中上健次『鳳仙花』あらすじ|母胎に宿る命から、その物語は始まった。

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解説

フサの健気の性格の中に、猛々しい女の半生を描く。

鳳仙花は、夏から秋にかけて、葉のわきに花を横向きにつける一年草。花の色はいくつかあるが、この物語では<赤い花弁>である。

花弁を集め指でつぶし、子供の爪を薄桃色に染めたりする。実は熟すと破れて、種子が飛散し、そこから芽が出て、育ち、また花がつく。

鳳仙花は、女性なるものの象徴なのであろう。『鳳仙花』は、秋幸三部作の前日譚である。

秋幸の母フサの半生を通じて、波瀾に満ちた心象風景を描く。そしていつも傍らには鳳仙花がある。その花言葉のように、触れられるのを避けるが、古座の気質か、気は猛り、女の業も強い。少女から大人の女へと変わる季節、それは戦争や地震という苦しく厳しい時代に、古座から新宮へ渡ったひとりの女性が懸命に生きた物語である。

西村勝一郎との間に十五歳から二十五歳までの間に五人の子をもうけ、そして秋幸三部作の中心人物である「イバラの龍」こと浜村龍造との間に私生児の秋幸を産む。フサ自身も秋幸と同じ私生児であった秘話が明かされる。

フサの母親は道ならぬ恋仲で身籠った腹の子を堕ろそうとした。私生児として生を受けたフサも結果として私生児を産み、その血を受け継ぐように新たな母系家族を築き、守り、生き抜いた女性である。

一五歳のときに初恋だった実兄の吉広から、初めてもらった和櫛、事故死した吉広に面影が重なる男として結婚した勝一郎は、木場引きの心優しい男だった。しかしその勝一郎も、胸の病で亡くなる。

そしてヤクザものだが厳しい世間を強く生き抜く龍造と出会い、女手ひとつ行商で苦しいフサは龍造に憧れ、すがる。しかしあまりに非道な龍造と別れ、秋幸と前夫との子供たちを育てながら、フサは三十を過ぎたころ復員した繁蔵と恋仲になり再婚し、秋幸だけを連れて新たな人生を送り始める。

強く生きることを覚悟するフサに、やがて母権の家族が形成される。

秋幸と海に入り自殺を試みるが思いとどまり、吉広の思い出の和櫛を失くしたことに気づく。『鳳仙花』の最後の部分である。

フサは母親トキの霊が憑依したように変わる。家族を守り育て上げるための強い意思の始まりである。

フサは何者にも怯まないことを覚悟する。フサの女の性は後ろに引き下がり、前面に母権という目配りができる。兄の吉広も、前夫の勝一郎も、小さな泰造も皆、死んだ。しかし何としても残った子供たちを育て抜いて生きていく。

山と川と海に閉ざされた新宮、家々に伝わる人々の視線や噂、路地の人々との暮らし。やがて大人になり結婚をしていくだろう子供たち。

兄、吉弘に恋し、そして三人の男たちに女の純真を捧げて、産んだ子供たちの生を見守る母権の物語は、中上健次が父殺しのエディプスの物語を彷彿させる父権を主題とする秋幸三部作の完結『地の果て至上の時』の前に、ぜひ伝えておきたかった激しくも優しい母の物語である。

紀州・熊野の自然がフサを見守る、鳳仙花が優しくフサを包む、神武以来の山の祭りが猛々しく響きわたる。フサもまた古の悠久の歴史の連続のなかで生を営んでいく。

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作品の背景

秋幸三部作に登場する主人公、竹原秋幸の母親フサの物語である。時は遡り、昭和の太平洋戦争前後の統制経済や東南海地震、南海道大地震による二度の被害、闇市の全盛期、朝鮮戦争特需の日本が舞台。

フサは潮鳴りの響く古座から、材木で賑わう新宮へ奉公にでる。主人公フサのモデルは中上の母ということになる。兄の吉広を思慕する少女期を経て三人の男と出会う。西村勝一郎、浜村龍造、竹原繁蔵。後の『岬』『枯木灘』『地の果て至上のとき』に登場する男たちであり、複雑な血縁・地縁の人間関係を形成する。

『鳳仙花』では、紀州の地はイザナギ・イザナミの兄妹神の記紀神話を彷彿させる。そして<兄妹心中>の唄が響く。フサにとって勝一郎は、初恋の義兄の吉広に重ね合わされた存在の男であり、龍造は、ヤクザ者だが力強い生命力を持つ男。そして繁蔵は、母一人子一人、父一人子一人という五分の関係の対等な男として描き分けられている。

フサの健気さと猛りが時代に晒され、露わになり、そして収斂され、母権で繋がる血統を築き上げる。そして秋幸三部作のなかでは、秋幸にとって、それは父権との闘いに変わっていく。

発表時期

1980年(昭和55年)、『作品社』より刊行。1974年4月から10月にかけての新聞連載で、脱稿した時、中上一家はアメリカにいた。1982年に新潮から文庫版が刊行。中上健次は当時34歳。本作は、秋幸三部作といわれる『岬』『枯木灘』の次に書かれたものであり、秋幸の母であるフサの半生が描かれる。

本作が父子の物語の完結編である『地の果て至上の時』の前に書かれたことは、前日譚として母系の物語であり、「路地」を起点として、秋幸自身も母胎である「路地」に還っていくことを暗示している。