映画『レスラー』|不器用な男が、観衆の喝采を背にダイブする。

家族を失い、仕事を失い、思いを寄せる女性を失った彼が選んだ道は。レスラーでしか生きていけない不器用な男を演じ哀愁とカタルシスをこめた作品です。プロレスファン必見の映画。ミッキーロークの復帰作となった作品でもあります

解説

プロレスというショー・ビジネスの裏側を見せてくれる珍しい映画。

レスラーという鍛え上げられた肉体がぶつかり合うショー・ビジネスの世界。プロレスに生き、そこを死に場所にする不器用な男、ランディ・ロビンソン。そのあらすじを追いながら、物語を解説する。

ショーという言葉を考えてみる。それは観客を魅了するパフォーマンスを行い、喝采を浴び、自身の存在に陶酔する。ビジネスは、そこに入場料という等価交換で利益を上げていく、興行である。

プロレスの場合は、ここに肉体が在る。芸術や芸能の場合には、熟練のいぶし銀の風合いや老いることでの凄味などが加わる場合もある。しかしスポーツの多くは年齢による肉体の限界があり後輩の育成などに廻る場合が多い。

映画の舞台はアメリカのプロレスリングである。予定された台本に則り、試合運びをするショー・ビジネス。つまりは「エンターテインメント産業」だ。しかし、プロレス程、肉体の全てを酷使する競技もないだろう。

ランディは、“ザ・ラム”というトップロープ超えのダイブを得意技に1988年4月6日、超満員のマジソン・スクウェア・ガーデンで、中東の獣、アヤトッラ―との世紀の一戦で勝利し、その戦いは伝説の名勝負としてプロレス史に刻まれる。

それは頂点を極めた、ランディの姿であり、観衆の喝采はいつまでも鳴りやまない。

人気スターとなったランディは、20年後の老いた今でも、満身創痍の肉体で現役を続けている。今日の戦いのリングは、小さな町の体育館でつくられる。ランディは、僅かばかりの試合のギャラと総菜屋のアルバイトで糊口を凌いでいる。

試合前の綿密な段取りの打ち合わせ、肉体改造のためのステロイド剤や苦痛を和らげる鎮痛剤、体を魅せる日焼けマシンも欠かせない。凶器となる小道具をDIYで物色する。映像は、観客を喜ばせるプロレス興行の舞台裏を驚く程に赤裸々に描く。

今夜は8試合が組まれていて、ランディは最後のメーンイベントで「トミー対ランディ・ザ・ラム」のカードだ。早速、対戦相手のトミーがやって来て、試合の段取りを話し合う。仕掛ける技、反撃のタイミング、フォールまでの流れ。

いよいよメーンイベント。ランディは人気者だ。筋肉と筋肉が至近距離でぶつかり合う。ヒール役のトミーは容赦なくランディを攻める。観客のトミーへのブーイングとランディコールが響く。

マットに叩きつけられた後に、ランディはそっと左手首に仕込んだカミソリを取り出し自分の額を切る。コーナーに額をぶつけられ鮮血があふれる。ランディの反撃が始まり、最後はトップロープに上り必殺技の“ランディ・ジャム”を見舞い、フォールで勝利する。

次に組まれた試合はハードコア。対戦相手からのステープル・ガン(ホッチキスのデカいやつ)を使用して体に打ち抜くアイデアを採用する。ビンタの応酬から始まり、ホッチキスで打ち抜かれ、フォークでえぐられ、ゴミ箱を被り、ハシゴで絞められる、血で観客の興奮を煽る凄惨な試合を展開していく。そして今日も勝者には「伝説のランディ“ザ・ラム”ロビンソン」の名がとどろく。

不器用な男が最後に選んだのは、マットの上で死ぬことだった。

傷だらけのランディは、試合後、控室で嘔吐し、心臓発作を起こしそのまま意識を失う。気がつくとベッドの上。心臓のバイパス手術を受けており、医師はランディに、レスリングをこれ以上続けることは命取りと宣告する。

ランディの私生活は悲惨だった。自堕落で自暴自棄なランディの性分は、離婚に至り、一人娘ステファニーとも疎遠だった。何とか会う約束を取りつけ、心臓発作のことを告げるが、面倒を見る気はないと冷たく言われる。長い年月、娘の誕生日を祝うこともなく、好き勝手に生きてきたランディにとって、それは当然の報いだった。

医者から最後通牒を受けているランディは、往年のレスラーたちに混じってサイン会に参加する。来場者は少なく、仲間たちも故障した肉体を晒しての惨めな催しだった。ランディは、長いプロレス人生を思う。

唯一人、想いを寄せるストリッパーのキャンディともうまくいかず、アルバイトをフルタイムで働き何とか慣れたことで、ついに引退を決意する。ところが新たについた対面販売の売り場で、客といざこざを起こして、仕事を辞めてしまう。

もう一度、キャシディに恋人になることを願うが断られ、彼女を侮辱する失礼な言葉を浴びせる。せっかく約束したステファニーとのデートも、前日に泥酔しハメを外し約束の時間を大幅に遅れ、ついに絶縁され修復不能となってしまう。

引退、仕事、一人娘、恋人、何もかもがうまくいかない。自業自得ながら全てに見放される。その姿は痛々しいほど不器用な人生そのものである。

ランディは、レスラー仲間と和気あいあいで、仲間たちも、彼をレジェンドとして尊敬している。心臓バイパス手術を受け引退を決意し、普通の生活を送ろうとしたが、仕事も、恋も、家族も結局はうまく行かない。自分にとって、プロレスというショー・ビジネスだけが、唯一の存在する場所だと知った。

焦燥のランディに、アヤットラーとの20周年記念試合の興行話が持ちかけられる。手術で最後通牒を受けているランディにとってその試合をすることは自殺行為である。しかしランディは、アヤトッラ―と再会し、記念試合の段取りを話し合う。

その日が来る。心配するキャシディが控室にかけつけるが、ランディは観客が待つリングへと向かう。ランディは、リングだけが自分の居場所で、ファンに見守られて果てることを選ぶ。

沸き立つ観衆の万感の拍手のなか、ランディはリングに上がる。そしてマイクに向かい観客に応える「ここに立つことに感謝する。多くの人に“もうムリだ”と言われた。これしかない。生き急いできたツケはむろん払うしかない。この人生、大切なものすべてを失くすこともある。でもここに立っている俺はまだラムだ。俺に“辞めろ”という資格があるのはファンだけだ、ここにいるみんなが、俺を戦わせてくれる俺の大切な家族だ。愛しているよ、ありがとう」と。

レジェンドの闘いが始まる。肉体が悲鳴を上げる、異常が起こる。アヤトラーはピンフォールをするようにランディにささやく。それでもランディは、トップロープ超えの必殺技ダイブ、“ザ・ラム”を魅せながら恍惚のなかで燃えつきる。

ダーレン・アロノフスキー監督は、主役をミッキー・ロークにすることに、こだわった。

ランディの不器用な姿は、ミッキー・ロークの生き様と重なる。1980年代には「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」、「ナイン・ハーフ」、「エンゼル・ハート」等の話題作で主演を得た。セクシーな俳優としてトップクラスのギャラを稼ぎ出す。1991年にはプロボクサーに転向し怪我がもとで整形手術を受け、その後は一転、貧しい生活に陥る。そして2008年、この映画で第81回アカデミー賞の主演男優賞候補となる。

ミッキー・ロークには、なぜか女性を受けつけない匂いがする。自己中心で、自暴自棄、そして自堕落な破滅願望のある生き方。大切な家族や恋人を失う、世間はそれを自業自得と呼び、寄り付かない。

学習せず利口でない、生きるのが下手で、不器用な男が放つ哀愁の魅力である。

虚実が入り混じる商業主義の世界。俳優とボクサーのふたつのショー・ビジネスを生きたハンサムだったハリウッド俳優の孤独さ、不器用さ、そして大人になりきれない少年のような夢を追う姿が、二重写しになる。表現者としての人生が作品を通して重なってくる作品である。