラノイアという精神錯乱となり、もう治る見込みはないとされた。

豊太郎は、生きる屍と化したエリスを抱きかかえ、何度も何度も涙した。それでも、生活のための金をエリスの母親に渡して、生まれ来る赤児のことをお願いし、ベルリンを後にした。

豊太郎は船の中で、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎むこころ今日まで残れりけり」と書き、物語が閉じられる。

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