最後に感想です
人間に魂はあるのか、あるとすれば、どこにあるのか。
クララは、寂しさの感情を持ち、愛を理解します。優れた共感能力をもつAIです。さらに善意のプログラムでつくられていて献身的です。だから最愛のジョジーの生命を救うために、自己犠牲も顧みず、お日さまの力で治していただこうと、祈りを捧げます。
クララは、ジョジーを継続してほしいと懇願する母クリシーに対して、難しい作業だが、ひとつひとつ学習していけば可能と答えます。
つまりは、人間を複製することはできると、クララ(汎用人工知能)は考えています。
しかし、この“できる”とはクララにとっての“できる”なのです。対象である母親のクリシーの心のなかで、ロボット(クララ)は人間(ジョジー)として継続できるか否かは、クララにはわからないのではないでしょうか。
父親のポールは、クリシーの人間的な鋭さと心の変容を知っていて、クリシーもいつかそれが不可能なことを知ると言っています。
ポールは、人間には人間たらしめる何かがあって、それを知ることは難しいとクララに話します。その何かとは「魂」であり、では、「魂」の問題はどうなるのか…という点。
そしてクララは考えを修正します。
『カパルディさんは、継続できないような特別なものはジョジーの中にないと考えていました。探しに探したが、そういうものは見つからなかった──そう母親に言いました。でも、カパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。 だから、カパルディさんの思うようにはならず、わたしの成功もなかっただろうと思います。わたしは決定を誤らずに幸いでした。』(引用431P)
ここは素晴らしい部分ですね。
クララ(汎用人工知能)自身が人間を複製することは不可能だと結論づけているところも、ある意味、深い思考の果ての正しさなのかもしれません。
イシグロは語っています。
科学者であるカパルディは、人間の体のどこを探っても魂なんてものは見つからなかった。 愛する人の脳からすべてのデータを移植することができれば愛する人の代わりがつくれると。しかしそれは間違っているのではないか。魂といわれるもものはその人を大切に思うまわりの人たちの感情のなかに宿っているのではないか
人間が、赤ん坊として生まれ、眼の前の世界を観察し、学習し、経験を積ねながら、知能を持った大人になっていくとして、そのようにロボットも行い、やがて人間を凌駕した知能(頭脳)を持つというAGIやその先のシンギュラリティ。
しかしジョジーの存在は、ジョジーの中だけではありません。母親のクリシーにも、父親のポールにも、幼馴染のリックにも、その他のたくさんの人々のなかにもあり、そのなかでジョジーのこころは形成され、変化していくのです。
だからジョジーの魂は、ジョジーの対人関係の中にも存在している。いやむしろ、ジョジーの思い出や記憶は、ジョジー以外の人々の心のなかに、ジョジーの魂として生き続けているとカズオ・イシグロは考えているのでしょう。
私は、最も貴重なことは、人間が、生まれること、そして死ぬことだと思います。
ジョジーの死を認めたくないクリシーがたとえ、ジョジーを継続したクララと生きたとしても、愛するジョジーの死(生も含めて)の記憶を失うことはないでしょう。
それをクララは学習できるのでしょうか。死を経験しないクララに、ジョジーの死によって経験した人間の感情を学習できるのでしょうか。それは、クリシーだけでなくジョジーとふれあったたくさんの人々の過去・現在・そして未来までも含んだ複合体です。
最後の方で、クララを知能を解剖したいと願うカパルディに、怒りをもって拒絶し、クララに平穏な引退をさせたのも、またクリシーの心でした。
その意味でも廃棄場に捨てられているシーンは複雑な気持ちになります。それは幸せな光景かもしれませんし、残酷な光景かもしれません。クララが太陽光で動いているかぎり、死はないということです。
クララに店長は語りかけます。
あれだけの技術革新を詰め込んだB3型でしたけど、人気はいまひとつでしたね。・・・あなたは,わたしがお世話した最高のAFの一人です。
とても感動的です。この文学的な表現が、科学的な現実に劣ることはないのです。
社会が残酷な能力主義に染まっていないかとカズオ・イシグロは警告します。
つまり、その対人関係を構成する社会が、いびつなかたちに変化したらどうなるのか。それは文学的な表現をこころのなかで理解(共感)できない世界なのかもしれません。
現実社会では、ピケティの法則のように、富める人はますます富み(資本収益率)、より多くのもの(金、地位、名誉、権力・・・)を得るチャンスがあり、貧しき人は、そのチャンスは乏しく、この格差は広がるばかりです。やがて分断を生み、さらに危険な状況に陥るかもしれない。
そんなディストピアな科学万能の人間世界に対して、クララは、お日さま(太陽)の神秘に祈りを捧げるという対比になっています。
現代の人間は信仰心が失われていく。神などはいないとして、代わりに科学を信奉している。
かつて神の象徴として“お日さま”を拝んだ人類の記憶に対して、汎用人工知能を搭載したAFクララが、つまりは最先端の科学が、原初的な太陽信仰によって、人間ジョジーを救うというお話。
シンギュラリティの時代が来ても、何もかもすべてを解明することは出来ないのでは、それは、人間の心であり宇宙の神秘であってほしいと私は思います。
そういえば、カントの墓碑に書かれた言葉。
我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いて やまない。
汎用人工知能もシンギュラリティ(技術的特異点)も私は詳しくは知らないので、全く、異なった解説をしているのかもしれません。しかしカズオ・イシグロは文学のみが、人間の魂、つまりは自身と他者の感情を物語にして伝えることができ、それをAIは超えることはできないと考えているのではないでしょうか。
超越する存在(星空と道徳法則)を信じるか信じないかによって、シンギュラリティが、どのようなかたちで、人間に何をもたらすのかがはっきりするのかもしれません。