『ガープの世界』解説|この世界を生きていくのは、素敵な冒険なんだ。

裸の赤児が中空に浮き、沈み、また浮き上がる。看護婦のジェニーは、愛のない、肉欲のない、不思議な方法で生命を宿し産む。母なる胎内からこの世界に現われたT・S・ガープ。ガープの観る世界には、暴力や暗殺や強姦などに対する政治的、社会的運動、そして苦しく複雑な人生を背負った社会的犠牲者や弱者がいる。さらに、愛、不義、確執、狂気、敵対、そして次々に死が訪れる。あなたも『ガープの世界』のように “あなただけの世界” を生きているのです。

解説

自由に生きるとは、自己責任を背負い人生の悲喜劇を生き抜けること。

Liberalは、日本語では自由と訳される。イズムがつけば思想として自由主義となる。政治的には、フランス革命後の共和派による国民公会で議長席から見て左側に着席した人々(自由主義=左派)から始まったというのが通説であり、個を尊重する考え方。

これに対して右側に着席した人々(保守主義=右派)は、社会や家族などの共同体の伝統や秩序を重んじ、急激な変化を求めない考え方。

Liberal(フランス語ではLiberté)は、共同体より個人。個人の自由を制限する伝統や慣習は取っ払ってしまえという考え方。革新的であり、進歩的だ。自由は尊く守られるべきだが、勝手し放題の放縦ほうしょう状態となれば、収拾はつかなくなる。

この映画『ガープの世界』には<自由を愛する>人々の様々な出来事が連続する。非婚出産、性的マイノリティ、フェミニズム運動・・・。自由の精神は何にも代えがたく、何者にも侵されない。真の自分を発見し、自己に忠実に生きていく。

思いがけずこの世界に生を受け、自由に生きて、死を迎える。ジョン・アーヴィングは この世界では “人間は誰もが、死に至る患者である”という。

映画を観賞し終わった時に、“そうだよね、人生っていろいろなことがあるけど、いいもんだよね”という<自由に生きて死ぬ>という満足感が漂っている。この不思議な安堵感は、原作も同じである。

抽象的な言葉である<人生>は、若い人であれば、まだ見ぬ未来を想像することであるし、老いた人であれば、実体化できる記憶や記録の過去の集合となる。

強弱の差こそあれ、ガープのように自己責任で人生の悲喜劇を生き抜けること。そう、『ガープの世界』は<あなたの世界>なのです。

男の肉欲を嫌悪する看護婦ジェニーの私生児として生まれたガープ。

男に縛られた結婚はしたくない、でも子供は欲しい。ジェニー自身が非婚出産を希望するマイノリティ。そしてその考えを実行に移す。潔癖症のジェニーは、脳を損傷し全身に包帯を巻き死期が近い兵士ー何故か常に勃起しながら赤児への退行現象を起こしているー砲台の砲手の最後の一発の玉(=すなわち精子)を馬乗りになり “一方的に” 貰い受ける。その後、男は死んでしまう。

ジェニーは私生児を産んだことを両親に告げると、保守的な父親は激怒し、母親は卒倒してしまう。念願のシングルマザーとなり、産まれた子には技術軍曹(Technical Sergeant=三等軍曹)だった兵士にちなんで「T・S・ガープ」と名づける。

これがガープに与えられた世界だった。そう、生命いのちの誕生>はいつも受動的。

ジェニーの愛を受けて、空想好きなガープ少年は15歳になり名門男子校に入り、肉塊がぶつかり合うレスリング部に入り、夢中になる。やがて好意を持っていたコーチの娘ヘレンが読書好きなのを知り、小説家志望に転向し執筆に励み、恋に悩む。

ジェニーは半生を描いた自伝 “性の容疑者” がベストセラーになり、長編のノンフィクション作家として有名になり女性運動の指導者として祭り上げられる。

印税で得た莫大なお金で社会復帰施設を兼ねた彼女のドッグス・ヘッド・ハーバーの屋敷には、フェミニスト、性転換する前に子供を作っておくべきだったと歎く巨漢の元フットボール選手、強姦され舌を切られた少女の事件に抗議して自らの舌を切り取るエレン・ジェイムズ党員など多様なマイノリティが集まってくる。

“性の容疑者”の子としてガープもまた持ち前の想像力でアイデアを凝らしフィクション作家を目指す。ヘレンとも結婚し二人の可愛い男子ダンカンとウォルトを授かり、ヘレンは大学で教鞭をとり、作家のガープは家政夫を楽しみ、子煩悩な父親、良き夫婦として、幸せな家庭を築いていく。

人生に訪れる数奇な出来事、死に至るまでの冒険の時間が過ぎていく。

幸福だったガープとヘレンの人生にも、転機が訪れ予期せぬ悲劇が起こる。

30歳になったガープは、18歳のベビーシッターと浮気するが、すぐに反省し元の生活に戻る。一方、大学で助教授として教鞭をとる妻のヘレンも教え子のマイケルと関係を持ってしまう。それをマイケルの女友達がガープに密告する。

絶望の中、ガープは二人の子供を連れて家を出る。ヘレンは教え子と別れようとするが、浮気関係は深みに嵌っており、別れきれない学生は家に押しかけて車の中でオーラルセックスを要求する。

家に戻ってきたガープの車が、ヘレンと浮気学生の最中の車に誤って追突してしまう。ウォルトは死に、ダンカンは左眼をえぐられ失明、ガープは顎を折り、舌を噛み切ってしまう。

ヘレンも鼻がつぶれ、首を痛める。そして浮気学生のペニスを噛み切ってしまったのだ。幸福な家庭は崩壊してしまう、ヘレンとガープは険悪な状態になる。

家族は、海の香り漂うジェニーの屋敷で療養することになる。「ヘレンを許す」ことをガープに諭すジェニー。二人は何とか元の鞘に納まり、ガープとヘレンはお互いを許し、和解し愛を取り戻す。そして新たに女児をヘレンは身籠り、再び幸せは戻ってくる。

一方、ジェニーはニューハンプシャー州知事候補の応援演説中に、反フェミニストの男性に銃で撃たれ絶命する。母親を亡くしたガープは、悲しみを乗り越え、執筆の傍ら、母校でレスリングコーチとして指導するが、そこに狂信的なエレン・ジェイムズ党員となっていた幼馴染の女性プーの銃弾に倒れる。

原作では、この被害者のエレン・ジェイムズと彼女を偶像化して社会運動する党員たち、そこに嫌悪感を抱くガ―プとの確執が背景として詳しく描かれる。

驚愕するヘレンと共に救急ヘリに担ぎこまれ病院に搬送される。幼少の頃から夢で空を飛びたいと願っていたガープは、中空でヘレンに見守られながら「I‘m frying」と呟き、悲劇と喜劇に満ちた人生の終わりを迎える。

ガープの世界とは・・・あなたの人生は、あなたの決断がもたらすこと。

原題は、The World According to Garp。「ガープの意見ではこの世界では」となる。英語に詳しくないが “according to” には、第3者的なニュアンスを持ち、逆の言い方をすれば代替できない個人の意見ということになる。

そこには交換不能な固有のDNAや運命としての人生が、時間軸としての伝統や慣習と断絶し、社会の価値や大義に踊らされることなく、自由意志によって拓かれていく。固有の人生は如何なる他者―配偶者や恋人、家族や血族―であっても、代替できず理解することはできないのだ。

『ガープの世界』と同じように、あなたの人生の前に繰り広げられていく世界は、あなたの決断によってもたらされる。

ジョン・アーヴィングが記す通り “人生は二流のメロドラマ”であるが、ここにLibertéへの最大の敬意が込められているのだろう。

人生とは自らが選択したことを、“知性と洗練度”を込めた物語として生きることなのだ。

映画のなかで、ガープがヘレンに「君を小さいときから知っていれば良かった。胸が膨らんで娘らしくなっていく姿が見たかったな」と言うと、ヘレンがガープに「これからは胸がしぼみ、白髪になっていくのが見れるじゃない」と返す。

素敵な会話だが、同時に誰も相手の全てを知ることができないことを意味する。自分のことは自分しか知らない、その自分とは、常に人生の中での選択の結果の自分である。

裸の赤児が、再び、宙に浮かびナット・キング・コールの “There Will Never Be Another You” では、<あなたと会えたことの幸せ>を歌う。そして映画は閉じられる。

オープニングとエンディングには、ユーモラスな歌詞と、コミカルな中にも哀愁を帯びた曲調のビートルズ “When I’m Sixty-four” の楽曲が使われる。

あなたというただ一人の人間の生と死の現実は、いかに数奇で波乱万丈であっても、悲劇をも喜劇として感慨深く終わっていく。それこそが個人の尊重であり、物語つまりは歴史である。

さながら処女懐胎のような形で、この世界に現われたガープは、人生のたくさんの悪や不幸や禍を体験しながら、同じくらいの愛と幸せも体験する。そして33歳(キリストの死の年齢と同じ)の時に、満足した顔で天に召されていく。

映画『ガープの世界』は、淡々とした人間賛歌の物語で、生きる元気を授けてくれる。