1836年の作品で、ロシアの帝都ペテルブルグが舞台です。
作者のニコライ・ゴーゴリは現在のウクライナ(当時は帝政ロシアのひとつの県)に生まれ、学校を卒業して文筆活動に入ります。
そもそもペテルブルグは、ロシアの北部の入り江に面した場所に、ピョートル大帝の号令一下、ヨーロッパに負けない近代都市を建設したのが始まりです。
大地の下にはそれまでの因習や民話があったことでしょう。そこに突如、現れた煌びやかな人工の都市。
ゴーゴリは「ペテルブルクもの」と呼ばれる下層民や小役人・俗物たちを描きます。社会風刺に満ちた滑稽話として味わうと面白く、作者の意図を考えてみます。
★以下の動画もぜひご覧ください↓
ある役人の鼻がなくなったお話です。とってもシュールです。
まぁ「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」という言葉もあるくらいですから、洋の東西を問わず、鼻は人間の性質を表す引き合いに出される器官なのでしょう。
以下は、鼻にまつわる日本の表現ですが少し拾ってみます・・・
・鼻が高い・鼻につく・鼻で笑う・鼻にかける・鼻をへし折る・鼻持ちならない・鼻息が荒い・鼻が利く・鼻白む・・・いっぱいありますよね。
で、物語のあらすじを述べますと・・・
3月25日に、ペテルブルグで奇天烈な事件が起こります。
床屋のイワン(・ヤーコヴレヴィィチ)が朝起きると、焼き立てのパンのいい匂いがする。早速、食べようとパンを割ると、そこには、なんと人間の鼻が・・・。
その鼻には見覚えがありました。常連の八等官のコワリョフのものでした。
革で剃刀を研ぐしか能がない亭主に、いつか鼻をもがれるのではとお客さんから苦情を聞いていた妻は、夫を罵倒し、「なんてことをしでかしたんだい、警察に突き出してやる」と剣幕です。身に覚えがないイワンは弁解しますが、「とっとと、どこかに捨ててきておくれ」と妻に言われて外に出る。
どこに捨てようかと考えながら通りを歩くが、こんな時に限って、知り合いに声をかけられ、どきっとしたり、うまく道端に落としたぞと思ったら、おまわりに「拾いたまえ。何か落としたぞ」と注意される始末。
やっとの思いで橋の上からネヴァ川に放り投げる。しかし立派な身なりの巡査に見つかる。「何をしていた」としつこく質問を受け、イワンは青ざめる・・・が、ここでにわかに霧に閉ざされ、このお話は、一旦、終わる。
一転し、ところ変わって八等官のコワリョフ(文官)の部屋。寝台から起き上がり自分の顔を見ると、な、な、なんと鼻がない。
寝ぼけているのかと、もう一度、鏡を覗くが、顔の中心部にあった整ったりっぱな鼻がない。そして、なくなった部分がパンケーキのように「のっぺらぼう」でつるりとしてしまっている。
こんなこと想像すると、グロテスクでシュールすぎますよね。カリカチュア(戯画)の世界と思いながら楽しむ方がいいかもしれません。 ほら、こんな具合に・・・
コワリョフは、失った鼻を取り戻そうと東奔西走するわけです。 奇想天外な話ですが、ゴーゴリが何を伝えたかったのかと考えてみます。
このコワリョフという人間の性質がヒントになりそうです。さらに、当時のペテルブルグの社会や人々の気持ちや気分に応えているのでしょうか。
コワリョフは八等官(文官)という官位の役人です。学校を出た学士の八等官ではなく、コーカサスあたりで成り上がった八等官という説明があります。上昇志向が強そうです。自分の品位と職位の重大さをひけらかすために武官でいう同じ等級の“少佐”と自ら名乗っています。
そんなわけで、コワリョフの“鼻”は、いわば、コワリョフ自身の虚栄心・自尊心・野心の象徴だと考えてみました。その“鼻”が、顔の中心からいなくなったのです。どういうことって感じではありますが・・・
当時の帝政ロシアは厳格な官僚機構で、等級で序列を示す身分制度です。結果、等級で職場や報酬や暮らしぶりが決定するという背景もあるでしょう。さらに言えば、等級次第で貴族の地位を得ることができるのです。
コワリョフは八等官ですので、一代のみ貴族と名乗れます(一代のみ貴族になるには九等以上であることが必要)このことが誇らしいようです。
この男、成り上がりですので、俺は偉いんだ、将来を嘱望されているんだ、と思っているのでしょう、そんな上昇志向が“鼻”に象徴されているのではないでしょうか。
社会風刺というか、ペテルブルグの人々の嘲笑を誘う洒脱な都会的なセンスとどこかリアリティを感じさせる滑稽話をゴーゴリが描きましたという感じです。
コワリョフ少佐(八等官)はお洒落な格好でネフスキー大通り(ペテルブルグの目抜き通り)を散歩するのが習慣で、店や通りで女性と軽やかに言葉を交わします。
いつかはどこか地方の副知事か監督官あたりの職を狙っています。37歳ですが、結婚するのなら相手の女性の持参金が二十万ルーブル程度なくちゃいけないと考えています。自分を高く売りたいわけですね。
まぁそんな、前途洋々で順風満帆だと勝手に自己評価を高くしている人間なのです。いやな奴でしょ。なのに、突然、“鼻”が顔からなくなっしまって、真ん中が「のっぺらぼう」じゃ話にならない。
まさに、鼻がなくては、人にあわせる顔がないコワリョフは、相当に落ち込み、必死で鼻を取り戻そうとします。
コワリョフは、警察に“鼻”の捜索を依頼しようと通りに出ますが、あいにく馬車が捕まらない。ハンカチで顔をおおって鼻血が止まらないような風をよそおって歩いていたら、車寄せの前に立派な馬車が停車します。
見ると、そこから、正装をした一人の紳士が出てきます。なんと、それは自分の“鼻”だったのです。“鼻”が頭部全体になっていて、服を着ているのです。もう、なにがなんだかよくわかりませんが・・・
高い立襟に金糸の刺繍の入った官服とスエードのズボン、腰に吊り下げたサーベルと羽根飾りのついた帽子。どうやら五等官の身分のようです。八等官よりはるかに偉い。
コワリョフの“鼻”は、馬車を乗り回し、帝都サンクトペテルブルグの街に出没しているのです。
つまりは八等官のコワリョフ(身体)から、鼻だけは、コワリョフを離れて、五等官に出世してしまっているのです。因みに世襲貴族になるためには、四等以上なのであとひとつ高い地位が必要なのです。
・・・しかし、残されたコワリョフの方は、人前に顔を出せない、鼻がない、「のっぺらぼう」の状態ですから心穏やかではありません。
たいした“鼻”だと思うべきか、甚だ遺憾と思うべきか。まぁ、“鼻”だけ出世されても困りますからね。鼻の奪還へと奔走するわけです。
後を追いかけると、“鼻”は、ネフスキー大通に面したカザン大聖堂に入り、敬虔な姿勢で深々と神へ祈りを捧げています。コワリョフはおそるおそる「あなたはぼくの鼻なんです」と声をかけます。しかし、“鼻”の方は「私は私です、貴殿とは無関係です」と官位の違いを指摘し、一蹴します。
身分が上のものには低姿勢で、下のものには俄然、強くなるタイプのようです。
コワリョフは“鼻”にむかって「貴様は五等官のふりをしているだけで、とんでもないペテン師だ、卑劣漢だ、貴様なんかぼくの鼻にすぎないんだ」と言おうとしましたが、傍にいた美しい娘に見とれているあいだに逃げられてしまいました。
通りを歩くと、コワリョフが「中佐」と呼んでいる七等官や元老院の課長や、コーカサスでの同僚の八等官と出くわし、逃げるように去っていきます。
警視総監に相談をしようと考え、宅へ馬車を走らせます。
あいにく留守と言われ、考えを変えて、尋ね人ならぬ、尋ね鼻の広告を出そうと考え、新聞社に向かい、交渉に臨みます。広告受付係から、そんな案件は信用にかかわるので掲載できない、冗談はよしてくださいと断られる。そりゃそうでしょう。
しかたなく鼻がなくなった顔を係に見せると、「こりゃほんと不思議だ。実にのっぺりしていますなぁ。まるで焼きたてのパンケーキみたいに。信じがたいほどつるつるだ」と肯きながらも、物書きの先生に頼んで大新聞に載せられた方が良いという。
さすが新聞屋さんですね、人の不幸を、世間は待っていますからね。
今度は、区の警察署長の家に向かいますが、間が悪く、昼食後の昼寝の時間で署長は機嫌が悪い。
署長から「ちゃんとした人間なら鼻が取れるはずはない、世の中には、いろいろな少佐がいて、いかがわしいい場所に出入りしているのもいる」と言われる。しかしコワリョフが腹を立てた理由が独特で、署長の言葉は図星だったが、官位や身分のことになると話が違ってくる。
尉官クラス(大尉・中尉・少尉)ならまだしも佐官クラス(大佐・中佐・少佐)には聞き捨てならないというのです。
コワリョフという男は、まさに権威主義の俗物ですね。それとも出世という強迫観念に取りつかれているのでしょうか。
激高し、捜索はことごとく空振りして、疲れて家に戻り、召使に八つ当たりする始末。
どうしてこんな非現実なことがなぜ起こったのかと彼はしみじみと考え、ポドトーチナ佐官夫人の仕業ではと疑う。
理由は夫人が娘をコワリョフに嫁がせようとしていたからである。まだ三十七歳であることを理由に、あと五年先ぐらいにと断っていたので、魔法使いの女でも雇って、鼻をもいだのではと考える。
当時の結婚は、女性の側は持参金とともに相応の身分の相手(男)に嫁ぐ訳です。コワリョフは、できるだけ自分を高く売りたく(持参金を多く)、あるいはまだ遊んでいたいと、女性を選別しているのです。やれやれ・・・ですよね。
コワリョフは記憶をたどります。床屋のイワンが髭を剃りにきたのは水曜日だったし、翌日の木曜日までは鼻がきちんとあったことは確認している。ここでさらっと、鼻が無くなったのは、イワンのせいではないと読者に説明しています。
そうこうしていると来客がある。それは、この話の冒頭でイワンが橋の上からネヴァ川に何かを捨てるところを見ていたあの巡査だったのです。
あの“鼻”が馬車でリガ(現在のラトビア)に逃亡しようとしているところを巡査は掴まえたというのです。
さらに共犯者として床屋のイワンも牢獄に入れているというのです。ううん?やっぱり床屋のイワンは関係していたのだろうかと、再び、読者は迷います。
巡査は“鼻”を持参していて、無事、“鼻”はコワリョフのもとに戻ります。と同時に、御礼のお金をさりげなくコワリョフに要求します。警察も腐敗しているようです。
しかしいざ、コワリョフは元通りに顔につけようとしますが、鼻はくっつかない。たまたま上の階に医者が住んでいたので、すぐさま呼び、くっつけてもらうようにお願いをする。
やってきた医者は、コワリョフの顔を右に向け「ほほう!」。顔を左に向け「ははあ!」と言い、「こりゃダメですな。このままでいらしたほうがいいですよ」という。
コワリョフは「どうして鼻なしでいられるんですか」と、華やかな社交の場に出られないことを悔やみ、金はいくらでも払うという。医者は「欲得で治療しているのではない」と言い、無理につけるともっと悪くなると言い、どこか治療拒否にも見える。
自然の流れに任せる方が良いと言い、鼻がなくてもあった時と同様に健康そのものという。さらに鼻はアルコール漬けにして、見世物にすれば金儲けができるという。 トホホですね。
絶望するコワリョフは、娘をおしつけようとした佐官夫人に、鼻を戻さなければ法に訴えると手紙をしたためる。しかし返ってきた手紙の文面から、この件が、夫人の仕業ではないことを知る。
この奇妙きてれつな出来事はペテルブルグ中の噂になって広がります。「八等官の鼻が大通りを散歩している」と、物見高い連中が連日連夜、鼻を見たさに騒ぎます。暇を持て余す上流社会の夜会でも、話題になります。
つまり、コワリョフはペテルブルグ中の見世物となってしまいます。こうしてこの話も霧につつまれてしまいます。はたしてその後どうなったか・・・
突然、何事もなかったかのように、元の自分の場所、つまりコワリョフの両頬のあいだに鼻が戻ってきました。四月七日のことです。朝、目を覚まして鏡を覗くと、鼻があったのです。コワリョフの喜びようは想像にかたくありません。
すると床屋のイワンが顔を出します。コワリョフは平常心で「じゃあ、気をつけてやっとくれ」と腰を下ろす。顔をのぞいたイワンは「いやあ、おどろいたねぇ!」といい、鼻を二本の指でつまみます。「おい、気をつけてやってくれよ」とコワリョフは念を押す。
こうして“鼻”は、主のコワリョフのもとにかえってきて、八等官のコワリョフは再び、上機嫌で過ごせるようになりました。
<ふむ、鼻はある!> おめかしをして街に繰り出し、チョコレートをいっぱい買って、副知事、それが無理なら監察官の地位を狙っている役所の事務所に足を向けます。
道で娘をつれた佐官夫人ポドトーチナに出会う。「結婚ではなく、火遊びならいつでもお相手しますよ」と、心のなかでうそぶく。そうして大通りや劇場や、あちこちに顔を出す。コワリョフは、ニコニコしながら気に入った婦人の後を追いまわす。
以来、鼻は逃げ出そうというそぶりもみせず、コワリョフの顔におさまった。
これが事の顛末です。それにしてもありそうもないことが多すぎる。
不自然にも鼻が取れるとか、鼻が五等官の身分で街に出没するとか、鼻を探すために新聞に広告を出そうと考えたり、そもそも鼻が焼いたパンのなかから出てきたり・・・
しかしもっともわけがわからないのは、世の物書きが、どうしてこんな話をこしらえるのか。第一、こんな話はお国のためにならない。第二に、まったく有益でない。
しかし、間尺にあわないことって世の中にはあるんじゃないですか?こういう出来事って滅多にあるわけじゃないけれど、ある話です。と第三者の視点で物語が結ばれます。
如何でしたでしょうか。不思議なお話ですよね。統合失調症とか解離性同一性障害とかドッペルゲンガーとか言えるんでしょうが、あまり深刻にならずシュールな滑稽話として読んだ方が楽しそうです。
私は、当時の帝政ロシアの抑圧的な官僚機構、身分がすべてという社会のなかで、俗物で出世欲の強い小役人コワリョフの被害妄想とそれを嘲笑うペテルブルグの人々という、ゴーゴリの風刺精神が、面白いと思います。


