カフカ『変身』解説|不条理は日常のなかにあり、不条理の連続が生である。

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不条理の意味を道理にあっていないこと、とすると生きていくなかで不条理な局面は多々あります。そこで少し考えてみます。まず人間という存在をいかに捉え、どう表現するか、これは様々かと思います。ここでは、心身、つまり、心(精神)と身(肉体)を持つ生き物としてみます。もう少し作品に寄せて、内心と外見としてみました。さらに、その存在は、心身を有する自己と他者との関係において変化します。そう考えると、人間の実存は、自己の心身において、さらには社会の関係性においてあることになります。そこには、チェコ・プラハに生まれ育ったユダヤ人カフカがいて、父子の関係があり、その前提として、故郷を失くした子孫であり、よそ者であり、成り上がり者であり、歓迎されない民族としての謂われなき不条理の意識があるのかもしれません。

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解説

不条理は日常のなかに潜んでいる

主人公のグレーゴル・ザムザは、旅回りのセールスマン。両親と妹と住んでいて、一家の働き手として金を稼ぎ、家族を養っています。父親は頑固で権威的、母親は父親に従順、そしてまだ世間を知らない妹がいる。

作品のなかの父親像は、実際に近いものです。

カフカは『父への手紙』のなかで、父、ヘルマン・カフカについて記しています。まさにカフカ一族の象徴としての生存欲、事業欲、征服欲をもった人間と評しており、強さ、健康、食欲、声量、弁舌能力、自己満足、世間に対する優越感、耐久力、沈着さ、太っ腹などと表現し、決して、逆らえない存在のようです。

ついでに実際の母親についても触れておくと、狩猟における勢子せこという表現が用いられています。つまり母親は父親の協力者です。その前提の限りにおいてカフカは母親の庇護を受けていたようです。当然、母親は父親には逆らうことはできません。妹は、この支配欲の強い父親に対してうまく距離を保ちながら過ごしています。

物語では、父親の会社は倒産しています。借金をしていて、そのお金をグレーゴルは懸命に働いて返しているようです。しかしそんな日々も日常となっています。

家族全員が、グレーゴルへの感謝の念はさほど示さず、ある意味、自然なことのように感じているようです。そしてグレーゴル以外は、誰も働かず気ままに暮らしています。

グレーゴルは自己犠牲を強いられているわけです、それでも両親思いであり、バイオリンが好きな妹には、何とかして音楽の学校にいかせてやろうとしています。

グレーゴルの仕事は朝が早く、出張が多く、初めての人間と商談し、気が休まることがなく、さらに会社の厳しいノルマの達成と、嫌味な上司に隷従せねばならず、かなりのストレスを感じています。

そんな背景の中で、ある朝、目を覚ますとグレーゴルは一匹の巨大な毒虫(甲殻類のような)になっていることを知ります。

この作品のタイトル『変身』です。人間の体から虫の体に変身しているのです。

仰向けの姿勢で寝ている自分の背中は甲冑かっちゅうのように固く、背骨が弓なりに曲がり、脚と触覚が身体にはえ、白い斑点が腹にできる。

こんな超自然的な不条理のなかでも、グレーゴルは仕事のことを心配し、支配人を気にし、家族を思っている。

そうして、虫になった自分の外見を晒しながら、人間の心を持つ日常として、その心と身の変化を描きながら物語は進むのです。

つまり日常の中に、不条理が入り込みながら、最後まで並行して進行していくのです。

決して、「こちら側の世界」(表層・顕在する現実の世界)と「あちら側の世界」(深層・潜在下の異界)を自由に行ったり来たりすることはありません。

もちろん現実は人間が虫になる訳はないので、これは夢の出来事と捉えたり、何らかのメタファーと捉えるのが真っ当ですが、それはそれとして、ここで前置きしたいのは、この『変身』では、不条理は日常のなかにあり、あるいは日常こそは不条理である。

その連続性のなかで私たちは生を営んでいるということなのです。

こうして物語の最後まで、外見は虫、内心は人間のグレーゴルが両親や妹と過ごす中での、自身(虫に変身した自己)の心理の変化、あるいは対象としての家族(両親と妹)の心理の変化、そして取りまく社会(支配人、二人のお手伝い、三人の下宿人)の関係が描かれます。

不条理の連続こそが生の営みである

物語の特徴は、何か?

それは最初から最後までグレーゴルは人間の心を持ち続けていること、と同時に、最後まで虫として生きること。まさにこの状態が、変化したグレーゴルの実存なのです。

グレーゴルは懸命に語ろうとしますが、その発する声は、すぐに人間の言葉でなくなり、虫の声となり伝達不能となる。しかし人間の言葉を理解することは出来、思考することもできます。

つまり外見だけが異形いぎょうで、内心の感情を持つことができるのです。

このお話は、虫に変身したことはもちろん不条理ですが、そのことで自己と両親や周囲との関係性が変化することです。寧ろ、実存の問題はこちらのほうにある。

虫はメタファーであり、現実のレベルでは、何かの事故でも、精神的な疾患でも構わないのですが、突然、自分の外見が変わってしまい、意思が伝わらなくなる。その後にさらに大きな不条理が訪れるのです。

グレーゴルは、思いを知らせようと懸命になる。しかし、いかんせん虫である。その術(すべ)がないのです。

カフカは、友人に「朗読をしながら虫の真似をして噴き出した」という。楽しんでいますよね。

それは目覚めて起きあがるときの動作なのか、顎を使って鍵を開けるときの動作なのか、想像すると確かに笑える。虫(グレーゴル)に意識がある以上、滑稽です。

どうしてこれほどまでに細やかに写実的に描くのかとさえ思う。思考(内心)は人間で、動き(外見)は虫。その日常を受け入れ、淡々と時間軸で物語っていく。

支配人は、遅刻をしたグレーゴルを責めるためにザムザ夫妻の家に訪れる。ここでいかなる理由であれ容赦ない会社側の従業員への態度が示され、一方のグレーゴルはこれまでの勤務態度や貢献に免じて一定の情状を求めるやりとりがある。そして当然ながら、変わり果てたグレーゴルの姿を見て、驚愕して退却する。

つまりは雇用関係の空虚さである。忠実な奉公など意味の無いことが分かる。

次は、家族。父親と母親、そして妹。つまり最も小さく、かけがえのない、そして強固な単位だと信じた絆である。こちらは人間関係で少し異なるようだ。

父親は権威的で、母親は父親に従順。妹だけが兄に優しく、虫になっても食事(餌えさ)を与えたりして最初は世話を焼いていた。グレーゴルの方も、妹、グレーテに親しみを感じていたようだ。

やがて家族は働きに出る。貯えが底をつき始めるのだ。すでに隠退していた父親が、何やら金ボタンの制服を着ている。銀行の用務員の仕事に就いたのだ。喘息持ちの母親は針仕事をはじめたようだ。まだ一七歳の妹も売り子になる。働く気のなかった家族が、収入が断たれたので仕方なく働くのだ。グレーゴルという働き手を失って家族に広がる絶望感と不幸の姿。

彼らからすれば、日常がグレーゴルによって変えられたのである。

そうして、次第にグレーゴルの人生が虫になって変えられたことよりも、自分たちの境遇が変化することの方が大問題となり、その責任はグレーゴルに向けられていく。

なぜそうなるのか、残念はことではあるが、グレーゴルは人間ではなく、ただの虫けらだからだ。

例えとして忍びないが、回復の見込みのない強い認知症の介護に対して、家族の心労や奪われる時間などは、長くなればなるほどにたいへんなのではないか・・・。

しばらく様子を見たが、グレーゴルが虫から人間に戻ることはなさそうだった。

あるとき、妹がグレーゴルの居心地を良くしようと部屋の家財を片付けようとする。母親も気になり手伝うが、片付けるとかえって見捨てられたように思うのではと逡巡する。

そのとき、グレーゴルが、人間の時にグラビア雑誌の女の子を切り抜き額にいれて壁に飾っていたものを片付けられないように守るために、額縁にはりついて睨み、抵抗している。それを見た母は気絶してしまう。このシーンなどは大笑いである。

ただ、内心があると知れば、実は悲しく切ない場面でもある。

しかし不条理は、時として滑稽に感じさせる。

居間に放たれたところへ父親が帰ってきて、グレーテの報告を受け、皿に盛ってあったいくつかの林檎をグレーゴルに投げつけ、危うく殺されそうになるところを何とか母親が父親を止めた。

その内の一個が当たり、背中に食い込み、致命的な傷となる。それでもグレーゴルは、居間へと通じるドアを、夕方になるとあけてもらえるようになった。

グレーゴルの方からは居間が見えるが、居間からは部屋が暗くて見えない状態だ。

家族は嫌悪感を飲み込み、耐え、我慢している。

グレーゴルは家族の会話に耳を傾けることができるようになったが、その分、家族の辛さを知ることになる。次第に、家族、皆が忙しく、くたくたに疲れきって、グレーゴルを心配する余裕がなくなってきた。

兄の世話を焼いていた妹も次第に変わっていく。最初のお手伝いは、変わり果てたグレーゴルを見て即座に暇をもらったが、二度目の身体の強そうな後家の家政婦はグレーゴルを恐れない。反撃を試みようすると、椅子を振り上げ、打ち落とそうとする。

やがて収入を目的に三人の男性の下宿人を迎える。居間に招いてグレーテの弾くバイオリンを三人は最初、興味を示したが、だんだん退屈になってくる。それに比して、妹のバイオリンに誘われてグレーゴルは、暗い部屋から這いでてきた。

何も知らなかった下宿人たちは虫の存在に怒り、家賃の不払いと賠償を求められトラブルになる。

このことで、グレーテが限界に達した。最もグレーゴル思いだった妹が、もう辛抱できないと言い放ち、「虫になったグレーゴルはもうグレーゴルではない」、やがて「けだもの(グレーゴル)が家族と下宿人を追い出すだろう」という。

そう、グレーゴルは、残された家族にとって害を及ぼす存在となったのだ。そして、もっとも優しいと思っていた人間が、もっとも残酷な人間に変化するのである。

もう終わりにしようと、妹は父親をけしかける。

つまり、妹のグレーテが、父親にグレーゴルを始末することを訴えたのだ。父親には妹のためという口実ができた訳だ。

家族を愛するグレーゴルの心情は辛いだろうが、家族にとって不要な存在なのだ。

グレーゴルは家族の気持ちを淡々と受け入れている。ある種の死の意識(準備)だ。

翌朝、グレーゴルは暗い部屋で死んでいた。あの家政婦は、家族に「くたばってますよ。あそこで。完全にくたばってますよ」と告げた。確認する家族に、家政婦はほうきで突いて、脇へ動かした。

父親は、三人の下宿人を追い出す。家政婦がやってきて、グレーゴルの亡骸なきがらは、もう処分したという。

そして何やら、求めるような顔をしている。怒った父親が家政婦に暇を出す前に、察した家政婦は出ていく。

家族は揃って、久しぶり電車に乗って郊外にでかけた。

そしてグレーテが美しい女性に育っていることと、新しい生活によって、未来が明るくなることを喜び合う。

こうしてグレーゴルの実存は消えて、家族は、新たな幸せに向けて気持ちが明るくなったのだ。

この不条理感。かなりブラックな可笑しささえ感じる。いやはや残酷なお話だが、ザムザ一家だけの特別の出来事ともいえない読後感に満ちている。

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