ヘッセ『デミアン』解説|デミアンと共に生きる

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ヘッセ40歳の作品で、幼年から青年時代の思索の変遷を描くと同時に、第一次世界大戦での母国ドイツへの思いをこめる。当時の人々、特に彷徨えるドイツ青年たちの魂の救済となった。それはまさに大きな暗闇。西洋の近代化は武器と殺戮に貢献しただけだった。これまでの詩情溢れる文章にのせて、自己の精神的な内面追求とヨーロッパ社会への文明批判を行い、ヘッセの以降の転換となった作品。人間を無意識に支配しているものは何か?そこには善と共に悪も存在する。デミアンは自己の内なるものを曝け出し、闇の世界を認め、それを破壊し、昇華させます。<明るい世界>と<暗い世界>。混沌を受け入れ、魂のなかに自我を確立しなければならないことを説いている。

動画もあります!こちらからどうぞ↓

序文に、人間の物語は、それ自体が貴重で不滅で神聖だ。どんな一生も、己へと向かう道を歩むことであり、試行錯誤のなか、皆が自分自身になろうとする。ぼくらの出自はおなじ、母はおなじ。皆、おなじ深淵から生まれ出た。だから互いに気持ちがわかる。ただし自分を解き明かすことができるのは、 他人ではなく自分自身だけだ。とあります。

ヘッセにとって、この作品のきっかけは戦争という外なる世界と、そこを生きた内なる葛藤(非戦の思い)、さらには家族の不幸という精神的危機でした。

我々が、暗闇に直面した時にどうするのか?ということです。

生きていくということは、時間のなかで、もがき、苦悶し、沈思し、黙考し、昇華させること。

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あらすじと解説

あらすじを辿ると、ラテン語学校に通う10歳の(エミール・)シンクレアは、裕福な家庭に生まれ、両親の愛情に満ちた幼少期を送ります。そこには、神への祈りと感謝、聖書の教えがありました。

しかし、シンクレアは「別世界」を体験します。
無知や本能や罪悪がうずまく暗い世界。

年上で不良の(フランツ・)クローマーに、つい嘘をつき虚勢を張り、そこにつけいられ、脅迫され、金を要求され続ける。そして金を貢ぐために、小さな罪を重ねていきます。こうして親にも誰にも相談できず、絶望と屈従のなかで精神を病んでいくのでした。

この世界には「明るい世界」と「暗い世界」が存在することを、シンクレアは知ります。

そこに転校してきた(マックス・)デミアンが現れます。どこか謎めいて、大人びています。デミアンは聖書のなかの「カインとアベル」の物語の別の解釈をします。

農耕をいとなむ兄のカインと、羊飼いをいとなむ弟のアベル。二人はアダムとイヴの息子です。神への供物(農作物と羊の脂身)の違いで、アベルは愛でられます。それを憎み、カインはアベルを殺します。怒った神はカインを追放し、殺されるのを恐れるカインの額に “しるし” をつけたとされます。

この話は、一般的に、カインは神に見放された者として否定的に捉えますが、デミアンの解釈は、カインの“しるし”は、勇気と優越性の象徴、と肯定的です。

カインは気高い人間で、アベルは臆病者。カインは、勇者の“しるし”を得ているというのです。

シンクレアは、デミアンの中にカインの存在を見ます。

臆病者のシンクレアには、意外だったと同時に、きっかけとなります。再び、会ったときには、まるで読心術のようにデミアンはシンクレアの悩みを見透かします。

そんなにびくびくしていたら、だめになる。ちゃんとした人間になるつもりなら、恐怖から解放されなければならない。きみはクローマーと縁を切った方がいい。どうにもならないときは、なぐり殺すんだ。そしたらきみに一目置くね。何なら手伝ってもいい。」と告げます。

シンクレアは「カイン」の物語を思いだし、啓示のように感じます。

ある日、突然、ゆすりはなくなります。クローマーはシンクレアを見ると恐れて逃げていきます。デミアンが話をつけたと言います。

やがて思春期を迎え、「別な世界」は、今度はシンクレア自身の中に現れます。

性の目覚め。その衝動を破壊者として、いけないもの、罪深いものとして感じますが、自身の力では抑えきれません。

ここでもデミアンは、別の解釈を与えます。

神は善なる者で、気高く、父のような存在、美しく崇高、確かにその通りだけど、世界は別のものからも成り立っている。命の土台である性に対して、悪魔のしわざで、罪深い業とするのは間違いだ、と説明します。

シンクレアは、小さい時からの謎が解けたと思うと同時に、もう子供ではいられないという気持ちになります。シンクレアはこれまでの明るくて善意に満ちた両親のいる場所は、世界の半分だったことを知ります。

やがて進学のため家を出ます、デミアンは先に旅立っていました。高校では、自己の内面に没頭し、孤独に向き合いはじめます。思考の殻に閉じこもっているようです。

先輩の(アルフォスス・)ベックと酒場で酔っぱらい、教師や学校や両親や教会について悪口を言う。猥談だってやった。

シンクレアは、そこに人生があり冒険がある気がしました。

学校では禁じられていたも、生きた精神を味わいます。バーの常連となり、自堕落な生活を送ります。暗い世界と悪魔の仲間となり、誇らしく、これまでの自分と決別し、解放された気分です。

自分が嘲笑していたものに対して、心の奥では興味持っていたことを知ります。それでもシンクレアは、誰よりも傷つきやすく、内気でした。

この頃には、学校の問題児で、父親との面談でも反抗的です。除名寸前で、健康を害し、金に困り、借金も溜まり、水に飛び込むか、矯正施設に入れられるかどちらかの運命でした。

春になると、公園である女性に出会い恋をします。上品で、優雅で、淑女のようで、少年みたいな少女。彼女のことを「ベアトリーチェ」と名付けます。“ベアトリーチェ”とは、ダンテ(代表作『神曲』)が幼少のころに心惹かれた少女の名前です。

シンクレアは彼女を深く愛し崇拝します。飲酒と夜のつきあいをやめ、読書や散歩を好むようになります。

恋をすることで、「明るい世界」を取り戻したのです。

それは誰のちからによるものでもなく自分で掴んだものでした。快楽ではなく純潔、美と精神性に満ちたものでした。生活態度は全く変わり、修行僧のようになります。

自身の“ベアトリーチェ”を空想のなかで絵に描きます。完成したものは、神々の像に似た、神聖な面のようでした。夢に出てくると、それはデミアンの顔になりました。

夕陽の光に透かして見ると、ベアトリーチェでもデミアンでもない―自分自身だ!という気がしてくる。そして「運命と心は同じもの」なんだと感じます。

そういえば、酒場に入り浸っていた放蕩三昧の時代に一度、デミアンに・・・、
「きみがなんのために酒を飲むのか、ぼくもきみもわかっていない。しかし、きみの心のなかにある命の源はそれをわかっている。」 と言われたことを思い出します。

つまり、堕落でさえ、人生に無駄なものはないと伝えたのです。

その夜、シンクレアは我が家の門に掘られている紋章の鳥の夢を見ます。

目が覚めて絵に描くと、それは精悍な顔をしたハイタカで、暗い地球に半身を入れて、巨大な卵から出ようとしているように見える。

シンクレアは、その絵をデミアンの昔の住所に送ります。すると不思議なことが起きます。本に挟まれたメモに気づき、開くと、そこには・・・

「鳥は卵から出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、ひとつの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラサクス」と書いてありました。

デミアンからだ!と確信しますが、意味が分かりません。

授業中に先生が、アブラサクスとは、「神性と魔性を合わせ持つという象徴的な使命を帯びた神の名だ」と説明します。

シンクレアは、かつてデミアンが説明していた、われわれが崇める神は、世界の半分(すなわち「明るい」世界)にすぎず、世界全体を崇める必要がある、すなわち、悪魔をも兼ねる神、神でも悪魔でもある神のことだ。と言ったのを思い出します。

シンクレアは、夢のなかでアブラクサスを呼ぶ。天使と悪魔、男と女が合体したもの、人間と獣であり、最高の善と極めつきの悪。

翌年には大学に行く歳でしたが、シンクレアは、何になるべきかがわからず、夢のなかに生きているようでした。

そんな時、音楽に魂をそそぐピストリウスという教会のオルガン奏者と出会います。町の著名な牧師の息子ですが、後を継がず、音楽の道をめざしたのでした。彼と親しくなり、部屋を訪れ、暖炉の火を前にすると、炎は心を富ませてくれます。

二人は、お互いの夢を語り合います。これは「夢判断」のようです。

アブラクサスのことを伝えると、驚き、 
私たちの魂には、かつて人間の魂のなかで生きたものすべてが詰まっている。」とピストリウスは言います。これはユングの示すところの「集団的無意識」を連想させます。

ピストリウスは、シンクレアに “アブラクサス”を心のなかに持たなければならないそして世界は、自分のなかにあると感じたときに、初めて人間になると言います。

この“アブブラサクス”とは、生と死、善と悪、光と闇など対立するものを統合する母なるものあり、自己の内面探求に必要な存在というわけです。

“アブブラクサス”はグノーシス主義の文献に見られます。グノーシス=とは「知識を持つ」の意味で、伝統、権威よりも、個人的な精神的知識(グノーシス)、つまりは、自己の体験や気づきを重視し、深い自己認識(内なる目覚め)のなかで、真理に到達する神秘的な洞察を求めるという、考え方です。

他者への憎しみは、自身のなかにある憎しみであり、それを憎み、その感情を捨てなければならない。これは仏教の教えにも近いものですね。

ピストリウスは博学でシンクレアにとっては師のような存在ですが、やがて違和感を覚えはじめます。教訓めいた物言いばかりで行動が伴いません。やがて彼のもとを去ってしまいます。ピストリウスには知識はあっても、殻を壊すことはできなかったのです。

そのとき、シンクレアは、自分の額にカインの“しるし”を感じます。

覚醒した人間にとっての義務は、自己を探究し自分の形を決め、己の道がどこへ通じていようとも敢然と突き進むことだと考えます。 

大学に入学し哲学を学び、ニーチェを人生の友とします。

彼が、魂の孤独を感じ、駆り立てる運命をかぎつけ、悩んでいることを知って、自分と同じでうれしい思いになります。

お互いが惹かれるようにシンクレアとデミアンは再会し、母親の家に招かれます。

シンクレアは“エヴァ夫人”と呼ばれるデミアンの母親と会って、夢に描いてきた肖像の顔に似ていることに気づきます。“エヴァ夫人”とは“万物の母”の意味で、シンクレアが描いた像が、夢が肉体になったものであり、愛と魂を宿していました。

シンクレアは彼女を愛します。

そして、デミアンは、シンクレアに告げます。 

ヨーロッパ100年の近代化に絶望を抱いている。ひとりの人間を殺すのに幾グラムの火薬がいるかを知っていても、いかにして神に祈るかを知らない。みんな不安と邪心に満たされており、誰も他を信じない。」

だから

今日あるような世界は、死ぬことを、滅びることを欲している。実際それは死滅するだろう。そしてぼくたちも滅びるだろう」、「しかし、人間の意志は滅びることはないだろう。きみやぼくの中に、イエスの中に、ニーチェの中に書かれているように。」と・・・

そこには、エヴァ夫人とデミアンとシンクレア、さらに、多種多様な探究者の輪が広がっていました。

占星術師、神秘主義者、トルストイに傾倒する人(ユートピア主義)、ヨガの修行者、菜食主義者などがいます。

現在のヨーロッパの文明批判、人類は強力な新武器を造りはしたが、深い精神の荒廃に陥ってしまった。全世界を獲得したが、そのために魂を失った。

世界は改まろうとしている。死のにおいがする。死なずに新しいものは生まれない。

三人(エヴァ夫人とデミアンとシンクレア)はこうして、暗闇の気配を感じながら、精神の崩壊と再生に備えます。

ついに欧州戦争(第一次世界大戦)が起こります。デミアンは少尉として出征しました。

シンクレアは、 
卵から出ようとする巨大な鳥。卵は世界だ。世界は砕け散るしかない。と考えます。

若い兵士たちの顔にもたくさんの“しるし”がありました-私たち(デミアンとシンクレア)とは違いましたが-それもまた愛と死を意味します。

すべての人間が理想のために死ぬのです。それは個人的な自由に選ばれた理想(“しるし”)ではなく、共通に引き受けられた理想(別の“しるし”)でした。

シンクレアは戦場で負傷します。運ばれた病院では、瀕死のデミアンがいてシンクレアにささやきかけます。

「もうあの頃のようにクローマーからきみを守ることはできない。困ったとき、きみは自分の心の声に耳を傾けなければならないよ。 そうすれば、ぼくがきみのなかにいることに気がつくから・・・」 

朝になって起こされます。シンクレアは、心の中の鏡を覗きます―そこには友であり、導き手であるデミアンに似た自分の姿がありました。

こうして精神世界に漂いながら幻想的に描かれた、自我の確立という思索の旅が終ります。