AGI(Artificial General Intelligence)―人間が行うあらゆる知的作業をできる汎用人工知能―意識を持ち、より広範囲に観察し、理解・学習し、自由意志で実行するロボットの未来が、もうそこまで来ているという。
あるインタビューに答えてイシグロは語る。同じ性格や個性を持った人間を複製することができるのだろうか。人間の心や愛といった問題はどうなるのか。私たちのからだのなかに魂といったものはあるのかと。この作品はAFクララの進化した眼と能力を通して、人間とは何か、あるいはどうあるべきかが映しだされているようだ。
あらすじと解説
クララという人工知能を搭載したロボットが、雑貨店で買主を待っています。クララはショーウィンドゥに立つのが好きです。そこは人の目を惹きお客様に選ばれやすいし、外の景色も観察できます。何よりもお日さまをたくさん浴びることができます。
クララは太陽光をエネルギーに動いています。あるとき、犬を連れた浮浪者が向こうのビルのところで死んでいましたが、お日さまを浴びて翌日、生きかえるのを観ました。もちろん浮浪者はただ寝ていただけだったのですが、クララにとって、お日さまは生命 を救う存在として学習されたのです。
やがて、ジョジーという病弱な女の子が目の前に現れ、気に入ってもらえます。クララもジョジーのことが好きでした。彼女は少し不自然な歩き方をしています。再び母娘で現れたときに、店長さんはクララが新型のB3型ではなく旧型のB2型であることを話します。新型に比べて臭覚機能がなく運動能力も劣るが、「見るものを吸収し、取り込む能力」と「精緻な理解力」では、最も優れていると太鼓判を押します。
母親の指示で、ジョジーの歩き方をうまく真似ることができたクララは、その学習能力を認められ、ジョジーだけでなく母親の満足を得て、新しい家へ行くことになりました。
ここまでの段階で、クララが高い観察力と学習意欲、意思をもったAIロボットであること、経験からお日さまを自身や人間を生かす存在として認識していること、さらにジョジーという14歳の女の子に気に入られ人口親友(AF=Artificial Friend)として選ばれたこと、その承諾には母親の強い同意があったことが伝えられます。
人間社会が自ら選択しているディストピア
クララは、ジョジーの家の情報、お日さまが良く見える外の情報、母親クリシーやお手伝いメラニア、そして隣家の15歳くらいのリックと母親ヘレンの関係など広汎な 情報を吸収し自ら学習していきます。ジョジーの父親は家にはいないようです。
クララは思考し言葉を発し人間との会話もできます。つまり意識を持っているのです。しかし、主人に反抗はしません。クララは、ジョジーに最善を尽くすAF(Artificial Friend)人口親友としてプログラムされています。
主人公は、クララです。ロボットの眼を通した人間の世界が描かれます。「人間とは何か」を考えながら、「AI(ロボット)は人間に代替できるか」がテーマです。
小説の舞台は、近未来のアメリカで、そこは極端な格差社会のようです。
人間の能力を高めるため【向上処置】という手術が行われており、受けてない人々は大学に入れないようです。【向上処置】についての詳しい説明はありませんが、遺伝子操作の手術で能力が上がるようです。上流の暮らしを目指すためには必要とされるようです。
乱暴な言い方をすると、手術をして、頭を良くするというのです。
処置手術を受けた人は上層社会へ進み、受けていない人は下層社会に留まり ふたつの層は交わることはあまりないようです。手術は高額で、裕福な家庭の子どもしか受けられません。手術の失敗で、死の病に至ることもあるようです。
ジョジーの姉、サリーは、この手術によって命を落としています。ジョジーの不自然な歩き方も、この手術の後遺症なのかもしれません。
親たちの世代には、このようなことはなかったと記されており、子どもたちは生命の危険にさらされながら生きていることになります。人間が自らがつくった怖い社会です。
大学に入学するまでは、子どもたちは学校には行きません。オブロン端末で、個人指導が行われます。授業の結果で社会性スコアもあらわされるようです。そこで、子どもたちが孤独を感じないように、大学に入るまで寂しくないようにとAF(Artificial Friend)が与えられるようです。
つまり人間の友達ではなく、人工の友達です。
時々、子どもたちの交流の催しがあるようです。今回はジョジーが主催者で、あまり乗り気でない幼馴染のリックも誘われました。人間同士のコミュニケーションの機会が少ないので、交流会には、我儘で身勝手、思いやりが欠落しているような子どもたちもいます。会話は予期せぬ言葉から不穏な展開にもなります。
【向上処置】を受けていないリックはどこか蔑まれています、リックも皆とは話がかみ合いません。その場で、クララも子どものたちに紹介されますが、新型と機能面で劣ることを非難されます。
あれほどクララとの出会いを喜んでいたジョジーが、「やはりB3型(新型)にすればよかったかな」とつぶやき、クララはショックを受けているようです。クララは、人間は状況が変われば、態度や対応も変わることを学習します。
この交流会はクララにとっても人間を知る貴重な経験となりました。
リックはジョジーをこんな思いやりのない人間たちから救いたいと思っています。でないとジョジーも同じような人間になると心配しているようです。 クララは、リックがジョジーと将来を約束した幼馴染の関係であることも知ります。
クララは人間社会-親子、兄弟、姉妹、恋人、友人、隣人、コミュニティーで起こる喜怒哀楽の感情表現や、そのエスカレーションの果てに起こる悲喜劇まで、理解しはじめています。
意識と言葉がもたらす人間の複雑な感情
AIは、人間と同じ広範囲な頭脳を持つことができるだろうか?
そんな問いへの答えにもなりそうなほど、クララの眼の前に、人間の抱く複雑な感情が、情報として現れます。作品の登場人物は、そう多くありませんが、個々の意識と言葉、人間関係、さらに過去の記憶(思い出)、現在の状況(現実世界)、未来の望み(計画)が時間軸で 交差します。
この作品は、クララという汎用人工知能を搭載したロボットが自ら考えて、親友のジョジーのために驚くような行動を起こすお話で、それが意味するものを読者が考えることだと思います。
インプットされる最大の情報は、“ジョジーが死に瀕(ひん)している”こと
そこに人間という生物が考える異常なエゴと、自由意志で無償の献身を見せるAFクララの対比があり、祈りとしての“お日さま”の存在があること。
クリシーは、夫と離婚して田園地帯に住んでいますが、【向上処置】により長女サリーを失くし、今また、その術後の影響か、ジョジーまで病気になり、死の恐怖に怯えています。
ではなぜ、【向上処置】の手術をしたのか。ここに能力至上主義の格差社会で脱落しないためという意識があります。それは、子の将来を思う親の愛情かもしれません。
ただクリシーの考える裕福な未来は親のエゴかもしれません。なぜなら幼少の時期に受けるその手術は子どもの意志が反映されないからです。別れた夫(父親)ポールはクリシーの考えが理解できません。
さらに物語のなかの驚愕する出来事として、クリシーのジョジーに対する歪んだ計画が明かされます。
クリシーは、ときどきジョジーをつれて都市(まち)に出かけます。ジョジーの肖像画の制作が目的で、身体に負担をかけないよう様々な角度から写真撮影をするためです。しかしそれは偽りでした。カパルディという科学者にジョジーそっくりのロボット(身体)をつくらせており、そこに学習させたクララの頭脳(データ)を据え付けようと考えているのでした。
クリシーは、長女に続いて、ジョジーを喪(うしな)うことは絶対に堪えられません。そこでカパルディと協議して、ジョジーを継続することを考えます。この継続とは、ジョジーとそっくりのAIを複製することでした。
だから最初、お店でクララにジョジーの歩き方の真似をさせたり、体調が悪くなったジョジーを残してクララと二人でモーガンの滝を見に行き、ジョジーの話しぶりや動作を完璧にクララが再現できるかを試したのでした。
この時、クララの眼にはクリシーの恐れ、悲しみ、笑いが現れます。
ジョジーを真似たクララが「特別な方法でジョジーの病気を治す」と言うと、 クリシーは混乱します。
この描写は、まさにジョジーのこころがクララに憑依したかのような光景で、幻想的であると同時に、クリシーの精神の倒錯ぶりを感じさせます。
クリシーは、それがいかに異常なことかを理解しながらも決行している。病的なほどの人間の愛情が、不気味なエゴとして現れます。別れた夫のポールは、クリシーと科学者のカパルディから精密につくられたジョジーのロボットを見せられ、憤りを隠せません。
ポールは長女のサリーの死を経験し、ジョジーの【向上処置】の手術に反対しました。
しかし豊かな暮らしを送らせたいクリシーは、結局、母親の意志で手術を行いました、そして今、人間のジョジーをロボットに代替しようとしています。ポールは、能力至上主義の社会から離脱して、人間らしいコミュニティーに参加し、今の自分に満足し誇りを持っているようです。しかしそれは分断された社会のもう片方の形態です。クリシーはポールをドロップアウトした側にいると考えているようです。
ジョジーに、もしもの時が訪れたときに、ジョジーの継続をお願いされるクララは、人間の心を理解することは難しいが、何度も学習をくりかえすことで可能だと母親のクリシーに答える。クララはあくまでジョジーのためを考えるAFなのです。
ポールは、そんなクララに、詩的な意味での『人の心』について問います。そしてジョジーの奥深い内部の何かも学ぶことは難しいのではと言います。
一方、ジョジーの幼馴染のリックは、家庭が貧しいこともあり、【向上処置】を受けていません。しかしリックは優秀です。病弱な母を看ながら、好きな工学の道を目指しドローンの設計をする将来を夢見ています。母親のヘレンはなんとかしてリックを大学にやれないかと考えます。
病気のヘレンは、たとえリックと離れ一人になっても、【向上処置】を受けていない生徒も受け入れる数少ない大学アトラス・ブルッキングズにリックが進むことを薦めます。しかし入学率は2%未満と超難関。ここにも子を思う母親の愛があります。クララは、人間は寂しさを避けると学習してきましたが、寂しくなっても我が子を応援する母親の気持ちを知ることになります。
ヘレンは20年前の恋人で、現在は偶然その大学の要職で権力ある地位についているバンスを頼り、依怙贔屓をしてもらえないかと懇願する。
しかし若き頃、女優だった奔放なヘレンとの恋で心の傷を負ったバンスは、身勝手なヘレンを許すことができずに、叱責し、この話は破綻する。バンスには彼女の自分都合だけのエゴがたまらないのです。
そんな母親をリックはかばい、結局、進学を望まず、苛烈な競争社会ではなく気の合う仲間たちと一緒に、自分の好きな道を行くことを決心します。
人間それぞれのエゴや愛情、喜怒哀楽をともなう記憶や思い出、それは時間軸を越えて現在に甦ることもあるし、会話の方向性で、人間の心は目まぐるしく変化していく。
いかに共感能力に優れているクララでも、人間関係のなかで刻々と変化する心の全てを学習することは容易くはないことを示すエピソードとしても描かれています。
クララの献身とお日さまへの祈り
「人間の感情」と「汎用人工知能」の対比、それは「人間のエゴで変化する対人関係」と「善なるプログラムで設計されたAFクララ」の対比でもあります。
ついにクララはジョジーを救う方法を考えます。
そこには目的(ジョジーの命を救う)と結果(達成できたかどうか)の間に、クララの自らの意志が働きます。
クララが選択した方法は、“ジョジーの継続”ではなく、“お日さまに治していただくこと”でした。
それはお店で学習(経験)した、クララ自身が太陽の光をエネルギーとしていること、つまり太陽が生命の源であること。さらにショーウィンドーから見た、死んだ浮浪者(人間)が、お日さまの光で蘇ったこと(これはクララの誤認識ですが・・・)が根拠となっているようです。
クララは、“お日さまへの献身と祈りをする”ことを決めます。
この“自由意志”があることが、汎用人工知能たる所以ですが、驚くことに<科学>ではなく<信仰>を選んだことです。
身体の具合が悪くなっていくジョジーに対して、クララは“お日さまの特別の栄養がクララをたすける”と信じています。
そしてついにクララは自発的に行動します。
クララはお日さまが眠りにつく前に、願いをすることを考えます。マクベインさんの納屋をまるで神殿に見立て、沈むお日さまに祈りを捧げようとします。
リックはなぜそのようなことをするのかとクララに尋ねますが、クララは理由を語りません。秘密に祈ることが大切なようです。何もわからないリックは、それでもジョジーが良くなるのならばと、クララの思いをくんで、クララを背負って丘を上り下りします。
クララは納屋に向かい、全身全霊で集中し、祈りを捧げます。
「ジョジーを治してください。あの物乞いの人にしたように」
これは合理的な思考を越えています.。しかし、お日さまに願い、祈る行為は、クララが情報から学習した上で、確信している認識のようです。それは、まさに信仰に近いものです。
クララは、これだけでは駄目だと考え、次に、お日さまの献身を考えます。
光を遮った煙を出す(汚染する)あの作業機械のクーティングマシンを壊せば、お日さまが喜ぶと考えます。
チャンスが訪れます。皆で街に出たときに知り合ったジョジーの父親ポールから教えられ、機械を不能にするために、自身の体の溶液を抜き、混合することを実行します。それは、認識機能を損い、自身を危険にさらす自己犠牲の行為でした。うまく成功したようです。
しかしその行為は無駄でした。一台を破壊したところで他に何台もあることを知ります。
ジョジーの容態は、さらに酷くなり、意識がなく昏睡が続き危険な状態に入っていきます。医者も母親もすでに諦めかけています。
しかしクララは希望を捨てません。もう一度、お日さまに祈りを捧げることを決断します。
クララは、リックとジョジーの愛が本物かを確認します。幼馴染のリックはその思いを クララに告げます。
ふたりの愛は本物で永遠だと。
クララは、再び、マクベインさんの納屋に行き、沈みゆくお日さまに向かって、“生命と愛の祈り”を捧げます。
“お日さまの加護でジョジーの生命が救われ、リックと二人が幸せになれますように”
クララは記憶していました。あのショーウィンドゥの前で見た、生き別れた男性と女性が年老いて再会した幸せを、お日さまがとても喜んでおられたことを。
ジョジーとリックの二人が幸せになれるように、ジョジーを死なせないでくださいとお願いするのでした。
「お日さま、どうぞジョジーに特別の思いやりを」
ここでクララは、平等に光を降りそそぐお日さまに、ジョジーにだけ特別に思いやり、つまり依怙贔屓をしてもらうことをお願いします。クララは、人間のエゴすらも学習するのです。
それから数日がたちました。その日は、朝からどんよりと暗く厚い雲がいっぱいでした。まるで全員の気持ちを物語るように・・・。
奇跡が訪れます。死の淵を彷徨っていたジョジーの部屋いっぱいに、溢れんばかりの光が洪水のように特別の栄養として差し込みます。 強烈なオレンジの色がジョジーのベッドを包みます。
ジョジーは目を醒ましました。
それから季節が変わり、年が変わり、ジョジーは子どもから大人へと成長していきました。すっかり健康になったジョジーは大学に進むことになります。AFの役割は、大学に入るまでのフレンド(親友)です。クララの役割は終わりました。
ジョジーはクララに別れを告げて旅立っていきます。
リックもまた、健康になったジョジーが大学で新たな扉を開き羽ばたくことを応援し、将来を誓い合うといった幼馴染の結婚の契りが壊れてしまうことを、寧ろ微笑ましく思いながら、それぞれが違う道に行くことを祝福しあいます。
場面が転換して、クララはスクラップ置き場にいます。手や足はなく頭だけのようです。クララは太陽の光を浴びながら断片的に記憶を重ねています。どうやら複合的に再現しているようです。
そこに店長が訪れ、クララはジョジーの家に行ったその後を質問すると、クララは「ジョジーに何が最善かを考え、そのために全力を尽くしました」と答え、とても“幸せ”でしたと、“感謝”して物語が閉じられます。