最後に感想です
デミアンに導かれ、シンクレアは思索する人間(“しるし”をもつ)として“アブラクサス”という対立する概念を統合する考え方を理解すると同時に、嘘の世界として、第一次世界大戦(卵の殻)に参加し、破戒し、再生しようとします。
ここで、アイデンティティという言葉を『自己同一性』と訳して、少し考えてみます。
自分自身が、他の誰でもない自分である状態、私が私である核心とは何か?
そう考えると、自己同一化(アイデンティティ)とは、善と悪を併せ持ち、心と体で体験し合一することです。・・・でなければ人格が乖離してしまいます。
人間の成長は、葛藤のなかにあり、そこから昇華するために強い意志が必要なのです。
神のいない世界で、ニーチェの言う、「超人」をめざすということでしょうか。
そのための思索。ここでは、聖書の教え以外のグノーシス主義の象徴としての“アブラクサス”を中心に、ゾロアスターの「永劫回帰」や、ヒンデゥーの「輪廻転生」や、仏教の「即身成仏」などを通じて、混沌をも受け入れながら霊性の昇華を目指します。
大切なメッセージは、自分を生きることができるのは、自分だけということなのです。
これからシンクレアが困ったときに、もう自分は表れることはできないと告げて、デミアンは死んでいきます。この場面が自己同一化の完成です。
デミアンはデーモン(悪霊)にもダミアン(精霊)にも近く、シンクレアの守護霊として存在してきました。
再生は、混沌を受け入れ、精神のなかで生まれかわる。そのためには、一度、死ななければならない。デミアンの死でシンクレアのなかに一体化するのです。
多くのドイツ青年もまた、殻を破るために戦った“しるし”をもった勇者です。新しい世界は、再び、きっと、人間の思考のなから生まれます。
こうして、キリスト教的な価値、それ以前の宗教、さらには東洋の思想、あるいはユングやフロイトの精神分析、そして霊性のなかで、殻を破り、新生へ羽ばたくことの必要性を唱えて、物語は閉じられます。
人生とは、誰のせいでもなく、自身の決断においてすべてを実行することです。
それは個人の無意識も含めたなかで起こり、同時に集合的無意識に支配されているのです。
デミアンとは、何なのか?
それは内なる魂を形づくると、同時に、自己の運命を愛す人間になることです。

