中上健次『鳳仙花』あらすじ|母胎に宿る命から、その物語は始まった。

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イザナギ・イザナミの兄妹神の記紀神話の地、隠国・紀州。秋幸三部作の前日譚『鳳仙花』。フサは古座に生まれる。少女の季節を経て、三人の男たちと恋仲になり、子を産み育て母親へとなっていく。山川と海に閉ざされた新宮の「路地」に咲く鳳仙花、それは秋幸の母系の物語。

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登場人物

フサ
古座で生まれ、三人の兄と三人の姉がいるが一番下のフサだけは私生児である。兄の吉広を慕い、十五の頃に貰った和櫛を大切にする。新宮の佐倉に奉公に出て、吉広と朋輩の勝一郎に好意を抱かれる、吉広が夕張の炭坑事故で死に、フサは勝一郎に吉広の面影を重ね、祝言を上げ路地の家に住み、五人の子供に恵まれ幸せに暮らすが、二十五歳のときに夫が死ぬ。その後、行商に出て女手ひとつで子供を育て、龍造と出会い波瀾の人生に向かっていく。

トミ
フサの母親。七人の子供を産むが、フサだけは父親が違った。トミは木場引きだった夫が死に、その後、四十のときに許されぬ恋仲で、製材所の女房持ちの人夫頭との間に子を孕む。木屑を打ちあて腹の子を堕ろそうとしたができずに父親のいない私生児としてフサを産んだ。フサは器量良しだったが、他の六人の兄弟姉妹とは血が繋がっていない。

幸一郎
フサの一番上の兄、歳が離れておりフサが産まれる前から山仕事の飯場に出かけていた。トミが腹の子を堕ろそうとするのを止める。いろんな他所に出稼ぎに行くが、九州に行ったときに花衣という女郎を連れて古座の家に帰り、そのまま二人で暮らす。花衣が出て行った後に、別の女性と祝言を上げ所帯を持ち子供もできる。やがて幸一郎も徴用されるが、戦争が終わり古座に戻ってくる。

花衣
ハナエともハナギヌとも呼ばれた。伊勢の出身で、弟の借金のカタに売り飛ばされて宮崎の遊郭にいたが逃げて来て、幸一郎と宇部の駅で知り会い古座についてきた。一緒に暮らしはじめたが、ヤクザの執拗な追手をかわすために、幸一郎と別れ一人で尾鷲に逃げる。

吉広
フサより六つ離れた一番年下の兄。いつもフサを可愛がり、フサも吉広を思慕していた。いろいろな他所へ出稼ぎに行く。勝一郎は朋輩で博奕仲間で出稼ぎも一緒だった。勝一郎がフサをからかったことがあり、ごたごたに懲らしめたことがある。金のいい仕事をしようと北海道の夕張に行くが、鉱山事故でハッパで五体が粉々になって二十一歳で死んでしまう。

マツ
フサより三つ年嵩で、古座の酒屋に奉公する。吉広と恋仲になり、吉広が夕張の炭坑事故で死んだとき子を孕んでいたが、どうすることもできずに子を堕ろした。新宮の紡績工場に働きに出るが、その後、死んだ吉広を偲んで北海道に渡る。夕張一の料亭の仲居を経て置屋でも働いた。マツもまた戦時中に女一人で愛する人を亡くし苦労をした。

西村勝一郎
西村の家に養子に出される。吉広の朋輩の若い衆、ともに出稼ぎに行き博奕もよくやった。佐倉に集う男衆の一人で、奉公に来た十五のフサと出会い好意を持つ。吉広の死後、勝一郎はフサと結ばれ所帯を持つ。男気のある優しい男だったが、フサが五人の子供を産んだ二十五歳のときに胸の病で死ぬ。

佐倉
フサが新宮に来た最初の奉公先。大きな材木商で、つけ火や悪どい金貸しで新宮の土地を買っている。たくさんの荒くれの木場引きや山仕事の人夫を雇い入れし、イバラの龍造も、佐倉の指示のもとで働いているという噂がある。地震に乗じて新宮や路地に火をつけまわった。

ミツ
材木商の佐倉で女中をしている。後に奉公に来たフサに優しくする。フサより年嵩で木場引きの男といい仲になり、一緒に満州に渡る。その後、木場引きと別れ、馬賊の女隊長に可愛がられ軍人の家の女中をしていた。戦争後は満州から引き揚げて再び佐倉で働く。

スズ
材木商の佐倉で女中をしているミツ、フサ、サンたち四人の一人で、十九歳。

サン
材木商の佐倉で女中をしているミツ、フサ、スズたち四人の一人で、スズと同じ年頃。


勝一郎の弟で、生まれながらに右手が獣の蹄のように二つに大きく裂けている。悪い性格ではないが、ひねくれ者である。勝一郎の死後、フサは一時、弦との再婚を薦められるが断っている。

レイジョ
山の方に住む老人。路地を廻る坊主がいないので、ほんとうの坊主ではないが信仰心が厚く、寺の和尚の代わりに家々の祥月命日のたびに袈裟を着て勝手に回っている。昔のことから今のことまで何でも知っている。

オリュウノオバ
山の方に住む老女。レイジョの妻で産婆をやっている。フサの子のお産も手伝った。郁男も秋幸もオリュウノオバの手で取り上げられる。レイジョと同じで昔の新宮の出来事を何でも知っている。路地の共同体の語り部的な役割を担っている。

郁男
フサが勝一郎との間に産んだ、第一子。夏の盛りにオリュウノオバに取り上げられた。長男ゆえにフサを助け、秋幸の面倒をよく見る。大きくなり次第に若衆とも付き合いだし、鶏を飼って卵を産ませて稼ぐなど、生活力があり賢く商売上手で大人びている。『岬』では名前の出ない縊死した長男である。

芳子
フサが郁男の次に年子で産んだ、第二子。フサは芳子のことを小股の切れ上がったような女になるだろうと思う。男勝りの性格で、大きくなってからは他所の紡績工場で働きだした。

美恵
フサが芳子の次に産んだ、第三子。フサは美恵のことを優しい気持ちの女になるだろうと思う。幼くして肋膜を患い、大きな手術をして命をとりとめる。そのせいか体が弱く精神的に脆いところがある。

君子
フサが美恵の次に産んだ、第四子。大きくなって他所の紡績工場で働きだした。

泰造
フサが君子の次に産んだ、第五子。病気でひどい熱を出すが、お金が無く医者に見せることもできず、小さいままあっけなく死んでしまう。フサは生活苦を悔やみ辛く悲しい思い出となる。地震が新宮を襲う前の日だった。

浜村龍造
背が高く骨太い体で、傍若無人に振舞う博奕うちのヤクザもので、背中に刺青があり「イバラの龍」と渾名される。有馬の出というが詳しいことは誰も知らない。極貧育ちだが今は羽振りが良く、女を何人も囲っている。行商で生活に苦しいフサは、吉広や勝一郎とも違う力強く生命力のある龍造と恋仲になり私生児の秋幸を産む。その後、博奕の喧嘩で三年勾留され出てくる。龍造もまた、私生児であった。

桑原
板屋の鉱山で監督をしている金まわりのいい龍造の仲間。博奕の喧嘩で龍造と共に人夫たちに狙われている。

谷口
桑原が倉庫代わりにしている家。軍の統制物資や鉱山からの横流し品など闇物資の隠し場所。何度か警察の手入れにもあっているが、フサにとっては物資の仕入れ先となっている。

モン
谷口の娘で青白い顔をした二十くらいの娘。龍造に言われてフサに、米、醤油、油などの行商の品をこっそり渡す。龍造が孕ませたキノエと生まれた女の子を連れて、フサと男の子に会いに行く。後に新地に「モン」という店を出し、モン姉さんと呼ばれる。

秋幸
フサが勝一郎の死後、恋仲になったヤクザ者の「イバラの龍」こと浜村龍造との間に孕み、産んだ私生児。大きな赤子で顔かたちも龍造に似ている。フサに言い含められ龍造のことを嫌っている。

竹原繁蔵
北支からの復員兵で戦後の闇市でフサと出会う。招集前に結婚を約束した女が旅役者と駆け落ちして子供だけを残された。フサは勝一郎や龍造のような男らしさを感じず、竹原家からの反対もあったが、戦後の生活苦もあり繁蔵と所帯を持つ。

文昭
繁蔵と結婚を約束していた女との間に産まれた子だが、女が去った後、繁蔵が一人息子として育てている。繁蔵の言うことを良く聞く。

ユキ
繁蔵の姉で四十くらい。若い時分に竹原一統が貧しいなかで遊郭に売られる。今は身請けされて新宮に住む。新地のモンとも仲が良い。繁蔵とフサの結婚に反対で、あらぬ噂を家々に言い廻っている。

ヨシエ
龍造がフサとは別に孕ませた女。フサよりも五つ六つ若いが、襟足が汚く手入れをしていないような女。産まれた女の子の名前は「とみ子」という。後に長男の「友一」も産まれている。

キノエ
龍造がフサとは別に孕ませた女。龍造から女郎に売られ、酷い目にあい逃げだそうとしている。産まれた女の子の名前は「サトコ」といい、異母兄の秋幸に一目会いたくフサのところにやってくる。

あらすじ

秋幸の母フサの血統に繋がる母系の物語、それが『鳳仙花』

中上健次の代表作である『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』の秋幸三部作の前日譚である。

紀州の海はきまって三月になるときらきらと輝き、それが一面に雪をふりまいたように見えた。フサはその三月の海をどの季節の海よりも好きだった。

『鳳仙花』の冒頭の一文の引用である。

少女のフサに訪れた幾度目かの春である。古座から見る三月の海、見知らぬ遠いところへの憧憬、未だ見ぬ自分の未来へ思いを馳せる心象風景である。

『鳳仙花』は、秋幸の母フサの半生を描いた物語である。

梅や桜や水仙といろいろな花が咲く。三月七日がくると十五になる。フサは出稼ぎに行った三人の兄たちが、その先で見聞きしたものを語ってくれる話を、美しい古座の海に重ね合わせている。

フサは、色が白く、目鼻立ちの整った器量よしだが、兄や姉とは父親が違っていた。

母トミが四十のときに産んだ子だった。トミは昔、木馬きんま引きの男と駆け落ちして六人の子を産んだが、その男は死んだ。その後、トミは女房のいる男との間に、フサを孕んだ。トミはその過ちに腹を木屑で叩き、子を殺そうとした。しかし殺せずに産んだ。フサは私生児であり、恥の子だった。

『鳳仙花』は、こうしてフサの出自が、母トミの女の業を通して明かされる。

秋幸三部作では、私生児の秋幸が自己の出自を悩み、怨み、呪い、葛藤し、やがて実父である浜村龍造への父殺しのエディプスの物語を彷彿させるが、『鳳仙花』はこの前日譚でありトミの血を引く私生児のフサの母系の物語である。

恋を知り、女となり、母となる。二十五歳で夫を亡くし五人の子が残る。

十五歳になったフサは、生まれ育った古座から新宮の材木商の佐倉へ奉公に出る。

佐倉は不況知らずだがやり方は悪どかった。ここでフサは奉公をし、やがて初潮を迎える。フサは勝一郎という若い衆に出会う。兄の吉広の朋輩でもあった。フサに悪さをしようとしたと知った吉広は、弟分の勝一郎をゴタゴタにどついてけじめをつけた。フサにとって兄の吉広は初恋であり、生涯の思慕の相手だった。

やがて夕張に出稼ぎに行った吉広が鉱山事故で死ぬ。フサの悲しみを優しく包む勝一郎。フサは勝一郎に吉広を思い重ねる。やがてフサは勝一郎と体を合わせる。フサにとって初めての経験だった。

ミツやスズやサン。佐倉での女中仲間はお互いを思いやる。年長格のミツは木場引きと男女の関係にある。フサもまた次第に、少女から大人の女へと成長する。

神武東征から伝わる熊野・新宮のお祭り。御舟漕ぎの競争の男衆のなかに勝一郎もいた。神体がのぼり、神主らが続く。やがてフサは佐倉を辞めて勝一郎の口利きで舟町の旅館、油屋に奉公する。

フサは勝一郎と逢引きを重ね、勝一郎の住む家に招かれ、やがて子を孕み、二人は新宮の町を二つに区切る臥竜山のふもとの「路地」で暮らす。勝一郎の弟の弦も紹介された。フサは路地の生活にも慣れ、井戸に集まる女たちとの話も面白くなった。

フサは、郁男、芳子、美穂と三人の子供たちを二十過ぎたばかりの歳で産んだ。勝一郎は山に仕事に行く、そして山から帰ってきてフサを愛撫する。

美恵の後に、君子と名づけた女の子を産み、そのすぐ後に泰造と名付けた男の子を産む。フサが二十五歳のとき勝一郎に招集があった。胸が悪いと診断され勝一郎はその日のうちに返された。

ある時、美恵がひどい熱を出す。肋膜を患っていた。勝一郎は山を売って手術費にあてた。肋骨を三本抜き取られた。それでも美恵は順調に回復し九月には退院した。

突然、勝一郎が結核で死ぬ。九月十七日だった。フサは二十五だった、勝一郎の子が五人いた。

女手ひとつで子を育て、波瀾の人生のなか懸命に生きていく。

古座に戻って来いと心配する兄の幸一郎に、世話にならず生きていくと強い声で返す。フサは路地の女たちと連れ立って行商にでかける。勝一郎のいない寂しい気持ちより、五人の子らを育てるという猛った気持ちが寂しさを押しのける。フサは泰造をおぶり、郁男が籠を担いで行商を手伝う。

ある日、高熱を出し泰造が死んだ。医者に見せるお金すらなかった。

翌日に地震が起こる。津波を心配し皆、山へ避難する。フサはいっそのこと呑み込まれてしまいたいと思う。戦争も激しくなり軍需物資も不足する。

郁男は若い男衆にじり話している。そこにあの男がいた。「イバラの龍」、背中にイレズミを彫った男だった。空襲は日増しに激しくなる。焼夷弾が落ち、機銃掃射に多くの人々が死んだ。

フサは「イバラの龍」に魅かれる。背が高く、ごつごつと骨太い体で傍若無人にふるまう男。フサは女一人で行商をする日々に疲れ、強い男を求めた。戦後の路地では力が必要だった。生きていくためにフサはその男に憧れ惹かれていく。そしてフサは浜村龍造に抱かれた。

なぜかフサはその男となら所帯を持ち直していけるかもしれないと思う。フサは自分が以前と違っているのに気づく。龍造は博奕打うちのヤクザだが、フサにとっては頼もしい男だった。

戦況は悪化し新型の爆弾が落とされて、八月十五日、終戦になった。

やがてフサは龍造の子を孕む。フサは龍造と結びついていると思って安堵する。

龍造が博奕で警察につかまる、そのとき自分とは別の女にも孕ませていたことを知る。フサは龍造と縁を切り、子供は一人で産み育てると決心する。フサはそれを自分の古座育ちの気性の荒さだと思った。

オリュウノオバの手で取り上げられた子は、大きな男の子で秋幸と名づけた。

やがてキノエという女郎が、モンに連れられてフサのところに赤子を抱いてやってくる。龍造はフサと前後し二人の女を孕ませていた。キノエは、さと子という赤子を、フサの子の秋幸に見せに来る。キノエは龍造に遊郭に売られ、そしてさと子も遊郭に売られるのを怖れ、龍造から逃げたいという。

二度目の地震が襲う。新宮の町家のほとんどを焼いた。何もかもがことごとく燃えあがる。地震に乗じて佐倉は路地に火をつけようとした。駅裏の新地も佐倉が火をつけたと噂になった。

地震はすべてを一新した。やがて復員兵で土方の仕事をする繁蔵に出会う。もう男はこりごりだと思うフサだが、繁蔵が望むなら清姫にでもなって焼き殺しさえしてやると思う。フサにある女の業である。

フサは繁蔵の子を孕む。しかし繁蔵は腹の子を堕ろせという。情けなくもフサは二度、繁蔵の子を堕ろす。姉のユキは、フサが繁蔵と所帯を持つことを竹原の一統の立場から反対する。それでも繁蔵と所帯を持ち、父一人子一人、母一人子一人の五分と五分の状態で出直そうという話になった。

龍造が刑務所から出てくる。フサが行商で留守のとき、龍造は秋幸にあった。「秋幸、父さんと行て、男同士で暮らそう」と誘うと、秋幸は億することなく「養のてくれもせんのに、父やんと違うわ」と返した。

母トミが死に、血をなぞるようにフサの母系は繋がれる。

古座にいる母トミの危篤の知らせが来る。フサは秋幸と二人で新宮から古座に向かう。幸一郎に迎えられ、フサは母の枕もとで最期を看取る。私生児のフサにとって、同じように私生児だった母トミだけが全ての理解者だった。

四十九日に再び古座に行くとき、フサは吉広からもらった和櫛を挿した。その法要に血の違うフサは居ても居なくても構わない存在だった。自分だけは不要の子であり、恥の子で、親族でない気がした。

席上でふざける秋幸をあやすようにフサは海の方へ行く、秋幸と死んでしまえば何もかも解決すると考える。

フサは先に海に入って秋幸を呼ぶ。それはまるでフサが秋幸を連れ立ち入水自殺をするようだった。やがて郁男が走り寄り、秋幸を抱えて泣いた。

翌日、フサは新宮への帰り支度をしているときに、十五のときに吉広に貰い、大切にしていた緋色の和櫛を川に落としたことに気がついた。

母トミの四十九日を無事に終える。心配そうに見守る兄の幸一郎に、フサは大丈夫だと明るく映える笑みをみせて立ち上る。そこには白粉がとけだすように匂った。

こうして母の血をなぞるように、フサの母系が続いていくことを暗示して物語は閉じられる。

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