禁酒法時代のシカゴを舞台にアメリカ財務省捜査官たちの戦いを描いた映画。主任捜査官エリオット・ネスの自伝を元に映画化。警察すら手を出せないロバート・デニーロ演じるアル・カポネの凄まじい権力支配と非情な暴力のなか、4人の捜査官の不屈の正義が戦いを挑む。ご存知、ギャング映画の名作です。
あらすじと解説
禁酒法の時代と、アル・カポネがいた狂騒の1920年代。
アル・カポネ、そしてシカゴギャングといえば、何かノスタルジーを感じてしまいます。
酒に関する人々の意識の歴史は古い。そもそも酒が神様からの贈り物である一方で、その乱用は悪魔の仕業によるものとの社会的な同意がありました。
1840年代に始まった禁酒法の運動は、近代では1917年に憲法修正決議が通過し、最終的に1920年に禁酒法が施行され禁酒法時代が始まります。
賛否のなか結局は、アルコールの製造、販売、輸送は違法となります。しかし結果的には人々の欲望は「もぐり酒場」を生むことになり、国境を越えて蒸留、醸造されたアルコールは不法に輸入されるようになり逆に狂騒の20年代を迎えます。
その中でもシカゴ市は、禁酒法をごまかす場所として有名になり、アル・カポネとバグズ・モランの2つの悪名高いギャングは、無許可で酒を製造販売することで繁栄します。
一方、アル・カポネの経歴を辿ると、1899年にニューヨークのブルックリン区にイタリアのカンパニア州サレルノ県アングリ出身の移民の子として産まれ、やがて不良となります。
シチリア出身ではなかったのでマフィアの本流には加われませんが、本格的に暗黒街に入り、そして1920年にシカゴに移ります。
1925年に縄張りを譲られ、26歳で組織のトップになります。市議会議員や警察などの官憲を買収し実質的にはシカゴ市長と言えるほどの存在となります。
映画では、ホテルのどでかい部屋で、床屋に優雅に顔をあたらせ、髭をそり、爪をととのえ、靴を磨かせる男がいます。彼こそが、アル・カポネです。
新聞記者が取り巻き「誰が見ても実質的なシカゴ市長はあなただ」と話す。
カポネは「どんなに禁じられても人々は酒を欲する、これはビジネスだ。俺はシカゴにはびこる暴力とは何も関係がない」と答えます。
禁酒法の時代、密造や密輸入でアル・カポネは莫大な富と地位を築いていました。
これが禁酒法の時代であり、アル・カポネの繁栄の時代となります。
禁酒法はシカゴをギャング戦争の街に変えます。10億ドルの密売酒市場の利権をめぐって各組織は血の抗争を続けます。
それは、ギャングの時代であり、アル・カポネの時代でした。
1929年に聖バレンタインデーの悲劇と呼ばれる、サウスサイド・ギャングのボスのアル・カポネと、バグズ・モラン率いるノースサイド・ギャングの血の抗争が行われ、これまで大衆の人気者だったカポネは一転、憎悪の対象となりカポネは追いこまれます。
フーバー政権下、映画のエリオット・ネスのチーム「アンタッチャブル」から密造酒関係の調査を進められます。あらすじを追いながら、彼らの活躍と、アル・カポネとその時代を解説していきます。
シカゴ市当局の要請を受けて、政府は密売酒とそれにからむ暴力事件の対処に乗り出します。そしてアメリカ財務省の特別調査官のエリオット・ネスが着任します。
そしてネスは、街をパトロールする老警官のマローンと出会います。マローンは「警官の心得は、毎日生きて家に帰ることだ」と忠告し、この街の警官の腐敗ぶりと「腐っていない警官は俺だけだ」と言います。
本省からは、ウォレスが経理担当として派遣されます。
マローンは、シカゴの戦争の凄まじさを語り「それをやり抜く覚悟はあるのかね?あるなら話にのろう」とネスにせまります。
ネスは「おれは彼を挙げると誓った。法の範囲ならばどんなことでもやる」と答える。
「神は臆病者が嫌いだ」といって、マローンはネスと握手を交わします。
そしてもう一人、汚れていない新人を探しに警察学校へ行きます。ふてぶてしく射撃が得意なストーンも加わることになります。
アンタッチャブルの活躍で、脱税で告訴されるアル・カポネ。
こうしてネス、マローン、ウォレス、ストーンの4人は力を合わせて特捜チームを結成します。
「アンタッチャブル」の誕生です。
カポネは、幅広く一般の商売もしている、それもすべて合法だが表向きの所得はゼロだ。ウォレスは「金の流れさえ立証できれば脱税罪で告訴できる」といいます。
映画では、ネスが「禁酒法」、ウォレスが「脱税」と2つの方向でカポネを追いつめていきます。
しかし腐敗は議会にまで及んでいました。さらにカポネの手下ニッティが、ネスの家の前で待ち伏せします。
「娘の誕生日か、家庭はいいな。家族に何もないようせいぜい気を付けな」。いつも悪は、愛する者に迫ってきます。ネスは、妻と娘を安全なところに避難させます。
アル・カポネに対する召喚状が検事局からだされる、内容は “所得税の脱税とそれを画策した容疑”、有罪が認められれば、最高28年の懲役となります。
ウォレスはカポネの幹部を証人として連行するが、そのエレベーターの中に、すでに手下が送られ、ウォレスは、裏切った幹部ともども殺されてしまう。血塗られた文字で “手は届くぞ(タッチャブル)” と残されていた。
検事は「人権はおかせない、証人もなく告訴したら赤っ恥をかくだけだ」とは言う。検事も買収されていたのです。明朝、検事は告訴を取り下げます。
ウォレスが殺され、心配は家族にも迫っている。ネスはあきらめようとしていた、それでもマローンは俺のためにやってくれとネスに頼む。マローンの正義はくじけません。
しかし警察の密告で、マローンは二人組のギャングに罠にはめられて、ニッティのマシンガンで無残に殺されてしまう。
駆けつけたネスに、マローンは最後の力をふりしぼり帳簿係ペインがシカゴユニオン駅で12:05分のマイアミ行きに乗る情報を伝え「打つ手を考えろ」と言い残して絶命する。
帳簿係を捕らえに向かうネスとストーンは、駅で待ち伏せをします。
そこに乳母車に赤ん坊を乗せた婦人がいた、荷物が多く、一人で乳母車を持ちあげて階段を登れない。見かねてネスが手伝う。
そこに現れたカポネのファミリーと帳簿係ペイン。息を呑むシーンです。
激しい銃撃戦が始まる、ネスが持ちあげた乳母車が逆に階段に落ちていく、追いかける母親、飛び交う弾丸。すんでのところで乳母車を食い止めるストーン。帳簿係を人質にとるカポネの手下、「助けてくれ何でも話す」と命乞いするペイン。
狙いを定めてストーンが敵の額に命中させる。
法定での予備審問が始まる。ところがカポネは不敵な笑いを浮かべている。
シカゴ市長のトンプソンも、陪審員も買収されていたのです。しかしネスの機転で、裁判官をうまく嚇し、裁判官は「陪審員を全員入れ替える」と指示を出させます。不利を悟ったカポネの弁護士は、無罪を取消し、有罪を主張する。
こうして最終的には脱税で告発されます。そしてカポネの裁判が開始された。判決は、懲役11年。
1931年から始まったアル・カポネの脱税裁判で、合計11年の懲役、罰金8万ドル。が確定します。
新聞 は“ギャングの街を制したアンタッチャブル” と報じます。
新聞記者がカポネをあげた男としてひと言、感想を聞きに寄ってきます。「運がよかったんだよ」とネスは答えます。
記者が質問する「禁酒法が撤回されるようです、あなたはどうしますか?」と、するとネスは「飲むさ」と答え、シカゴ警察を去っていき物語が閉じられます。
そして1933年のフランクリン・ルーズベルトの時代に禁酒法は廃止されます。その後のアル・カポネは、1939年に釈放されます。そして1947年、脳卒中に伴う肺炎により死亡します。カポネは、かつての栄華を極めたシカゴに戻ることはありませんでした。
ニューヨークタイムズは「悪夢の終わり」と報じるのでした。