映画『ティファニーで朝食を』|ブランドって何だ?おもちゃのリング考。

ニューヨーク五番街、ティファニー。早朝、クロワッサンとコーヒーを手に佇む黒いドレスの女性。あまりに有名な映画のオープニングシーン。自由奔放に生きるホリー。美しいオードリー・ペプバーンの全てを余すところなく魅せる、映画史上の不朽の名作

解説

このお洒落な映画を通して、ブランドとは何かを再考してみる。

半世紀も昔の作品である、ハリウッド黄金期の終盤の娯楽大作映画である。

トルーマン・カポーティの原作は、ドロドロとした世界だ。映画の方は、売れない作家と自由奔放な女性の恋の物語に仕上がった。製作者と原作者の意見の相違や、主演女優を誰にするか、そして主役にヘプバーンが決定され脚本もきわどさがやわらぎ、彼女の魅力が生かされるものに書き直された。

それでもホリーという女性を冷静に観察すれば、彼女は金持ち男を漁る成り上がり志向の女、僅かばかりのお金でパウダールームに入る気軽な女、ギャングのサリー・トマトの伝言役という危ない女だ。

それが、脚本と監督とヘプバーンの演技で、ロマンチックでフェアリー・テールな永遠不滅のお洒落映画の決定版として、時代を越えて愛され続けている。

そんなお話に、難解な主題などはないのだが、あえてブランドの話を考えてみた。

ブランドとは何か、印象的なティファニーの店員との会話があるが、ざっとあらすじを追っていくと、

トップカットでは、ティファニーはホリーの憧れの対象として映しだされる。世界中の誰もが知るラグジュアリーブランドだ。豪奢に生きることだけが彼女の望みだ。

ニューヨーク五番街を走るイエローキャブ。店の前に降り立ち、クロワッサンとコーヒーを手にショーウィンドウを眺める黒いドレスの女性。有名なシーンだ。

彼女の名前は、ホリー・ゴブライトリー。

昨夜のパ―ティのお相手を放ってアパートに朝帰り。階上では、日系芸術家のユニオシが睡眠を邪魔され文句を言う。この時代の日本人のステレオタイプも面白い。

ホリーは、華やかな世界に憧れ、自由気ままに生きる女性。部屋はいつでも旅立てるように荷物がなく、飼っている猫の名前すらない。そこに作家のポールが引っ越してくる。

ホリーは、毎週木曜に刑務所シンシンのマフィアの大ボスの “サリー・トマト” に会いに行く。慰問して、合言葉の “天気予報” を弁護士に連絡すると100ドル貰える。例えばサリーが “キューバは嵐” と言えば、それを弁護士に伝える。ポールは話を聞き危険を感じるが、ホリーは優しいおじいちゃんと気にも留めない。

ポールは過去に “9つの生き方” という本を1冊、出版したが、今は書いていない。2Eと呼ばれる金持ちの女性フェーレンソン夫人と愛人関係だ、若いツバメである。パーティ三昧のホリーは、会場で金持ちを射止め、玉の輿を狙っている。

人気者のホリーに興味を抱くいろいろな人間たちが集まっていた。今日のパーティにポールも招待される。芸能エージェントのOJは、ホリーを女優に育てようとした逸話を語る。そこに南米のハンサムなホセと、 “50歳以下の長者番付で9位の大金持ち” のちびなラスティがいた。ホリーは目ざとくラスティの方にアプローチする。

ポールは、忘れかけていた小説を、ホリーを題材に書き始める。

表題は “マイフレンド”とし、“とても可愛らしく、とても怖がりな女性が、名前の無い猫と一人で住んでいた”と続ける。階下には、ホリーが窓辺に腰掛け「ムーンリバー」を歌う。それはまるでホリーの心情を伝えているように。

ある日、ホリーの夫で、ゴブライトリーというテキサスで獣医と農場を営む男が現れる。あまりの年の差や不釣り合いに驚くポールに、ゴブライトリーは経緯を語る。ホリーの本名はルラメイ、14歳の時、弟のフレッドと卵泥棒をしていたところを後妻にしたが、弟の除隊の知らせが来たので、ホリーを連れ戻しに来たと言う。

ゴブライトリーはスナック菓子を食べながら話しており、箱の中に<景品のおまけの“指輪”>を見つけ、ポールは何気なくそれをしまう。

再会したホリーは「自由の身でいたい」と断り、テキサスには帰りませんでした。ホリーは、大金持ちのラスティとの結婚を計画し、弟を迎えると言います。

ここまでが、大金持ちを夢見てニューヨークの社交で、日夜、玉の輿を狙うホリーの姿である。

製作者や所有者や送り手の物語=体験が、ブランドに記憶されている。

翌日、ポールは小説の原稿料50ドルが入り大喜び。一方のホリーは意中のラスティが70万ドルの借金まみれで候補から脱落し、目標を変えます。

ポールは「手にした50ドルで祝おう」と提案します、ホリーは「初めてのことをしましょう」と、二人で五番街に繰り出します。そして憧れの “ティファニー” に。ポールはホリーに何かプレゼントをと話し、ホリーは10ドルの予算の範囲とします。

ティファニーでは、その予算の商品を探すことが難しい。店のスタッフは “純銀の電話のダイヤル回し6ドル75セント” を薦めますが、ふたりは「ロマンチックではない」と却下します。

そこで、あの菓子のおまけについていた指輪に、記念にイニシャルを掘ってもらえないかと頼んでみます。少し難色を示したティファニーでしたが了承されました。

ホリーは、ティファニーの寛容さに感激します。

その後、二人は図書館に行き、ホリーはポールの著述した蔵書に驚きます。雑貨店では、犬と猫のお面をこっそり万引きします。物語が転調するお洒落な場面です。

二人はキスを交わします、ポールにとってホリーはかけがえのない人になりました。

ポールは2Eと別れ、刻印の仕上がりを取りにティファニーに行きます。ホリーを探すと図書館で南米の本を読んでおり、今度はホセと結婚すると言います。いつまでも現実を直視しないホリーにポールは原稿料の50ドルをパウダールーム代としてホリーに渡し怒って帰ってしまいます。

ホリーに弟の死を報せる手紙が届きます。最愛の唯一の肉親フレッドを失くし、泣きじゃくるホリー。さらにある日、部屋に戻ると警察に逮捕されます。サリー・トマトとの関係が疑われたのです。O・Jらの尽力で釈放されますが、スキャンダルを嫌うホセは、ホリーとの婚約を解消します。

あきらめきれないホリーは、ブラジルの長者番付50位までを送ってくれとポールに頼みます。悔しさとやせ我慢でいっぱいのホリーに、ポールは愛を告白します。

ホリーは「カゴの中に縛られるのは嫌だといい、自分はホリーでもルラメイでもなく名前の無い猫と一緒で、誰のものでもない」と言って、タクシーから猫を放り出します。土砂降りの中、猫は途方にくれ鳴いています。

たまりかねたポールはタクシーを降り「自由に固執しているきみは、自分でつくったカゴに入ったままの意気地なしだ、どこに逃げようとそのカゴはついていく、結局はそこに逃げ込むんだ」と言って去っていきます。

別れ際に、ポールはティファニーで刻印したリングを不要だと言って渡します。

ポールを失い、一人ぼっちになったホリーは、リングを見つめながらほんとうの愛を始めて知ります。タクシーを降りポールとともに、雨の中を “名前の無い猫” を探します。名前の無い猫はこれまでのホリーなのです。

片隅に隠れる猫を抱き上げポールに歩み寄るホリー、激しい雨に打たれながら二人は固く抱き合いキスを交わし、恋人として結ばれます。こうしてお伽話は閉じられます。

ブランドは自分らしさ=アイデンティと等価価値で、愛を表現するもの。

ここでもう一度、ティファニーで“おもちゃの指輪”を交えての会話を再掲します。

店のスタッフは、時が流れても変わらぬ物には温かな気持ちを覚えますと懐かしがります。 

彫ってくれるの?プライドは傷つかない?と訊ねるホリーに、回は、特例としましょう。ティファニーは理解があります。イニシャルを入れて明朝にはお渡しできます。と答え、ホリーは感激します。

このくだりは、とても気持ち良い。どうしてだろう、そこであえてブランドの話を考えてみた。

ニューヨークのラグジュアリーのシンボルであるティファニーで、お菓子のおまけのガラクタの指輪にイニシャルを刻印する。

ブランドとは何なのか? それは<信用>ということでもあるし、日本風に言えば<のれん>ということにもなるだろう。牛に刻印をしたことから派生したという意味もある。金とモノの取引で言えば、<支払う額=原価+付加価値>と捉えれば、<付加価値の最大化>となる記号である。

それならティファニーはおもちゃの指輪に刻印はしないはずだ。フランスの哲学者で思想家でもあるジャン・ボードリヤールが記した「消費社会の神話と構造」の記号論では、商品のもつ<ブランド・コード>という記号。そしてブランドを有することで、自分らしさ=アイデンティを表現するのであろう。

ティファニー宝飾店がイニシャルを刻印した、お菓子のおまけのガラクタの指輪 というのが、正式な思い出となる。もちろんティファニーの商品ではない。ティファニーは寛大なのである。

これは、ポールのホリーを愛する気持ちを刻むことである。お金に換算できないガラクタが、ティファニーと同じ価値を持つことは決して無い。しかしホリーは、金に縛られたカゴから、金では買えない愛を確認するというお話なのだろう。

そう考えると、豪奢の象徴としてのブランドを身につけることが自分らしいという考えは、ホリーのように夢を見させるが、行き過ぎると相手に下品な印象を与えてしまう。金のみに縛られた人生の哀しさということになる、これでは上質な人生には程遠い。

ポールはさほどの才能や才覚がありそうな感じはしない。そう考えると二人の生活は豪奢な暮らしはできず、ホリーはブランドを夢見る普通の生き方を送るのかもしれない、しかしいつかはティファニーを身につけるためにブランドはあるという逆説もまた成り立つのではないか。

『ティファニーで朝食を』は、ブランドの意味を知る映画であり、そして映画そのもののブランド価値を高めている。だから不滅なのだ。