カフカ『審判(訴訟)』解説|僕らはみんな、パラレルワールドに生きている

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カフカは40歳でこの世を去ります。友人のマックス・ブロートが、カフカの遺した草稿を死後、一冊の本として完成させたのが『審判』です。長くこのタイトルで呼ばれてきましたが、近ごろは訳者(出版社)によっては『訴訟』と題がついているものもあります。

不条理文学、実存主義の文学とされるカフカですが、この作品も、個人と社会の関係のなかで、主人公は、理由もなく、たいへんな目にあうわけです。

物語は、確かに「訴訟」として進行し、結局「審判」は下されません。しかし私たちは、法律の外側で裁かれてしまうヨーゼフ・Kの結末を知ります。それは、あたかも神に見捨てられてしまったかのようです。

不気味ですが、その意味では「審判」の方が良いのかもしれまません。

どこまでも続く道や、扉を開けてもまた次の扉があるような、永遠に答えに辿り着けない物語です。フロイトの夢判断のように、カフカの日常の不安や欲望が、現実と非現実、意識領域と無意識領域の間を行き来するような構造です。

「審判もなく死が待っている」という人間存在の実存が、どこか非情に語られているかのようです。

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あらすじと解説

それでは、あらすじにそって解説してみます。

銀行に勤める主人公ヨーゼフ・Kは30歳の誕生日の朝に、突然、二人の男に逮捕されます。Kは、なぜ逮捕されるのか?が分かりません。

Kは法治国家に暮らしていると考えています。最初は、誕生日ということで銀行の同僚が仕組んだ冗談かと思います。Kは自分は罪など犯していないと述べるのですが、全く聞き入れられません。内実は、監視社会であり、ある命令のもとに密告が奨励されているかもしれないのです。

もうすでに訴訟手続きはとられているという。ただし、投獄されることはなくて、これまで通りの生活をすることはできると伝えられます。

実は、この物語のもっとも恐ろしいところは、日常と非日常のパラレルな状況だと思うのです。そして時として時空がずれたような感覚になります。

非日常が日常のなかに、突然、入り込んでくる。最初は驚き、何かの間違いだと思い、やがて現実だと知りますが、さほど重大視しない。しかし事は静かに着実に進行をしているのです。

日曜日、最初の審理委員会が、どこか郊外のアパートで行われる。Kは指定の場所に辿り着きますが、予審判事から遅刻だと責められます。中には、たくさんの人たちが詰めかけていて、Kは不当な逮捕や手続きのずさんさを訴えます。しかしよく見ると、彼らの胸には役所のバッチがついており、傍聴者もすべて役人だと知り、Kはののしり出ていきます。 

ここでは、K以外は、すべて反K(集団)です。さらに尋問を拒否したことで以降、二度と尋問の機会は与えられなかなってしまいます。抗弁の場がなくなるのです。これは怖い、ここで後戻りができない状況になったことをKは知りません。

判事は、尋問を拒否することはKの不利になると告げる。次の日曜日の召喚状はこなかったが、Kは再びアパートへ出向く。しかし、その日は、裁判はありませんでした。

Kは裁判所の事務局長の妻に会い、事務局に案内してもらうが、そこは屋根裏部屋でした。

ここは、まさに時空のズレです。カフカの作品には、この不思議が起こる。意識と無意識の境界を越える。現実のなかに非現実がぐっと入り込んできます。まさにパラレルワールドです。

数日後、Kは銀行の倉庫で、Kを最初に自分を掴まえた二人が別の男に鞭打たれるのを見る。Kが詰問すると男は「あんたが判事に俺たちの苦情を言ったから」という。

扉を開けると、おぞましい世界が繰り広げられている。男たちは、Kの食事や下着を横領したことで罰を受けてます。非現実は、これまでKのプライベート(在宅時間や休み)だった世界から、Kの仕事時間の領域にまで浸蝕してきます。

時空のズレは、さらに激しくなるのです。現実の世界に、非現実の世界が広がっていく。これはKの妄想観念の仕業かなのか、あるいはKは分裂症になってしまったのか。

ここからはヨーゼフ・Kは自分の釈放を求めていく段階に移ります。

叔父がKの裁判を心配し、友人の弁護士フルトを紹介します。部屋を訪れると、フルトは病気で寝込んでいましたが、Kの案件を引き受けようと裁判の制度を説明する。そこに来合きあわせていた裁判所の事務局長が現れるが、フルトの愛人らしいレーニがKを誘惑する。レーニはKに罪を白状しなければならないと言う。

カフカ作品の主人公は女性に持てます、そして女性が物語に深く関わります。

ここでKの女性好きが邪魔をします。Kはせっかく居合わせた裁判所の事務局長ではなく、弁護士の愛人らしいレーニの方に意識を向けるのです。このレ-二という女性の言葉に従うことによって、ますますKはますます混乱していきます。

ここまでに登場する女性を整理すると、Kの隣室のビュルストナー嬢や女主人グルウバッハ夫人、審理委員会での洗濯女、そしてこのレーニと常に、意味深にKに語りかけてくる女性たちが物語を転回させていきます。

現実を侵食するだけでなく、非現実をさらに撹乱していきます。こうなると時空のズレはより複雑化し、ますます大きくなっていくわけです。

結局Kは弁護をフルトに委ねますが、進捗が分かりません。Kは次第に仕事が手につかなくなり、裁判のことが気になります。そんなKはある日、銀行の顧客から法廷画家のティトレリを紹介され、相談する。

ティトレリは、三つの釈放のケースを紹介する。ひとつは真の無罪判決、ふたつめは、見せかけ(外見上)の無罪判決、みっつめは、引き延ばしです。

ただ、ひとつめの真の無罪判決を勝ちとるのは不可能と言います。見せかけの場合は、一旦は自由になっても再び訴訟が始まる可能性があり、引き延ばしの場合は、定期的な出廷が必要になるという。Kは役立たずの弁護士のフルトを解雇します。

このように、訴訟の内容も解らないままに、なんとか無罪を獲得するために関係する人々を頼りますが、有益なことは何も得られず、追いこまれていきます。

ある日、Kは業務でイタリア人の顧客に市内を案内するよう頼まれ、大聖堂で待ち合わせをしますが、相手は来ませんでした。教会の中に入ると、そこに教誨師(聖職者)が現れ説教がはじまります。教誨師はKが有罪とみなされていることを告げ、法制度に関わる寓話(掟の前/法の前)を紹介します。

この寓話の解釈が、教誨師(聖職者)とヨーゼフ・Kの間で繰り広げられます。Kは自身の考える正論を述べますが、教誨師(聖職者)の解釈と全くかみ合いません。Kは法の裁き、つまりは神の裁きを期待しますが、法のなかへ、つまり神の下に近づくことはできません。

そして31歳の誕生日の前夜、見知らぬ2人の男がKの部屋にやって来て、町はずれの採石場に連行し、ひとりがナイフでKの心臓を突き刺します。

死刑執行ということでしょうか。予め、決められていたかのようにヨーゼフ・Kは最期を迎えます。 

<Kの死>、人はこれを運命と呼んだりするのです。

ここでカフカ自身の生活との関係で考えてみます。

カフカはチェコ国籍のドイツ語で書いたユダヤ人ということになります。生活のために傷害保険会社(正式名称はボヘミア王国労働者傷害保険協会プラハ局)に勤務していました。

プラハ局の職員数は二百五十人で、幹部は全員ドイツ人でドイツ語を話す。職員の多くはチェコ人でチェコ語を話す。ユダヤ人は二名だけでした。カフカは優秀な社員だったようです。

作家活動を同時に行っているカフカですが、創作の時間は、当然、仕事が休みの日や退勤後となります。

理解ある上司に恵まれてはいましたが、煙たく思う人たちや陰口を叩く人もいるわけです。

カフカにとって、執筆の時間を奪われることは、大問題です。さらに創作に十分な環境を確保できない不満やあせりが、あったようです。 

傷害保険という仕事の性格上、訴訟関係に携わる機会が多かったことが背景のようです。つまり裁き、裁かれるという関係。ただし審理には時間を要したのでしょう。

特に、司法システムの不透明さが暗示され、登場する様々な人々(物語では監視、監督、判事、弁護士、画師、聖職者、そして一度も見たことのない裁判長)が、最後までヨーゼフ・Kに対して、逮捕の理由や訴訟の対応について不明瞭のまま進行しています。

また、銀行関係の人々、頭取や副頭取、上司、部下、顧客などは、カフカの職場の人間関係が、無意識下で奇妙な役柄として現れます。

さらにヨーゼフ・Kは、女性の援助を多く求めます。これもまたカフカの実生活の女性関係の無意識下の現れでしょう。Kを追いかける女性として倒錯し、幻想的な雰囲気を醸し出しています。特に二度の婚約及び破棄をしたフェリーツェのことが、Kの隣人のビュルストナー嬢に投影されているようです。

また実の父親の威厳が、堅牢で抵抗し難い官僚機構という大きな壁として重なり、象徴されているようです。

カフカは不満を抱きながらも、権力のある父親の庇護のもとで従属的な存在であったことが、まさに無意識下の圧迫や強迫観念かもしれません。

こう考えていくと、夢のような無意識領域―深く潜在している不安や心配、あるいは欲望―が、カフカの筆の力によって作品になったといえます。