カフカ『審判(訴訟)』解説|僕らはみんな、パラレルワールドに生きている

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最後に、日常のなかに潜んでいる不条理について考えてみます。

物語では、突然、逮捕されます。現在の日本では、ありえないことでしょう。もちろん違う国家体制(監視社会)では別です。何かを暗示しているようでもあります。

「誰かがヨーゼフ・Kを中傷したにちがいない」と冒頭にあります。Kは訴えられたのです。そして「終りに」という章で、「犬みたいだ」との言葉を残して、ヨーゼフ・Kは殺されてしまうのです。人間の尊厳を奪われ、犬としてしか扱われていないということです。

Kには何も悪いことをした覚えがないのに逮捕され、訴えの内容もわからず、懸命に無罪を主張します。しかしKの有罪は動きません。誤解から逃れようと試みますが、結局は殺されるのです。

もし夢ならば、冷や汗をかき、大声を上げて飛び起きてしまうかもしれませんね。

しかし、物語ではこれが現実の結末なのです。日常の連続のなかで、始めから終わりまで何もわからないまま、非日常が続いていく。この不条理はヨーゼフ・Kに降りかかった必然のように、そして「犬みたい」殺されるのです。

何かがあるのです。しかし、Kに伝えられることはありません。そして死に追いやられます。

人生の危機に遭遇し、熟慮の上、右か左か、あるいは前か後かを人間は選択します。その結果、「死」が待っていたとします。であれば、それは運命ということでしょうか。

もしかしたら、どんな選択をしても、結果は同じなのかもしれません。

私たちが生きている世界も条理のなかに不条理が侵入してきます。

ヨーゼフ・Kは、「逮捕されて」いますが、「日常の生活」を送ることができます。そして<緩慢>に、しかし<確実>に状況は悪化していきます。私たちの日常は、大丈夫なのでしょうか。

この作品『審判』で、最もカフカらしいものは、物語の断章の「大聖堂で」のなかのエピソード(挿話)だと思います。

「掟の門(法の前)」で、この門は、おまえのための門だと言われるけれども、そこに門番が立ちはだかって、田舎からやってきた男は、如何なることをしてもその門を通ることができないのです。

結局、男は、いろいろな手をつくしますがうまくいかず、死んでしまいます。

その門番は、田舎の男を騙しているのではなく、ただ職務を全うしているというのです。 

カフカはこの部分を短編としても発表していますが、本編の流れで捉えれば「掟の門」は「法の前で」とした方が分かりやすいでしょう。

まさに訴訟となっていて、ヨーゼフ・Kは無罪を主張しますが、いつまでたってもその声は届かず、訴えの内容すらもわからないままに「法の前」に留められ、「法の中」へ入っていけないのです。

「あるひとつの事柄」に対して、<正しい理解>と<誤った理解>という相反する認識、結局それは、コインの裏表のようで同じなのです。 

一方から見れば、とても理不尽で得体のしれない他方なのですが、その他方が勝手に規範(法律等)を進める側だったらどうなるか。

両方が、自分たちの考えこそが「道理」だと思っているのです。

私は、ここがカフカの不条理文学が日常に潜む恐さだと思うのです。だから、どこか不思議な読後感になる訳です。カフカの生きた19世紀末から20世紀初頭は戦争の時代の記憶と重なります。

そこには、カフカのアイデンティティや実存の問題が避けられません。

ユダヤ人でありながら、ドイツ人の支配のなかで、チョコ人と共に生活し自身はドイツ文化に同化している。しかしこの状況も戦争によって大きく変わります。

この『審判(訴訟)』という作品は、第一次世界大戦が勃発(1914年)した翌月から書きはじめられます。

カフカはユダヤ人でオーストリア=ハンガリー帝国のプラハに生まれます。この戦争(第一次戦争)で東方ユダヤの難民が多くプラハに流入します。カフカのような同化派、マックス・ブロートのようなシオニスト派がいたなかで新たな対立を生むことになります。

カフカが亡くなった後に、第二次世界大戦は起きます。台頭するヒトラーのナチス。ある日、特定の民族が、突然に強制連行されます。そして悲惨なユダヤ人虐殺(ホロコースト)の事実が露わになります。

その意味ではこの作品は20世紀の予言の書としてカフカの評価を高めます。

そんな時代の背景も念頭において読むと、どこか単なる幻想の小説ではなくヨーゼフ・Kの身に起こったことが現実味を増すのです。

現代の日本に目を向けます。

流行り病のときの政策だって、自然を破壊する太陽光パネルだって、外国人労働者(移民)の数値目標だって、平等という名の下でのジェンダーに関する法律だって私たち納税者に政治は十分な説明をせず、不条理を強行してはいないでしょうか。

いや彼らは、私たちへの不条理を彼らの条理(正義)として推し進めています。それを擁護する、諮問委員会や権威ぶった御用学者、プロパガンダ役のオールドメディア。冷静に考えれば不気味な存在です。

 カフカは、なぜ死後、20世紀の文学を代表する作家となり得たのでしょうか。ますます危うくなっていく人間精神の病理や、あるいは集団的無意識の出現を予知したかのようです。

21世紀に入っても、私たちは、皆、パラレルワールドにいることを理解しておくことが必要なのだと思います。

カフカ『変身』解説|不条理は日常のなかにあり、不条理の連続が生である。
人間の実存は、自己の心身において、さらには社会の関係性において在る。そこには、チェコ・プラハに生まれ育ったユダヤ人カフカがいて、父子の関係があり、その前提として、故郷を失くした子孫であり、よそ者であり、成り上がり者であり、歓迎されない民族としての謂われなき不条理の意識があるのかもしれない。
カフカ『掟の門(掟の前で)』解説|希望は、不条理のなかで見つかる
<書かれたものは不変だが、意見というものは、しばしば、そのことにたいする絶望の表現にすぎないのだ。>という言葉。これがカフカの文学の特徴でもある。人生の岐路には、不条理に遭遇することが多い。絶望と感じるか、希望と感じるか。何を選び、いかに行動するかはあなた次第である。