『アメリカン・スナイパー』解説|正義を支えたのは、リバタニアンの魂か。

クリント・イーストウッド監督がメガホンをとり、またひとつアメリカが世界に問う戦争映画が誕生した。20世紀は戦争の世紀であり大量の破壊と殺戮が繰り広げられたが、21世紀の戦争はテロルとの新たな局面を迎える。人類は永遠に戦争を続ける。戦争とは何か?国家と個人との関係とは何か?人間性とは何か?を考えさせられる。

解説

米軍史上最多、160人を射殺した、ひとりの優しい父親。

映画の宣伝文句にはこうつけられた。米軍一のスナイパーとして米海軍特殊部隊ネイビー・シールズに所属し、その任務を遂行した男クリス・カイルの自伝に基づいた映画化である。

1999年に海軍に入隊し、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の衝撃をテレビで観て驚愕する。2002年にバーで知り合った女性タヤと結婚式を挙げ、幸せな時を送る間もなく、遂に戦争は始まり、派遣命令が下り、舞台はイラクの戦場に転回される。クリスはテロリスト集団を率いるザルカウィ排除の作戦に参加する。

2003年から2009年に除隊するまでに4回に亘りイラクに派遣され、ファルージャ、ナシリヤ、ラマーディ、サドルシティと激戦地を転戦。イラク軍およびアルカイーダ系武装勢力の戦闘員を160人(公式に確認)殺害する。

味方からは「レジェンドー伝説の狙撃手」と敬意を表され、相手からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金18万ドルをかけられる存在となる。

冒頭の息を飲むシーン。ファルージャの市街地を進む味方の海兵隊を守るために建物の屋上から辺りをうかがうカイル。別の建物から母子が表れ、母親は何かを子供に手渡す。それは対戦車手榴弾だった。子供は進軍する部隊に向かって爆弾を抱えて近づいて行く。

無線で状況を報告するが事態を正確に把握できず命令不能の上官。判断は双眼鏡の先に目を凝らすクリスに任される。無辜むこの民であれば戦争犯罪である。自爆テロであれば味方がやられる。危機は刻々と迫る。

世界は3種類しかない。弱き羊、羊を襲う狼、その羊を守る番犬。

銃声の音と共に、画面は幼いクリスが父親と狩猟する回想シーンになる。クリスは、射撃を父に教わった。厳格な父はクリスに狩りと共に、生きる教訓を与える。

人間には善良で無力な “羊” と、そんな弱者を暴力で餌食にする “狼” がおり、群れを守るために狼と戦う類稀たぐいまれなもの、それが “番犬” なんだと。そしてお前は、“番犬” になれと言われる。

このシーンは、この映画の正義の説明になっている。本音と建て前を使い分けるポリコレではなく、ましてや権力と金儲けにしか興味の無い強欲な選民思想の人々とも関係ない。東海岸の13の植民地の独立から中西部へと開拓していったフロンティア・スピリット。もっと昔からアメリカに根差した草の根の民主主義の成り立ちを想起させる。

南部のテキサスが故郷のクリスには、自主独立の精神で生まれたリバタリアニズムのように何よりも個の自由を尊重し、家族を守る血統を思わせる。それが仲間に広がり、そして愛郷心となる。古き良き時代の開拓民は、自ら銃をとり自らを守り、政府よりも個人を信頼し尊重しあっている。

クリスにもきっと19世紀以降に移民として海を渡り、内陸を拓いた父祖たちの歴史の時間が、是非はともかくとして、マニフェスト・ディストニィーの正義として受け継がれているのか。

ある日、タンザニアとケニアのアメリカ領事館でテロによる爆破事件をテレビで観て、クリスはカウボーイになる夢を諦めて、海軍に入隊する。そしてシールズの猛特訓に耐えながら、恋人タヤを得る。

そして爆破され崩壊する9・11の同時多発テロの惨劇を目の当たりにして、愛国心をみなぎらせ、祖国の正義を信じ、実直に任務を遂行することを天命と考える。クリスはその意味でアメリカの魂の象徴である。クリスの強い精神は、強いアメリカを高揚させる

非対称のテロとの戦いで、心が蝕まれ壊れていく人間の姿。

再び、緊迫の場面に映像は戻る。子供が抱えているものが明らかに対戦車手榴弾であることが確認される。放置すれば自爆が遂行され、仲間の隊は大きな損傷を受けることは必至である。クリスは躊躇なくトリガーを引く。

子供が、そして後に続き手榴弾を拾い投げようとする母親が、クリスによって射殺される。爆弾は隊の僅か前方で爆発して、味方はどうやら救われた。しかしクリスの精神の平衡はいかばかりであろうか、最初の射殺が子供と母親であったことに。

一般にはイラク戦争と言われる、戦争の定義にもよるが、この戦いは両国政府が承認して起こした戦争なのか疑問がある。一方的である。アメリカは、過去においても東西のイデオロギーの戦争を幾度か行った。朝鮮半島もベトナムも反共との戦いであり、民主主義の介入である。

しかし9・11以降のイラク戦争では、ブッシュ大統領はテロとの戦いと宣言した。正統性の不確かな非対称の戦いである。アメリカの軍事力を持ってしても、市街地の接近戦は容易ではない。そして全ての戦いがそうであるように、前線の兵士たちは愛する人たちとの生活やかけがえのない人生を犠牲にする。

クリスの勇猛果敢さは、イデオロギーの違いや、政治や経済ではなく、ひとりの海軍兵士として祖国を守る大義で捉えられている。そして愛する妻タヤはクリスの子を身籠っていた。

戦争の傍らにはいつのときも、最も大切でありながらも、最も犠牲となりうる、最大の自由の賜物である愛する人や家族の幸せな暮らしの崩壊がある。その刻々は現代の高度な情報技術で携帯電話を通じて容易にアメリカの家庭と転戦するイラクの地をリアルタイムで繋いでいる。

イラクの戦地にいるクリスが祖国にいる妻のタヤと電話で話す、妻の日常や子供のこと、そして夫の安否。そのリアルが、生身の人間には、安らぎと共に、精神的にはかなり堪えるはずだ。

理想では成り立たない、逃れることのできない戦争の現実が人間の身体に覆いかぶさり、壊れそうな精神を、訓練で鍛えられた心身と大義で何とか払いのけようと鼓舞する。

この感情は、「ジハードする者は天国に行く」との宗教的な考えを持つ過激なイスラム原理主義の人々にとってもやはり等価なのではないか。映画では敵側にもシリア出身の射撃競技のオリンピック選手の経験を持つ凄腕のスナイパー、ムスタファがいて、最後はクリストの決闘の様相を見せる。

ムスタファにも同じように妻も子供もあり、大切な家族が存在している。ムスタファの妻もまた夫とともに侵略してくる米軍と戦っている。彼らの子供もいつかは爆弾を抱えてアメリカ軍のなかへ自爆を試みるかもしれない。

そんな戦時下で、家族があり人生があり、ささやかな笑顔のひとときもあるのだろう。

双方がそれぞれに仲間を守り、正義を貫き、愛すべき家族がある。

アメリカ、イラク、共に凄腕なスナイパーがいて、その役割は、戦闘を有利に展開するために敵を狙撃し恐怖に陥れ、撹乱させる。クリスとムスタファはそれぞれ味方を守り勝利に導くために、どちらかを仕留めなければならない。

1000メートルの離れた地点から正確に相手に命中させるには、集中力が高く正確でなければならない。その強靭で怜悧な精神は、双方ともに技術と大義の下に支えられているのだろうか。

2回目の派遣では、クリスは兵曹長に昇格し兄を慕い後を追って来た弟ジェフと再会するが、彼は心を病んで除隊する。

番犬として不屈の精神を持つクリスは仲間を守り、国の大義のために戦い続ける。しかしクリスもまた派遣のたびに、次第に精神を病み苦しんでいく。その症状は戦地ではなく、任務を終えて故郷に帰るたびに悪化していく。

2人目の子供を授かった妻タヤは、家族の幸福を優先するようにクリスに願う。戦争という国家の正義と、安寧な家族の幸せを秤にかけられるときに、クリスの精神はさらに苦しみ蝕まれていく。

3回目の派遣、ムスタファもまたクリスを狙っている。クリスの同僚のビグルスはムスタファに顔面を撃たれ失明し、一命をとりとめるかと思えたが死んでしまった。戦争に疑問を感じていたマークも戦死してしまい、戦うことの意味を神に問う遺書に残した。

妻タヤは国家よりも家族を選ぶようにクリスに懇願する。しかし家族を守るために戦地に戻るというクリスに、タヤはただ祈るのみである。最小で最大の単位である家族の平和な幸せを守るという目的に対して、戦場での正義の遂行はあまりにも悲劇的である

そしてクリス・カイルは祖国を守った英雄として、歴史に刻まれる。

仲間たちは負傷し死に絶えていくなかで、ムスタファを仕留めて決着をつけるために、クリスは4回目のサドルシティへの派遣で、1920mの距離から放つ渾身の一弾でムスタファを射殺する。それは正義の遂行と同時にビグルス始め仲間たちの仇討であった。

部隊は死闘の末、砂塵と自軍の空爆のなか何とか戦場から撤退する。

クリスは任務を終えて除隊する。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらもカウンセリングを続け、徐々に心を取り戻していく。タヤの良き夫として、子供たちの良き父親として平穏な生活が戻ろうとしていた。クリスは帰還兵や退役兵など傷痍軍人や戦争の仲間と交友を続ける。

2013年2月2日、クリスと同じように同時多発テロをテレビで観て海軍に入りイラクへ派兵され帰還しPTSDと診断された元兵士によって射殺される。クリスは元兵士の回復に向けての相談に乗るところだった。心を開かせるための射撃場での出来事だった。相手の弁護側は心神喪失状態であり責任能力を問わないと主張する。

海軍に志願して祖国を守るという大義に対して、何も報われることの無い38歳という短い生涯を終える。国家とは何か?上述したがクリスの精神性は西部開拓民に始まるアメリカ本来の「草の根」保守的な個人を愛する自由主義に端を発している印象を持つ。

その個人の精神の自由を尊ぶ、父祖たちが切り拓いた愛郷心が、国家へと昇華した時に何か違う歯車が回り出すような、どうにもやりきれない気持ちが残る、そして、かけがえのない人生の代償としては、あまりに悲しく虚しい現実のなかで途方に暮れるしかない。

クリス・カイルの追悼式がカーボウイ・スタジアムで開催される模様を映し出しながらエンディングに向かう。星条旗が雨の中を高々と掲げられ、沿道にも歩道橋にも多くの人々が集い、英雄を偲び、しめやかに栄誉を称え送る。

それは祖国を愛し、国家と仲間を守った男への鎮魂歌であると同時に、アメリカとその魂を愛するイーストウッドと人々の静かなる挽歌なのだろか。