映画『ジョーカー』|悪という喜劇を、生きる価値にする。

感情が高ぶると、突然、笑いだして止まらなくなる疾患を持つアーサー。病気の母を看病しながらコメディアンを目指す男が、あざけられさげすまれ排除され続けながら、やがて悪そのものとなっていく。抑圧から解放され、悪が喜劇になる社会が到来する。

解説

年老いた母を看病しコメディアンを目指す男が、悪のカリスマに変態するジョーカーの誕生の物語。

アーサーは生まれつきの “脳および神経の障害で突然、笑いだす” 疾患を持っています。

『ジョーカー』は現実と幻想の境や真実と虚偽の境など解釈が分かれます。当ブログではその主題を中心に、映画のあらすじを追いながら解説してみたいと思います。

「この人生以上に、硬貨(高価)な死を望む」それが孤独なアーサーの願い。

ここは派遣で働くピエロたちの事務所。アーサーは鏡に向かいピエロのメイクをしています、両方の指で左右の唇を吊り上げながら右の目には涙を浮かべます。

商売道具の広告看板を街の不良少年に奪われ、追いかけるも、暴行を受け無残に打ちのめされます。

狂っているのは自分なのか?それとも世間なのか?心を痛めるアーサー。

福祉相談所でカウンセリングを受け、精神安定剤をもらいます。日記帳はネタ帳も兼ねますが、脳の障害で文字を正しく書けません。

そこには “この人生以上に硬貨な死を望む”高価が誤字となるページがありました。アーサーは悲劇で無価値な人生を送るよりも、死ぬことに価値を見つけたいと考えています。

帰りのバスでは、子供をあやしていると母親から強い口調でかまわないようにたしなめられます。アーサーは、大声で苦しそうに笑い始めます。薄気味悪く思う母親に、アーサーはカードを見せます。そこには “笑うのは許して、病気です”と書かれています。

彼は極度の精神的な緊張や恐怖で、発作的に笑いだす生まれつきの脳神経の損傷障害を持っています。そんなアーサーを周囲は狂人のように見て避けています。

家に続くいつもの長い石段を上りアパートの部屋に辿り着きます。母親のペニーは、アーサーを “ハッピー”と呼びます。彼女は30年前、ゴッサムシティの名士、トーマス・ウエイン家で働いており、生活の窮状で救済を求める手紙をトーマス宛に書き続けています。

テレビでは “マレー・フランクリン・ショー!” が始まりました。アーサーはマレーに憧れています。彼の夢は一流のコメディアンになって人々を笑わせることでした。

アーサーはテレビを見ながら妄想をします。ショーの観客席にいる自分にマレーが話しかけます。

母の口癖の“あなたの幸せな笑顔が、人々を楽しませる”という言葉を信じるアーサーは、妄想のなかで、マレーにコメディアンとしての才能を見出され脚光を浴びるのでした。

翌日アーサーは、同僚のランドルから護身用にと拳銃を受取ります。そしてある日、慰問の仕事で銃を携帯したまま小児病棟を訪れます。If You’re happy and You know it,clap your hands.(幸せなら手を叩こう)と踊るピエロのショーの際に、その拳銃を床に落としてしまいます。上司はカンカンになって怒り、アーサーをクビにします。

自分の人生を悲劇だと思い頑張るアーサー。だから悲しみを失くし笑顔を作るコメディアンになって人を幸せにしたいと思っています。

アーサーは懸命に持病と向き合い「どんな時でも笑顔で生きる」ことを大切にします。

映画は『笑い』とは何か?を冒頭に提起し、ピエロの哀しみから始まります。ハンディを背負う社会的な弱者のアーサーは、その克服のためにもコメディアンを目指します。しかし『笑い』を「笑う対象」と「笑いを誘う演者」の関係で考えると、「笑う対象」は社会の一般通念とのずれをネタにされます。「笑いを誘う演者」とは実は傲慢な態度でその対象をあざけさげすむことができる人間なのです。そして観衆は大衆であり、残酷な優越感で留飲を下げることに刹那の満足をします。心身を病むアーサーの憧れるコメディアンへの努力は、哀しみの克服からずれていきます。

アーサーは “自分こそがあざけられさげすまれ排除される対象” だと気づきます。優越こそが笑顔の本質であり「本当の悪は笑顔の中にある」ことを理解します。

そして自分は<悲劇ではなく笑われる残酷な喜劇の対象>の側にいることを自覚します。

3人の暴漢を殺したアーサーは、不思議な高揚感で変態します。

仕事をクビになり、今後の生活と自らの境遇にひどく落ち込んでいるところに事件が起こります。

帰りの地下鉄で、3人の若い会社員の酔客が女性の乗客をからかっています、嫌がる女性に執拗にからむ男たち、救いを求める女性の眼。アーサーは嫌悪と怯懦きょうだ鬱積うっせきした気持ちのなか、抑えきれず持病の笑いが起こります。

5人だけの車輛に笑い声が響き、異様な空気になっていきます。

男たちは鉾先ほこさきをピエロ姿のアーサーに向け、汚い言葉を浴びせつけ殴る蹴るの暴行をはたらきます。反射的にアーサーは拳銃を弾き2人の男を射殺し、ホームに逃げる男も追いかけ殺します。

逃げ帰った部屋の化粧室で、なぜかアーサーの身体はゆっくり踊り出します。アーサーは不思議な高揚感を感じます

アーサーの心の奥底にある何かとの邂逅。アーサーの精神の苦痛の叫びである「発作としての笑い」が、不良少年たちの暴行に端を発し、小児科病棟で拳銃を落とす失敗が留めになり職を失い、僅かな接点だった社会との関係が切れる。銃を手にしてついに制御できない憤懣ふんまんと恐怖は、地下鉄の3人の不埒ふらちなサラリーマンを射殺する。しかしこの殺人が、アーサーの何かを覚醒させます。それは芋虫がさなぎとなり、やがてほの蒼いやわらかなはねが少しずつ広がっていくような変態を思わせます。醜い姿から華やかな姿へのmetamorphosisメタモルフォーゼです。

そして好意を抱く同じアパートの黒人のシングルマザーのソフィーの部屋を訪れ、接吻します。

アーサーのなかに前向きな勇気が漲りはじめ、強い妄想が湧きはじめます。

殺害された3人はウェイン社の社員でした。トップのトーマス・ウェインはテレビのインタビューに答え、3人は家族同然と偽善者の発言をします。事件を貧困層の富裕層への反発の高まりとし、貧困層が殺人者を支持していることに対して憂い、だから自分は市長へ立候補するのだと正義をかざします。

やがて市の予算削減で福祉サービスは閉鎖されます。アーサーはカウンセリングを受ける機会を失くします。カウンセラーは「あなたは市にとってはどうでもいいことなのよと同情してみせます。

それでもアーサーは何故かあの地下鉄殺人のことを思い浮かべて、自分がこの世に存在する理由を分かり始めたこと、そして世間も気づき始めたことをカウンセラーに告白します。

その夜、アーサーはナイトクラブのスタンダップ・コミックショーに登場しコメディを披露します。極度の緊張と不安で、言葉を失い笑いの発作が止まりません。すべったオチで不気味な印象を強く残し、痛々しくも何とかショーを終えます。

ソフィーも観客席でアーサーのコメディを聞き、それでもアーサーはスポットライトを浴び甘美な気持ちに浸ります。

自分がこの世の中に存在する価値を、アーサーは発見していきます。

街を走るタクシーの車窓からは、ピエロの仮面を被った孤独な人間がこちらを向いています、アーサーは自分と同じ仲間がいることを微笑みます。

部屋に戻ったアーサーは、ペニーのウェイン宛の手紙を盗み見して愕然とします。手紙には、ペニーはウェインの愛人であり、自分は二人の間にできた子どもであると綴ってありました。

アーサーは事実を確かめにウェイン邸を訪れます。偶然、息子のブルースと会い、弟にあたることに不思議な感情を抱きます。来意を伝えるアーサーですが、執事のアレックスにペニーは妄想狂でイカれた女だと言われます。アーサーは、自分はウェインの息子だと主張しそのまま逃げ去ります。

アパートに帰ると、ペニーが救急車で病院に運ばれようとしていました。ゴッサム市警のギャリティとバークの二人の刑事は、地下鉄殺人についてアーサーに質問します。二人の刑事は、アーサーの職場の上司から、笑いだす癖や拳銃所持などの情報を聞きつけ疑っています。

ペニーの看病をするアーサー、そしてアーサーを優しくいたわるソフィー病室のテレビの “マレー・フランクリン・ショー” では、マレーがアーサーのクラブでのコミックショーの反響を受け、ショーに招くという趣旨のコメントを聞き驚きます。

最初は喜びましたが、実は、彼のすべっているコメディをさらしものにするためだと知って、アーサーは、次第にマレーへの憎しみが湧いてきます。

人々は怒りと不満の中、ピエロに扮装し通りを埋め尽くし上級階級へ抗議デモを行います。市民をピエロ呼ばわりしたウェインも抗議の対象となり狙われています。“我々はピエロだ” “金持ちを殺せ” “死ね、ウェイン” “ウェインを倒せ” “ピエロを市長に”人々は狂気と化しシュプレヒコールは止みません。

塞いでいたアーサーは、群衆の中に繰り出します。

訪れたのはチャップリンのモダンタイムズを上映する劇場。鑑賞する裕福な人々の笑いが渦巻くなかにウェインを見つけます。ウェインに息子であることを認めてもらいたく、ただ自分は父親の温もりやハグが欲しいだけなのだと訴えます。

ペニーを気違いだというウェインに、アーサーは病んだ笑いがこみ上げてきて止まりません。そしてアーサーは気持ちの悪い男として、ウェインに殴打されてしまいます。

絶望のなか部屋に戻ると “マレー・フランクリン・ショー” から電話が入り、用件はアーサーのライブ映像の反響が視聴者に多くあり出演依頼のオファーでした。アーサーはこのオファーを承諾します。

アーサーは全ての真実を知り、絶望を越えて悪の高揚感に充ちていきます。

アーサーは特別の患者を収容するアーカム州立病院を訪れ、母親のペニーの30年前の記録を確認します。そこには驚くべき事実が記されていました。ペニーは妄想性精神病のひとつである自己愛性パーソナリティ障害で、かつアーサーは養子として迎えたと記されていました。

ウェインがアーサーに話したことは真実だったのです。さらにアーサーを当時の恋人が暴力を振るい虐待するところをペニーが傍観した罪で収容されたこと。さらに傍観した理由は “アレックスがいつも笑っていたので”と抗弁しています。

過度なストレスを感じて笑ってしまうのは虐待が原因であったことが分かります。信じていた全てを失い、絶望のなかで、アーサーは苦痛からただただ笑いが止まりません。

自身は捨て子であり、親からは虐待されたことで、笑い続ける脳神経の疾患となった。悲劇ではなく、喜劇であり、笑われる対象なのだ。

「どんな時でも笑顔で生きる」そう母の教えを信じて生きてきた。しかし30年を経た今、そこには大きな嘘が隠されていたことをアーサーは知る。自身の出自の秘密と底辺の生活苦、親の愛情の欠落と虐待による脳神経疾患、社会への適応の厳しい現実。アーサーは、全てに裏切られた絶望の底にあります。

アーサーはアパートのエレベーターでソフィーが蟀谷こめかみに銃をあてる幻を見ますそしてソフィーの部屋に侵入しカウチでうずくまりますが、帰ってきたソフィーから異様な態度を不審がられ、諭されながら部屋を出ていきます。

アーサーは気づきます。尾行をした夜にソフィーが部屋にやってきたこと、コメディショーを観に来てくれて一緒に街をデートしたこと、ペニーの看病でソフィーが自身を労わってくれたこと。そのすべてはアーサーの妄想だったのです。

絆と信じていた母ペニーへの思いは裏切りと憎しみに代わり、好意を抱いたソフィーも自身の現実と妄想の錯乱であったことに気づきます。憧れていたマレーも所詮、金持ちで自分のコメディを晒しものにしようとしている。アーサーの思いは、ついに沸点に達します。

悪の喜劇の中で笑うカリスマとして、ジョーカーが誕生する。

アーサーは病院を訪れます。何がハッピーだ!自分の笑いは病気であり、自分の人生は悲劇ではなく喜劇であることを知ります。アーサーはペニーの顔に枕をあてて窒息死させます。

マレーの番組出演のオファーを承諾したアーサーは何度もイメージトレーニングを行います。その目的は、番組のなかで自殺を図る事でした。「ノック、ノック・・・」そして銃を自分に向けて放つ。

アーサーは髪を緑に染めてピエロのメイクを始めます、そこへピエロの仕事仲間だったランドルとゲイリーがアーサーの母親の死を弔問にやってきます。

寧ろ、気分がいいというアーサーは、自分を見捨てたくせに警察への口裏合わせに来たランドルに、隠し持ったハサミで首を刺し、頭を壁にめった打ちにして殺してしまいます。逆にゲイリーは唯一、優しかった男として見逃します。

That’s Life これが人生。アーサーは髪を緑に染め、ダンスを踊りながら、顔を白く塗り道化としてのピエロから、ジョーカーへと変身します。

アーサーは、ジョーカーに変態し、新しい命をえて街に繰り出します。

いつも重い足取りで登った長い階段を、自信に溢れ、高揚感に充ち、踊りを舞いながら意気揚々と下りていきます。新たな儀式が始まる予感です。

悪として生きる喜びを見出し、階段の上で幸せなダンスを踊り出します。

刑事に追われますが、道化師の仮面を着けたデモの参加者で溢れる車輛に紛れ込みます。組み合うなかバーグはピエロの仮面をした人間を誤って撃ちます。乗客たちの攻撃の対象はいっせいに刑事に向かいます。ホームにあふれた暴徒を前にアレックスは小躍りし余裕の顔で立ち去ります。

やがて “マレー・フランクリン・ショー” の楽屋でマレーと対面したアーサーは、番組の下打ち合わせを行い、自分を “ジョーカー”と紹介するように頼み承諾を得ます。

喜劇か悲劇かは主観が決める、アーサーは悪という喜劇を生きる。

いよいよ出番となり、ジョーカーは登場します。マレーからネタを催促され、アーサーはネタ帳を見て話しはじめますが、ネタを変えます。

“ノック、ノック”…この日のために練習したネタ話は、自分に銃を向けて自殺することがオチでした。

“この人生以上に硬貨(高価)な死を望む” ちらっとこのページが開かれ、ネタを変更して、地下鉄で3人の証券マンを殺したことを告白しはじめます。次第にスタジオが凍りつきます。

そして自分の人生は喜劇だと気づいたことを話します。

ゴッサムの格差を非難し、自分のような社会不適合者は奴隷のように蔑まれる存在でしかなく、善悪や笑いの基準も力のある人間が決めている。

そして憧れていたマレーも、笑いものにするために自分をここに呼んだことを非難し、喜劇かどうか、善悪かどうかは主観が決めること。どいつもこいつも最低で狂いたくなる、他人の気持ちなど考えない奴ばかりだとぶちまけます。

心を病んだ孤独な男をあざむくとどうなるか、社会に見捨てられゴミみたいに扱われた男だ!報いを受けろ、そう言ってマレーの額に銃を撃ち、殺します。観客の逃げ惑う悲鳴の中、道化のダンスを踊ろうとすると番組は中断し、捕らえられ連行されます。

ゴッサムの街は略奪と暴動はさらに激しくなり、混沌のなか燃えさかります。

連行されるパトカーに暴徒が操る大型トレーラーが衝突します。ピエロたちは負傷したジョーカーを警察から手から救出します。暴徒のひとりのピエロは、慈善イベントから難を逃れようとするウェイン親子の跡をつけトーマス・ウェインを射殺し、夫人も射殺します。ひとり茫然と佇むブルース。

助けられたボンネットの上でアーサーは気がつき起き上がります。

口の中の血を引きながらグラスゴースマイルを縁取って、不滅のジョーカーが甦りました。

それは、悲劇から喜劇へ、悲劇と喜劇の逆転であり、悪が喜劇に完成される瞬間です。すでにアーサーは絶対に後戻りすることない悪そのものとして完成しました。憂いを湛えた道化師としてのピエロではなく、卑しき社会を破壊していく大衆を扇動するジョーカーとして生きることを決めます。悪こそが善であり、誠実や道徳や倫理などを一瞬で溶かしてしまうカオスのマグマが沸々とエネルギーを集めゴッサムの街を変貌させます。

群衆は、悪のカリスマの誕生に喚起します。

一転して、真っ白い精神病棟のカウンセリングルーム。ここはアーサーの脳の中にある妄想なのでしょうか。笑いが止まらないアーサーに“何がおかしいのか?聞かせてほしい”とカウンセラーに問われ “ジョークを思いついたけれど、きみには理解できないさ”と答えます。

孤児になったブルースが将来のバットマンとなってジョーカーと出会う姿を想像するJOKEを考えつくアーサー。シナトラの “That’s Life” の歌を口ずさみます。そしてカウンセラーを殺し血のついた足跡を残し、廊下の突きあたりの窓際で踊ります。そこに病院の職員が追いかけてきます。

しかし悪に解放されたアーサーは、悪の喜劇に溢れ、もう何の救いも要らないようです。

精神的な恐怖を叩きつけられることで、私たちが考えるべきこと。

最後に、アカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスのスピーチを引用します。

映画人として「自分たちの声を、声なき者たちへと使う機会だと思っている」とし、僕らの社会は様々な問題を感じ、感じざるを得ない状況にあるとして、人種や性などのマイノリティへの社会の不正義とそれに対して戦うことだという。

あるひとつの国家、国民、社会的性別が選ばれた者として支配し、コントロールし、利用し、搾取することに罪の意識を感じない。自分たちが中心と思う自己中心的な世界観を持つという罪を犯しているという。

そして彼自身のキャリアも顧みて、僕は愛と思いやりを僕らの原則として、すべての感情あるものと環境にとって利益があるように変えていくことができると思っている。

とメッセージした。