映画『ジョーカー』あらすじと解説/ここが見どころ!

概要>感情が高ぶると、突然、笑いだす疾患を持つアーサー。「どんな時でも笑顔で」との母の言葉を胸に、持病に苦しみながらも母を看病しコメディアンを目指す男が、嘲られ蔑まれ排除され続ける孤独の中、悪そのものとなっていく。抑圧から解放された狂気が悪のカリスマへと変貌する、ジョーカー誕生の物語。

登場人物

アーサー・フレック/ジョーカー(ホアキン・フェニックス)
感情が高ぶると突然、笑いだす精神的な疾患を抱えながらもコメディアンを目指す道化師。
マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)
人気トーク番組“マレー・フランクリン・ショー”の名司会者でアーサーが憧れている。
ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)
アーサーが好意を抱いている、同じアパートの階に住むシングルマザーの黒人の女性。
ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)
アーサーの母親、認知症で精神を病んでおり、若き頃、ウェイン家に仕えていた。
トーマス・ウェイン(ブレッド・カレン)
富豪で名士、政界に進出し市長候補としてゴッサムシティを浄化しようとしている。
ギャリティ刑事(ビル・キャンプ)/バーク刑事(シェー・ウィガム)
ゴッサム市警の刑事。地下鉄での証券マン殺人事件でアーサーを疑い捜査をする。
ランドル(グレン・フレシュラー)
アーサーの同僚の道化師で、襲われたアーサーのために護身用にピストルを渡す。
ゲイリー(リー・ギル)
アーサーの同僚の道化師で、小人症で身長をからかわれるがアーサーに優しい。
アルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)
トーマス・ウェインの執事で、トーマスの息子のブルースをアーサーから守る。
ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)
トーマス・ウェインの息子、将来はバットマンとなってジョーカーと対決する。

あらすじ(ネタバレあり)

「この人生以上に、硬貨(高価)な死を望む」それが孤独なアーサーの願い。

10月15日、木曜日、10時30分、気温5.5度。ラジオニュースは次のように伝えます。

“清掃組合のストは18日目となり、普段は閑静なゴッサムシティは毎日1万トンのゴミの山が放置され、悪臭に満ちたスラム街のようです。市全域には、非常事態宣言が発動されました。”

ここは、派遣で働くピエロたちの事務所。アーサーは鏡に向かいピエロのメイクをしています、両方の指で左右の唇を吊り上げながら、右の目からは涙が頬をつたいます。

仕事は大道芸人、広告看板を掲げて道化をしながら街ゆく人々を客寄せします。

いきなり街の不良少年たちに広告看板を奪われ、取り戻そうと必死で追いかけるアーサーですが、逆に、待ち伏せされて暴行を受け、金を奪れて無残に打ちのめされてしまいます。

狂っているのは自分なのか?それとも世間なのか?心を痛めるアーサー。

今日は定期的に訪れる市の福祉相談の日です。出来事を報告しカウンセリングを受け精神安定剤の処方箋をもらいます。日記帳には、ネタも綴りますが脳の障害で文字は正しく書くことが出来ません。そこには“この人生以上に硬貨(高価)な死を望む”と誤字で記されたページがありました。

アーサーは、こんな悲劇的で無価値な人生を送るよりも、死ぬことに価値を見つけたいと考えています。アーサーは、深い孤独のなかで生きています。

帰りのバスでは、道化の顔の表情で子供をあやしていると母親から強い口調でかまわないようにたしなめられ毛嫌いされます。アーサーは、大声で苦しそうに笑い始めます。薄気味悪く思う母親に、アーサーはカードを見せます。

そこには“笑うのは許して、病気です”と書かれています。アーサーは、極度の精神的な緊張や恐怖によって、発作的に笑いだしてしまう生まれつきの脳神経の損傷障害を持っています。そんなアーサーを周囲は狂人のように見ています。

「どんな時でも笑顔で」母の言葉を胸に、コメディアンを夢見るアーサー。

アーサーは、いつもの長い石段を上りアパートの部屋に辿り着きます。

彼は、年老いた母親ペニーの面倒を見ながら二人で生活をしています。アーサーのことを“ハッピー”と呼ぶペニーには、少し認知症の症状があるようです。彼女は30年前にゴッサムシティの名士、トーマス・ウエイン家で働いており、生活の窮状から救済を求める手紙をトーマス宛に書き続けていました。

テレビでは “マレー・フランクリン・ショー!” が始まりました。アーサーは、マレーに憧れています。彼の夢は、一流のコメディアンになって人々を笑わせることでした。

アーサーは、テレビを見ながら妄想します。それは、ショーの観客席にいる自分をマレーが見つけて話しかけます。母の口癖の“あなたの幸せな笑顔が、人々を楽しませる”という言葉を大切にするアーサーは、マレーにコメディアンとしての才能を見出され、脚光を浴びるのでした。

翌日、職場であるピエロの派遣事務所でアーサーは、同僚のランドルから先日の暴漢事件を心配されて、護身用にと拳銃を受取ります。ある日、慰問の仕事で訪れた小児病棟のピエロのショーの際に、アーサーは子供たちや看護士の目の前で、その拳銃を床に落としてしまいます。上司はカンカンになって怒り、拳銃を渡したランドルの嘘話だけを信じ、また以前からアーサーの性癖を気持ち悪く思っていたせいで、仕事をクビにしてしまいます。

仕事を失い今後の生活と自らの境遇に、アーサーはひどく落ち込んでしまいます。

絶望した気持ちで乗った帰りの地下鉄で、3人の若い会社員の酔客が女性の乗客をからかいます、嫌がる女性に執拗にからむ男たち、救いを求める女性の眼。アーサーは嫌悪と怯懦きょうだ鬱積うっせきした気持ちのなかで抑えきれず持病の笑いが起こります。

5人だけの車輛に、アーサーの笑い声が響き異様な空気になっていきます。

3人の男たちは鉾先をピエロ姿のアーサーに向け、汚い言葉を浴びせ、殴る蹴るの暴行をはたらきます。反射的にアーサーは拳銃を弾き2人の男を射殺、ホームに逃げる男も追いかけとどめを射して殺します。

逃げ帰った部屋で、アーサーの身体はゆっくり踊りだし変態します。

アーサーは、なぜか不思議な高揚感を感じます。そして妄想の中で、好意を抱いていた同じアパートの黒人のシングルマザーのソフィーの部屋を訪れ、強引に接吻します。何かが変わり始めました。

あくる日、アーサーは荷物を片付けに事務所を訪れます。地下鉄での3人の証券マン殺人事件が、ピエロの仮面を被った男の仕業であることがニュースで流れています。アーサーのクビに同情するゲイリーと、かばうことなく保身にはしったランドルを横目に、アーサーは捨てぜりふを残し職場を去ります。

殺害された3人はウェイン社の社員でした。社長のトーマス・ウェインはテレビのインタビューを受け、3人は家族同然だったと偽善者の発言をします。そして事件を貧困層の富裕層への反発の高まりとし、貧困層が殺人者を支持していることに対して憂い、だから自分は市長へ立候補すると正義をかざします。

ピエロの仮面を被った加害者に、仮面なしでは人を殺せない卑怯者で落伍者であると言い放ちます。

やがて市の予算削減で、福祉サービスは閉鎖されます。アーサーはカウンセリングを受けることも薬を受けることもできなくなりました。カウンセラーは、あなたのことは市にとってはどうでもいいことなのだと同情してみせます。

それでもアーサーは、何故かあの殺人のことを思い浮かべて、自分がこの世に存在する理由を分かり始めたこと、そして世間も気づき始めたことをカウンセラーに告白します。

その夜、アーサーはナイトクラブのコミックショーに登場しコメディを披露します。極度の緊張で、言葉を失い笑いの発作が止まりません。不気味な印象を残しながら痛々しくも何とかショーを終えます。ソフィーも観客席でアーサーのコメディを聞き、それでもアーサーはスポットライトを浴びて甘美な気持ちに浸ります。

ソフィーと街にでるとダブロイド誌が目に留まり、逃亡中の殺人ピエロを私刑人と書かれているのを見て夢中に誇らしくなります。ソフィーもピエロは街のヒーローだと頷き、アーサーは無邪気に微笑みます。

アーサーは、自分がこの世の中に存在する価値を発見していきます。

街を走るタクシーの車窓からは、ピエロの仮面を被った孤独な人間がまたひとりこちらを向いています、アーサーは自分と同じ仲間がいることを喜んで微笑み返します。

部屋に戻ったアーサーは、母親ペニーの綴ったウェイン宛の手紙を盗み見して愕然とします。手紙には、ペニーはウェインの愛人であり、アーサーは二人の間にできた子どもで、生活苦から救済を求める内容が綴ってありました。ペニーを問い詰めるアーサーは、彼女からそれが事実であることを聞きます。

アーサーは事実を確かめにウェイン邸を訪れます。偶然、柵越しに息子のブルースと会い、自身の弟にあたることに不思議な感情を抱き、マジックを披露しているところに執事のアレックスが現れます。

来意を伝えるアーサーですが、執事のアレックスにペニーは妄想狂でイカれた女だと告げられ追い返されます。アーサーは、自分はウェインの息子だと主張し、執事の首を掴み締めあげ殺意を見せますが、そのまま逃げ去っていきます。

アパートに帰ると、入口で救急車のサイレンが唸っています。母親ペニーが、病院に運ばれようとしていました。ゴッサム市警のギャリティとバークの二人の刑事が病院を訪れ、アーサーにピエロ殺人について質問をします。ペニーは、アーサーの留守中に二人の刑事にピエロ地下鉄殺しの質問にあい過呼吸になって倒れたとのことでした。二人の刑事は、アーサーの職場の上司から、笑いだす癖や拳銃所持などの情報を聞きつけ疑っています。

ペニーの看病をするアーサー、そしてアーサーを優しくいたわるソフィー。病室のテレビの“マレー・フランクリン・ショー”では、マレーがアーサーのクラブでのコミックショーの反響を受けショーに招くという趣旨のコメントを聞き驚きます。最初は喜んでいましたが、実は、彼のすべっているコメディを晒しものにするためだと知って、アーサーは、次第にマレーへの憎しみが湧いてきます。

「金持ちを殺せは、新たな社会ブームなのか?」とテレビはヘッドラインで告げ、人々は怒りと不満に満ち、ピエロの扮装をして通りを埋め尽くし、上級階級へ抗議デモを行っています。

市民をピエロ呼ばわりしたウェインも抗議の対象となり明日の慈善イベントも狙われています。ウェインの弁明は「彼らを貧困から救いたい、私こそが彼らの唯一の希望なのだ、だから市長選に出馬をした」と耳触りの良い偽善を唱えます。

“我々はピエロだ” “金持ちを殺せ” “死ね、ウェイン” “ウェインを倒せ” “ピエロを市長に” 人々は狂気と化し抗議デモは止みません。

塞いでいたアーサーは、群衆の中に繰り出します。アーサーが訪れたのは、チャップリンのモダンタイムズを上映する劇場。鑑賞する裕福な人々の笑いが渦巻くなかにウェイン夫妻を見つけます。ウェインを化粧室に追いかけ、自身が息子であることを認めてもらいたく、ただ自分は父親の温もりやハグが欲しいだけなのだと訴えます。

ペニーを気違いだというウェインに、アーサーはあの病んだ笑いがこみ上げてきて止まりません。そしてアーサーは気持ちの悪い男として、ウェインに殴打されてしまいます。

絶望のなか部屋に戻ると、ギャリティ刑事からの留守録は執拗にアーサーに迫ってきます。そのとき、“マレー・フランクリン・ショー”から電話が入り、用件はアーサーのライブ映像の反響が多くあり、出演依頼のオファーでした。アーサーは、このオファーを承諾します。

アーサーは全ての真実を知り、絶望を越えて悪の高揚感に満ちていきます。

アーサーは、特別に精神を病んだ患者のみを収容するアーカム州立病院を訪れ、ペニーの30年前の記録を確認します。そこには驚くべき事実が記されていました。ペニーは妄想性精神病のひとつである自己愛性パーソナリティ障害で、かつアーサーは養子として迎えたと記されていました。ウェインがアーサーに話したことは真実だったのです。

さらにアーサーをペニーの当時の恋人が、暴力を振るい虐待するところを傍観した罪で収容されたこと。さらに傍観した理由は“アレックスがいつも笑っていたので”と抗弁しています。

アーサーが過度なストレスを感じて笑ってしまうのは虐待が原因であったことが分かります。信じていた全てのものを失った絶望のなかで、アーサーは苦痛の底からただただ笑いが止まりません。

アーサーは、アパートのエレベーターでソフィーが蟀谷こめかみに銃をあてる幻を見ます。そしてソフィーの部屋に侵入しカウチでうずくまりますが、帰ってきたソフィーから異様な態度を不審がられ諭されながら部屋を出ていきます。

アーサーは気づきます。尾行をした夜にソフィーが部屋にやってきたこと、コメディショーを観に来てくれて一緒に街をデートしたこと、ペニーの看病でソフィーが自身を労わってくれたこと。そのすべては、アーサーの妄想だったのです。

アーサーは、病院を訪れます。何がハッピーだ!自分の笑いは病気であり、自分の人生は悲劇ではなく喜劇であることを知ります。アーサーは、ペニーの顔に枕をあてて窒息死させます。

マレーの番組出演のオファーを承諾したアーサーは何度もイメージトレーニングを行います。そしてその目的は、番組のなかで自殺をする事でした。

That’s Life これが人生。道化としてのピエロから、ジョーカーへと変身します。

その時、ランドルとゲイリーがアーサーの母親が亡くなったことを心配し弔問にやってきます。寧ろ、気分がいいというアーサーは、自分を見捨てたくせに警察への口裏合わせに来たランドルに、隠し持ったハサミで首を刺し頭を壁に打ちつけて殺してしまいます。逆にゲイリーは唯一、優しかった男として見逃してやります。

ダンスを踊り、髪を緑に染めて、顔を白く塗りピエロのメイクを完成させ扮装をします。

アーサーは、ジョーカーに変態し、新しい命をえて街に繰り出します。

あのいつも重い足取りで上った長い階段を、今は自信に溢れ、高揚感に満ちた踊りを舞いながら、意気揚々と下りていきます。新たな儀式が始まる予感です。

張り込んでいたギャリティ刑事とバーク刑事の二人に追われますが、道化師の仮面を着けたデモの参加者で溢れる車輛に紛れ込みます。組み合うなかバーグ刑事はピエロの仮面をした人間を誤って撃ってしまいます。乗客たちの攻撃の対象はいっせいに刑事に向かいます。ホームにあふれた暴徒を前にアレックスは小躍りし余裕の顔で立ち去ります。

やがて “マレー・フランクリン・ショー” の控えの楽屋でマレーと対面したアーサーは、番組の下打ち合わせを終えて自分を “ジョーカー”と紹介するように 頼み承諾を得ます。

喜劇か悲劇かは主観が決める、アーサーは悪の喜劇を生きる価値にする。

いよいよ出番となり、ジョーカーは登場します。マレーから、ネタを催促され、アーサーはネタ帳を見て話し始めますが、うまくいきません。“ノック、ノック”…この日のために練習した先は、自分に銃を向けて自殺することでした。

しかし、アーサーは考えを変えます。そしてネタとして、地下鉄で3人の証券マンを殺したことを告白します。そして自分の人生は喜劇だと気づいたことを話します。

ゴッサムの格差を非難し、自分のような社会不適合者は奴隷のように蔑まれる存在でしかなく、善悪や笑いの基準も力のある人間が決めている事。そして憧れていたマレーも、自分を笑いものにするためにここに呼んだことを非難し、喜劇か悲劇かどうか、善悪かどうかは主観であること。どいつもこいつも最低で狂いたくなる、他人の気持ちなど考えないやつばかりだとぶちまけます。

そして、心を病んだ孤独な男をあざむくとどうなるか、社会に見捨てられゴミみたいに扱われた男だ!

報いを受けろ、そういって額に銃を撃ち、マレーは即死します。

観客の逃げ惑う悲鳴の中、道化のダンスを踊ろうとすると番組は中断し、やがてアーサーは市警に捉えられてパトカーに乗せられ連行されます。街では人々の略奪と暴動はさらに激しくなっていきます。ゴッサムの街は、混沌のなか燃えさかります。

連行されるパトカーに、暴徒が操る大型トレーラーが衝突します。ピエロたちは負傷したジョーカーを警察から手から救出します。暴徒のひとりのピエロは、慈善イベントから難を逃れようとするウェイン親子の跡をつけトーマス・ウェインを射殺し、夫人も射殺します。ひとり茫然と佇むブルース。

助けられたボンネットの上でアーサーは気がつきます。

口もとに血でグラスゴースマイルを縁取って不滅のジョーカーが甦りました。

群衆は、悪のカリスマの誕生に喚起します。アーサーは、ジョーカーとして完成しました。

一転して、真っ白い精神病棟のカウンセリングルーム。(ここはアーサーの妄想かもしれないー最初のカウンセリングの11:11の白い壁、ペニーの若い頃のカウンセラーの背景の白い部屋と同じ、さらにアーカイム州立病院の黒人の男の事務員は、精神異常者の病院はここしかないといっているが、その病院の壁は薄い茶色で白ではない)

笑いが止まらないアーサーに、質問をするカウンセラー。“何が、おかしいのか?聞かせてほしい”と問われ、“ジョークを思いついたけれど、きみには理解できないさ”と答えます。れは孤児になったブルースが将来のバットマンとなってジョーカーと出会う姿を想像するJOKEを考えつくアーサーなのでしょうか。)

そしてシナトラの“That’s Life”を口ずさみます。

血のついた足跡を残し、廊下の突きあたりの窓際で踊ります。そこに病院の職員が追いかけてきます。

悪に解放されたアーサーは、楽しい喜劇に溢れ、もう何の救いも不要なのです。

解説/ここが見どころ!

ホアキン・フェニックスのジョーカー役が素晴らしい作品です。『ダークナイト』のヒース・ジャレットとの比較やコミックスとの関連、アカデミー賞の基準、スコセッシの『キング・オブ・コメディ』や『タクシー・ドライバー』のオマージュの部分など多くが既に語られています。さらに本作品の解釈は、現実と幻想の境や真実と虚偽の境についてもその解釈が分かれます。トッド監督はインタビューで、鑑賞者のさまざまな捉え方を期待しています。当ブログでは、やはり<映画のチカラ>を結びとして記述しておきたいと思います。

●「どんな時でも笑顔で生きる」悲劇の人生を生きていたアーサー。

母親ペニーは認知症気味で、自己愛性パーソナリティ障害を患っている。そしてアーサー自身は生まれつきの“脳および神経の障害で突然笑い出す”疾患を持っている。

If You’re happy and You know it,clap your hands.(幸せなら手を叩こう)と小児科病棟の慰問にアーサーはピエロの格好で訪れるが、脳神経を病み、護身用の拳銃を携帯しながら道化を演ずることは不可能である。そのアーサーが憧れた将来は、人を笑わせて幸せにするコメディアンである。

アーサーは、懸命に持病と向き合い「どんな時でも笑顔で生きる」ことを大切にした。自分の人生を悲劇だと思いながらも頑張ってきた。だから人々の悲しみを失くし、笑顔をつくるコメディアンになることで人を幸せにしたいと思った。

純粋で無垢でハンディを背負う人間、弱者で社会から迫害を受ける立場では、コメディアンはできない。「笑われる対象」の側と「笑いを届ける演者」の側がある以上、「笑われる対象」は、社会の一般通念とずれていることがネタとなり、「笑いを届ける演者」は傲慢な態度でその対象を嘲り蔑む、そして観衆の同意をとりつけて大衆の優越という留飲を下げさせる。

アーサーは、“自分こそが嘲られ蔑まれ排除される、笑われる対象”なのだと気がついた。周囲の優越の対象は自分であることを。「本当の悪は笑顔の中にある」ことを。そして自分は悲劇ではなく、笑われる残酷な喜劇の対象の側にいることを自覚する。

自身は捨て子であり、親からは虐待され、そのせいで緊張と不安で笑い続ける脳神経の疾患を受けた。

悲劇ではなく、喜劇であり、笑われる対象なのだ。「どんな時でも笑顔で生きる」ことは、社会の弱者やマイノリティには難しい。映画のなかのアーサーの全てからの裏切りと底辺の生活苦と脳神経疾患は社会の適応性として厳しい現実に曝されている。

そんな人間に、ほんとうに「どんな時でも笑顔で生きる」ことが、できるのであろうか。

●もうひとつの笑顔、悪の喜劇を笑うカリスマとしてのジョーカーの誕生。

アーサーの精神の苦痛の叫びである「発作としての笑い」が、不良少年たちのいたずらに端を発し、小児病棟で拳銃を落とす失敗が留めになり職を失い、僅かな接点だった社会との関係が切れる。銃を手にして、ついに制御できない憤懣ふんまんは、地下鉄の3人のサラリーマンを射殺してしまう。

しかしアーサーは、なぜかゆっくりと踊り出す。それは、芋虫がさなぎとなり、やがてほの蒼いやわらかなはねが少しづつ広がっていくような変態を思わせる。

かろうじて絆と信じていた母親ペニーへの思いは裏切りと憎しみに代わり、好意を抱いた同じアパートのソフィーも自身の現実と妄想の錯乱であったことに気づく。憧れていたマレーも所詮、金持ちの傲慢な側の人間で、自分のコメディを晒しものにしようとしている。

アーサーは、ついに悪として生きる喜びを見出して階段の上で幸せにダンスを踊り出す。

それは、悲劇から喜劇へ、悲劇と喜劇の逆転であり、悪が喜劇に完成される瞬間だった。

憧れのマレーのトーク番組に呼ばれ、すべったコメディを馬鹿にされても、既にアーサーは余裕のある「もうひとつの笑顔」を見せ、拳銃の弾丸を額に撃ち込む、パトカーに連行されても車窓からは混沌と化したゴッサムの街はあちこちに美しい炎をあげている。自分と同じピエロの仮面を被った多くの人たちに称えられ、ついに「グラスゴースマイル」に縁どられたジョーカーとして甦り復活する。

すでにアーサーは、絶対に後戻りすることない悪そのものに完成してしまった。

憂いをたたえた道化師としてのピエロではなく、卑しき社会を破壊していくジョーカーとして、アーサーは生きることを決めた。彼の悪こそが善であり、誠実や道徳や倫理などを一瞬で溶かしてしまうカオスのマグマが沸々とエネルギーを集めゴッサムの街を変貌させる。

アーサーは、病院に収監されるが、通り一辺倒のカウンセリングを無視し「もうひとつの笑い」を見せ、理由を訊ねる女性を殺し脱走をはかる。

“狂っているのは僕か?それとも世間か?” その先には、悲劇も喜劇も主観。善悪も主観となる。そして悪は制御できなく解放され、アーサーは「That’s Life」を口ずさむ。

そうして、もう戻ることはない悪の世界が蔓延する。

●精神的な恐怖を叩きつけられることで、私たちは考えるべきである。

アカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスのスピーチを引用すると、

“映画人として「自分たちの声を、声なき者たちへと使う機会だと思っている」とし、僕らの社会は様々な問題を感じ、感じざるを得ない状況にあるとして、人種や性などのマイノリティへの社会の不正義とそれに対して戦うことだという。”

“あるひとつの国家、国民、社会的性別が選ばれたものとして支配し、コントロールし、利用し、搾取することに罪の意識を感じない。自分たちが中心と思う自己中心的な世界観を持つという罪を犯しているという。”

“そして彼自身のキャリアも顧みて、僕は愛と思いやりを僕らの原則として、すべての感情あるものと環境にとって利益があるように変えていくことができると思っている。”

とメッセージした。

トッド・フィリップス監督は、本作がアメリカの社会格差を風刺する作品として話題を集めたことを認めつつ、同時にアーサー・フレックスという個人が、いかにしてジョーカーという悪役へ変遷するかを描く人物研究の作品とコメントするが、これこそまさに行き過ぎた貪欲資本主義への警鐘である。

それは拝金グローバル主義であり、アメリカは1%の富が政治や社会を動かし大資本家とそれ以外の格差が著しい。程度の差は重要であり、健全な民主主義を維持するには、良質な中間層の存在が必要である。それは日本においても、良質な民を無視した政治の愚策が20年のデフレ下における人々の生活の圧迫を招いている点で同様である。

ホアキン・フェニックスのメッセージに、映画を通して社会の関心と絆を強める大切さを私たちは感じるべきである。

真面目に生きてさえいれば、お天道様はきっと見ていてくださる。これは映画に例えれば「どんな時でも笑顔で生きる」という感謝しながらの人生の送り方の言葉に近い。しかし、そのことを懸命に信じて守ろうとしている人々へ、偽善者が外面のポリティカルコレクトネスと内面のフェイクと欺瞞と強欲が蔓延すれば民主主義は崩壊する。その時に道徳は失われる。

道を歩いても電車の中でも過敏に他者に対して神経を尖らせる社会がそこまで来ている。いつの時代でも精神の暗黒は存在する、それが社会全体に伝搬し蔓延し悪の総和となって行動に実践されないことだ。「悪」の支持者が大衆そのものにならないよう、大衆が悪にならないよう、社会を我々は守られなければならない、そのためには声なき声を聞く必要がある。

※オマージュされた2つの映画はこちら>

映画『タクシードライバー』あらすじと解説/ここが見どころ!

映画『キングオブコメディ』あらすじと解説/ここが見どころ!

トッド・フィリップス監督、トッド・フィリップス/スコット・シリヴァー脚本
映画『ジョーカー』2019年公開のアメリカ映画
2020年 第92回アカデミー賞 作品賞ほか11部門ノミネート、
主演男優賞(ホアキン・フィリップス)、作曲賞(ヒドゥル・グドナドッティル)を受賞
第79回ベネチア国際映画祭でDCコミックスの映画作品で史上初の金獅子賞受賞
英国アカデミー賞11部門ノミネート、主演男優賞、作曲賞、キャスティング賞受賞
ゴールデングローブ賞4部門ノミネート、主演男優賞、作曲賞受賞

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