映画『復讐するは我にあり』あらすじと解説/ここが見どころ!

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解説>実話にもとづく原作を映画化した作品。戦後最悪の事件が題材です。非情な殺人鬼にして詐欺師、そして常に愛人を伴う。悪魔のような残忍な犯罪に駆り立てた背景や心理を考えてみる。緒方拳の鬼気迫る演技と三国廉太郎/倍賞美津子/小川真由美の名演技がひかる。

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登場人物

榎津巌(緒形拳)
詐欺師にして殺人犯。78日間に5人の人間を殺害した稀代の犯罪者。
榎津鎮雄(三国連太郎)
巌の父親、長崎の五島の漁師村の長であり敬虔なカトリックのクリスチャン。
榎津かよ(ミヤコ蝶々)
巌の母親、巌を可愛がると同時に、鎮雄と加津子の仲を怪しく思っている。
榎津加津子(倍賞美津子)
巌の妻、巌が嫌で一旦は逃げだすが、鎮雄にこわれて実家に戻る。
浅野ハル(小川真由美)
巌の逃亡先の旅館の女将、生計を立てるため妾暮らしをしている。
浅野ひさ乃(清川虹子)
ハルの母親、殺人で収監された過去がある厄介者。

あらすじ(ネタバレあり)

高度経済成長期、1963年(昭和38年)に実際に起こった殺人事件。この事件をもとに原作が書かれ、製作されたフィクション映画です。

実際に起こった事件の名は「西口彰事件」。犯人は、キリスト教カトリックの信者ですが、詐欺師にして殺人犯。78日の間に女性や老人を含む5人の人間を殺します。

延べ12万人に及ぶ警察が手配するも11歳の少女が発見。通報により逮捕。44歳で死刑。当時の担当刑事も「これは、人間じゃない」と漏らします。 この実際にあった稀代の犯罪者の人間像に迫る映画です。

映画の宣伝文句は「惜しくない、俺の一生こげなもん」

殺人犯の榎津巌(えのきづ いわお)が逮捕され護送されるシーンから始まります。全く悪びれる様子も無く、その異常性がのぞきます。取り調べでも、ふてぶてしく落ち着いています。

この逮捕までの逃亡生活を追う形で映画は進みます。

福岡で、金の強奪のために2人の男を同日に殺害。事件の6日後には、瀬戸内海の連絡船から自殺を偽装した遺書がみつかります。

その後、岡山にあらわれ、広島で詐欺をはたらきます。 そして、静岡、浜松駅に降り立ちます。宿泊先の「あさの旅館」では、大学教授を名乗り、巧妙な手口で女将ハルを手玉にとり親密な関係になります。

その後、福島にあらわれ、そして、北海道で詐欺をはたらきます。さらに千葉では、弁護士を装い金を騙し取り、その後、裁判所で会った東京豊島区の一人暮らしの老弁護士を殺害。

残忍な殺人の手口、偽装自殺の巧妙さ、大学教授や弁護士など善人へのなりすましなど神出鬼没です。

ハルは、大学教授と信じこんでいる巌からの電話を受けて上京。池袋で逢引きの映画館で、巌が指名手配中の殺人犯であることを知ります。それでもなお、ハルは、巌と一緒に逃げようと考えます、そしてふたたび「あさの旅館」へ巌を匿います。

ハルを失えば、暮らしが立ち行かない老いた母ひさ乃は巌を追っ払おうとします。

巌に愛人が多いのも、巧妙な手口で、心の中に自然に入ってくる、詐欺師の口のうまさからのようです。以上が大まかな逃亡の流れです。

神に誓った以上、生ある限り、巌と離縁できないと鎮雄は言う。

36歳で殺人鬼と化した巌のそれまでの人生を振りかえります。

榎津の一家は、別府で旅館業を営んでいました。

巌は、昔から手のつけられない状態で、戦時中はづっと少年刑務所でした。大人になっても不良駐留軍と群れ、連中をも手玉に取ってジープを売った罪で収監されます。その頃に出会ったのが、加津子でした。

仮出所後に、父の鎮雄(しずお)は結婚させることで巌を更生させようと見合いをさせますが、結局、巌は加津子と結婚します。加津子は、仏教から洗礼を受けてカトリックに改宗します。

その後、巌の暴力的で異常な性格から拘留中に、加寿子は四国へ逃げ出します。しかし、鎮雄の懇願で加津子は別府に戻り復縁します。

加津子は敬虔なクリスチャンである鎮雄を尊敬しています。

復縁は、巌のためでも、母親のためでもなく、鎮雄のためと加津子は話します。

榎津の家族の実相は、厳格なクリスチャンであるにもかかわらず、巌だけでなくそれぞれの関係も異形です。鎮雄は、女房のかよが居ながら加津子と怪しい関係です。かよも、そのことに気づいています。

また巌の収監中に、加津子は鎮雄の仲介で駅の助役と不義をはたらきます。

これは、神のへの冒涜であるはずなのに、鎮雄は、加津子が不憫との思いからであり、不貞の真偽を問いただす巌に、鎮雄は、逆に巌の罪を非難し強くなじります。

狂気をむき出しにしながら巌は、鎮雄を偽善だと罵り、忽然と家から姿を消します。

嫌悪や絶望の中で、巌の抱く不条理は、狂気にかわる。

浜松に逃亡中の巌と、「あさの旅館」の女将ハルの母親ひさ乃との会話のシーンも印象的です。

ひさ乃は、殺人の前科があり15年の刑期を務めて社会に出てきました。ハルは、ひさ乃のせいで世間のさげすみにあいながら肩身の狭い思いで、本意でない男の妾になることで生計をたてています。

巌の巧妙な詐欺の手口に取り込まれてしまったハル。しかし、ハルは、殺人の前科者を母に持った転落した人生に比べれば、巌とともにいることも対して変わらない様子です。

寧ろ、巌が指名手配中の殺人犯とわかっても、ハルは巌と一緒に逃げたいと思っています。

ハルにとって巌との逃避行は、自身の今の暮らしからの逃避行でもありました。巌が殺人犯であることを知りながらも危険と背中合わせの生活を選ぶハル。

そして巌は、口封じのためハルとひさ乃を絞殺して貴金属などの持ち物を金に換えます。

そして、ラストシーンで、収監された巌を鎮雄が面会します。

巌は教会を破門され、鎮雄も自らすすんで教会を脱会をします。巌は自身の罪による死刑を受け入れ、そして執行され、骨となります。

その骨は、家族と共に眠ることを許されない骨であり、巌もそれを望みませんでした。呪われた息子、巌の骨を悪魔祓いのように鎮雄と加津子が、山頂から空に向かって散骨しますが、なぜか一瞬、空で骨が止まってしまいます。

邪悪な精神の抗いのような遺骨のストップモーションは啓示的でさえあります。

解説/ここが見どころ!

暴力や犯罪行為は、いかなる理由があれ肯定されるものではありません。心理学や精神分析の権威でもない普通の人は、犯罪者の気持ちなど分析できません。

異端や迫害が、ここまでの狂気を生み出したのか。

巌の犯罪の遠因は、出生の地、長崎・五島の幼少の記憶に端を発します。キリシタンであり、また漁師たちの網元である鎮雄と漁民たちの集落。そこで、戦時下で軍用として船を政府へ供出しなければならないくだりがあります。

この映画では、キリスト教(ここではカトリック)が伏線にあります。

そして時代背景の対立軸として神道(大日本帝国)があります。

それは遠い昔のキリシタンの迫害の歴史を彷彿とさせます。なぜ、カトリック信者ばかりが苦しめられるのかと鎮雄が役人に訴えます。

鎮雄が漁師たちの長として役人に抵抗しますが、屈服するシーンがあり、異教や異文化を排除する当時の戦時下の国策が、不条理な権力へ抗うことの虚しさを見せつけます。

未だ幼少の巌のこころに、神は救ってくれないこと、神などは存在しないこと。そして、権力への理由なき反抗が芽生えたとしても不思議ではありません。

ちょっとしたきっかけで、失いかねない善悪の基準。

好き勝手に生きて何が悪いという、人間に潜む虚無やニヒリズムが基底にあります。

だからと言って、普通一般の人は、非人道的な犯罪には向かいません。しかし、時代や境遇や親子関係や性格やいろいろな変数が加わればどうなるでしょうか。

後天的に、異形となり想像を絶する悪魔のような人間ができあがるのかもしれません。

事実、まさかという信じられない事件が、人間史には存在しています。普通は起こらないが、絶対に起こらない理由もまた無いのです。

巌が口封じのために、いつ ひさ乃を殺害するだろうかと息を飲むシーンの中、自身も殺人を犯した過去のある、ひさ乃が巌に問いただします。

“わしは、あのばばあをほんとうに殺したかったので殺した、やった時は、胸がすうっとしただ。”

“あんたほんとに殺したい奴を殺してないんかね、意気地なしだねあんた”

と話すシーンがあります。そして、物語のラストに刑務所に鎮雄が面会に訪れます。

鎮雄は、巌を破門したことを伝えます、そして自分にも悪魔の血が流れていることを巌へ伝えます。その上で、鎮雄自身も加津子を思う業から、神父に頼み自身も破門にしたと伝えます。

巌は、“神はいらない。自分は罪のない人を殺したので殺される、それだけだ”と言います。

巌は、鎮雄に向かって“どうせ殺すならあんたを殺せばと良かったと思っている”と話します。

鎮雄は、“お前は親殺しの出来る男ではない、恨みの無い人しか殺せない種類だ”と返します。

巌の中に、父殺しはできないという宗教心があったのでしょうか。

「復讐するは我にあり」宗教はどこまで人間を救えるのか。

新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いい給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり」という。

悪人に報復を与えるのは神であり、人間ではないことを意味します。

しかし、この映画は、その復讐を人間がおこなっています。

宗教の教えを信じるが、それを全うできない人間の業は、逆に、この映画では、宗教の無力を憂い、さらに残酷なものに変態していきます。

これほどに、人間は異常になれるのかと思うような緒形拳の演技がひかります。

映画『復讐するは我にあり』宗教と人間の葛藤を描いた傑作です。