ディケンズ『クリスマス・キャロル』解説|「クリスマス精神」を知りましょう!

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舞台はイギリス・ロンドン。時代はヴィクトリア女王(1837-1901)の治世下(ちせいか)。産業革命による急速な変化の時期-人びとは仕事を求めて都市に集中するー工業化、失業者の増加、長時間労働などの問題を抱えながらも金が中心となり、神への祈りや感謝が薄れ、物質主義的な価値観へと変わる。
富める者と貧しき者が二極化し、社会の矛盾や不平等が拡大していく。その反動として、弱者を救済する慈善の意識が強く説かれる。イギリスの国民的作家、チャールズ・ディケンズは自らの少年時代の記憶を重ねるように貧しき人々に寄り添い社会への批判に目を向けながら、「クリスマス精神」という他者を慈しみ降誕日を祝う素晴らしさを説きます。

動画もあります!こちらからどうぞ↓

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あらすじと解説

主人公は『スクルージ&マーレイ商会』という金貸し業を営む初老の男。守銭奴でドケチでエゴイスト。他者への思いやりなどカケラも持ち合わせない冷酷な男です。

スクルージにとってクリスマス(降誕日)は、何の意味も持たない日であり、ただ浮かれる人々を蔑(さげす)み、恨めしく眺(なが)めています。

イヴ(前日)は共同経営者だったマーレイが亡くなった日でもありました。

「クリスマスおめでとう、伯父さん!神の救いがありますように!」明るく弾んだ声で唯一の肉親である甥のフレッドが、夕食を一緒にしようとスクルージを誘いに来た。

フレッドは毎年、こうして訪れるのだが、スクルージは「クリスマスなどくだらん」と言って追い返す始末。つまりは主の降誕日を祝う気持ちなどなサラサラないわけです。

続いて訪れた、貧しい人々への寄付を募る紳士たちに、「だったら刑務所か救貧院に入ればいい」と言い、「もし彼らが死んでも余分な人口が減るだけだ」と言い放ちます。スクルージは慈悲の心など持ち合わせていないようです。

たった一人の雇人であるボブ・クラチットが、明日のクリスマスには休暇が欲しいと申し出ると、しぶしぶ承諾して、代わりに次の日は早く出勤しろと言う。スクルージは、いかに使用人を安くこき使うかしか考えていません。

家に戻るとドア・ノッカーがマーレイの顔のように見える。

部屋に入ると7年前に亡くなったはずのマーレイの亡霊が現れます。長い鎖につながれた姿を見せながら、慈愛に背を向け、金儲けだけだった生前の罪に比例して鎖が長くなると説明し、死後、悲惨な世界が待っているから心を改めよとスクルージを諭します。

馬鹿々々しいと意に介さず受け流すスクルージですが、これから三つの精霊が希望の道を指し示してくれると伝えて、マーレイは消えます。

こうして、「過去」、「現在」、「未来」の精霊が、スクルージの前に現れます。

第一の精霊―<過去>  

幼く見えるが老成したようなクリスマスの精霊。少年時代、青年時代、最後に7年前のことをスクルージに見せます。

仲間外れにされた一人ぼっちの男の子がいます。本の世界に入り夢を膨らませている。それは少年時代のスクルージでした。少し大きくなると、皆はクリスマスのお祝いに家に帰っていきますが、スクルージは妹と一緒に家を出ます。

この妹の子供が、甥のフレッドです。

やがてスクルージは見習い奉公となり、主から心温まるクリスマスの祝いを催してもらったことを懐かしみます。事務所を舞踏会場にして食べ物や飲み物もふんだんに、集った人々と一緒に楽しんだ思い出です。するとスクルージは厳しく接した(ボブ・)クラチケットのことを思い出します。

次は、知謀と強欲でのし上がっていく青年時代。どうやら恋人から別れを告げられる場面のようです。恋人はスクルージに、幸せだった以前に比べ、今は私よりお金の方が大事になってしまったと言って去っていきます。

また場面が変わると、クリスマスの団欒が見えます。母親の優しい眼差し、子供たちは無邪気に騒ぎ、プレゼントを喜ぶ。その女性は、かつての恋人でした。とても幸せなひとときのようです。スクルージは苦い人生を振り返ります。

戻ってきた夫は、妻に話す。その日(イヴ)、事務所を通りかかると、死にかけている共同経営者のそばに一人で座る男の姿があったという。友人のマーレイの死と見送るスクルージのことでした。

この第一の精霊によって思い出されるスクルージの過去は、孤独で本の世界に遊ぶ夢見がちな少年が、見習修行を経て、何とか這い上がり、金儲けができ成功したかわりに、大切な恋人を失い、幸せな家庭を築けなかった過去でした。

スクルージには認めたくない辛い記憶であり、第一の精霊を追い払ってしまいます。

第二の精霊-<現在> 

それは御馳走に囲まれた現在のクリスマスの精霊でした。

この精霊はスクルージの知り合い達のクリスマスの一日を見せます。賑やかな街角、たくさんの食材であふれる店先、幸せそうに行きかう人々。

ボブ・クラチット(スクルージの事務所の使用人)の家です。妻の料理を子供たち-兄弟姉妹-が手伝い、お待ちかねのガチョウにナイフをいれる、デザートはおいしいプディング。ポンチを飲みながら「クリスマスおめでとう。神の祝福があるように」と祝いあう。

そこには、脚が悪く病気がちで長くは生きられそうにない末子のティムの頑張る姿もあります。そんなティムが「みんなに恵みがありますように(God bless)」と締めくくった。

「おい」と精霊はスクルージに言う。以前、「さっさと死ねばいい」と言い放ったことを責められ気まずくなる。ボブ・クラチットは、家族の前でクリスマスがこうして祝えるのはスクルージにさんのおかげだとお礼をする。

みんなが幸せで、感謝の心を忘れず、この家族は貧しくても満ち足りている。

今度は、伯父(スクルージ)を招けなかったことを惜しみながらも楽しい夕食会をしているフレッド(甥)の笑顔が見える。皆はくつろぎ、フレッドは来ればよいのにとスクルージを思いやっている。招待は断られたけれど、スクルージのことも念頭に、乾杯の杯をあげ、祝福した。精霊と一緒にその光景を見ているスクルージは甥たちの家族に礼を言いたい気分だった。

第二の精霊の命が尽きようとしていた。精霊のマントの襞から子供が二人よろけ出た。精霊は言った。親をのがれて俺にすがっている「人間の子供だ」。

男の子は<無知>、女の子は<貧困>・・・。「刑務所か救貧院に入れろ」そんなことをしたら破滅が待っているだけだと精霊はスクルージに言い残して、消えていった。

第三の精霊-<未来> 

真っ黒な布に身を包んだ精霊で、顔かたちはわからず未来の幻影を見せるという。

何やらひとりの男が孤独に死んでいったことを、皆、話題にしている。男の評判は悪く、悲しむ者はいない。男は誰からも見守られずにこの世を去っていくようだ。

男の家にあった遺品を売りにきた3人の男女がそれを買い取る老人と交渉するおぞましい場面を見せられる。部屋にあったあらゆゆるモノ、死んだ男の着ていた服まで身ぐるみ剥がされる状態。すべて金に変えられてしまい、身ひとつシーツにくるまった遺体を見せられる。スクルージは、その男が誰なのかわからない。

それから、クラチット家の末子ティム少年が亡くなった場面を見せられる。こちらの方は皆に見守られて家族の誇りとして送られていった。

次に、辿り着いたのは教会墓地だった。この地下に惨めな男が眠っているという。 墓碑に記されている名前を読み、スクルージは死んだ男が自分であることを理解する。

「これからは、クリスマスを祝う心を、年中、忘れないようにしよう。

過去、現在、未来、三世を生きるこの身にクリスマスの霊は宿る。三霊の教えはきっと忘れない。」

スクルージは改心をして祈る思いになる。精霊はベッドの柱に吸いこまれ消えていった。

夜が明けてクリスマスの朝を迎える。スクルージは何としても未来を変えようとする

ボブ・クラチットの家には、御馳走の大きな七面鳥を贈り、街の人々に愛想よく挨拶し、紳士たちに再会すると寄付を申し出る。するとスクルージは何だかとても楽しく愉快な気持ちになった。それから思い立って、甥のフレッドの家の夕食会に出向く。皆から歓待を受け、スクルージは嬉しく思った。

その翌日には、遅刻してきたクラチットを咎めるどころか給料を増やすと言い、さらに彼の家族への援助を申し出て言う。「ボブ(クラチット)、メリークリスマス」。そうして現実には生きていたティムの第二の父親にもなった。

こうして周囲から慕われる、良き友、良き商売相手、良き先達となった。

ついにはスクルージほどの好人物は世界を見渡してもなかなかいないとまで言われた。

一部ではこの変貌ぶりを笑うものもいたが、でもスクルージは気にしなかった。

何かを変えようとすると最初は笑われるものだということを分かっていたからだ。やがてスクルージは「最もクリスマスの楽しみ方を知っている人物」と言われるほどになる。

ディケンズの『クリスマス・キャロル』。

守銭奴スクルージの名前を、子どもたちは大人になっても忘れません。

三つの精霊たちがスクルージを改心させるお話。その改心とは「クリスマス精神」です。

この言葉、日本人にはあまり馴染みがないですよね。きっとキリスト圏の人々には、“クリスマス”という日は神聖であり、起源からくる畏敬の念はもちろん、喜びの日でもあるのでしょう。(P17)人がみな、優しく、大らかで、慈しみの心を抱くようになる・・・。

この世界は、すべての人が平等ではないことを私たちは知っています。では、貧困、孤独、病気、憎しみ・・・に対して、私たちに何ができるのか?と問うています。

愛する思いを差しのべましょう。善意であり、ボランティアであり、出来る範囲での社会への貢献や支援をこころがける精神を持つこと。

神への感謝の気持ちと、他者への慈悲の心を持って生きるということの幸福(しあわせ)を説いています。その気づきのためにクリスマスの季節があるのです。

お金を稼ぐことは悪いことではないでしょう、しかしお金にとりつかれてしまって、大切なものを失わないようにしなければなりません。

死んだ魂で、生き続けるのはやめましょう。

現代では、やや商業的になっているかもしれないけれど、耳慣れたキャロル(祝歌)が、街角から聞こえてくると、やはり心が弾み優しい気持ちになれます。

あるいは厳粛な気持ちで聖歌を聴くと心が静かに癒されます。

家族や大切な人の幸せを祈り、過去や現在や未来をしみじみと思う。

日本では、クリスマスの1週間後には大晦日がやってきます。深夜0時を挟んで、108回の鐘がなり煩悩を祓(はら)い、清らかな心で新年を迎えます。

1年、1日、1時間、1分、1秒。そしていよいよ年があらたまる。

人間は、目には見えないけれど大きな神秘にやっぱり包まれているのだと思うキリスト教であれ、仏教であれ、他の宗教であれ、または・・・プラトン(ギリシャ哲学)のイデア論だって、カントのフェノメノン(物自体)だって、神秘的なものや形而上の真や善や美を求めている。

世界でもっとも有名なクリスマスの物語=それはきっと人々は心の奥底では慈愛で溢れる世界を望んでいるからではないでしょうか?

心を開き、愛を深め、いまを生きる。メリークリスマス&ハッピーニューイヤー!